◍ 豊穣の五大仙 難しい課題と嫌な予感
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苔むした岩、曇りなき鏡、
天を突くような大樹、
清き巫女、無垢な子ども――。
どれも霊的な存在が依り代として好むが、中には剣先のように尖ったところへ降りてくるものもいる。
まさに剣であったり、松などの針葉樹であったり。
燦寿のように市に隠れ住んでいる類ならば、動物や輿に乗って参上する。
そして、部落の話し合いのようなことを始める。
「黛紅はどうしたのだ」
もちろん “来ないやつ” もいる。自由奔放な神々のほうが、人間を相手にするよりも厄介であることは珍しくない――。
亭のような造りの建物に壁はなく、代わりにぐるりと衝立がめぐらされている。彫刻が施された紫檀製で、王宮内にあってもおかしくないくらい、いかにも重厚だ。
馬蹄型の長机に、それぞれ黒い六角柱の石を置き、四人の男女が着席しいる。
彼らは実体ではない。この石を憑依する柱、兼、交信の手段とし、遠隔会合を開いていた。ここはそういう趣旨で使われる施設だ。
「どうせまた、男にうつつを抜かしているんでしょ」
蛇仙こと柳夭理按主は昨日、宿地の台求郡を巨大蝗の大群に襲われたばかりである。ただでさえ欠席している黛紅狐仙とは相性が悪く、ご機嫌がうるわしくない。
引きずるほどの長い黒髪、眉の薄い瓜実顔、一重の目が特徴で、柳色の衣の上に白っぽい直領衫を羽織っている。
「今年の台求は穀倉地帯としての務めを果たせませぬ。私の面目も丸潰れ。兵士にも怪我人を出しました。あの蝗は、きっとまた現れる……」
「我らのように、豊穣と財を司る者の結束が必要だという時に、太仙老さまでも、黛紅の近況すら分からぬのですか?」
ため息交じりで、ひとを役立たずのように言ってくれるのは、童女の形をした鼬仙こと黄女亜。
切りそろえられた短髪と吊り目が特徴。仕立ては小さいが、彼女も夭理と同じ意匠の直領衫をまとっており、これは同職種に就いていることを示す仕事着である。
燦寿は通称、財五大仙と称される召喚者たちを前に、椅子に腰かけて目を据えていた。
この椅子は背もたれが長いのはいいが垂直で、骨と皮だけの老体には座り心地がよくない。ため息をつきたいのはこっちだ。
「黛紅のことも、新救世主殿のことも、悪いが、さすがのワシにとてどうしようもない」
たとえるなら壁があるのじゃ。
「壁――?」
国家機密とされてきた “新救世主” 絡みの内情を聞かされるのは、これが初めてになる。鼠仙――灰歩が糸のように細い青年の目に、興味と不穏を宿す。
燦寿は言いにくいあまり唸る。
「いざす貝が次なる獲物を吸い込める能力を取り戻すまで、あと二年の猶予しかない。だのに、トカゲの尻尾切りばかりされて、黒同舟の幹部すら一人も捕縛できずに来た」
現世界樹――椥の木は、もちろん敵の手の届かぬところに隠してあるが、南壽星巉と結びついた一心同体である以上、このままでは壽星桃の二の舞を演じることになる。
「いざす貝を見つけ出すことにも全力を上げてきたが、偽の情報をつかまされ、むしろ危うい目にばかり……。こうなったら、奴らを釣るしかない」
それにはまず、この南壽星巉の世界樹を担っている守り人であることを――
「新救世主殿に、我ら各土地公、城隍神と同じ “按主” であることを自覚させねばならない」
「知らぬと申すのですか。この世界の根幹を担っている自分の立場を」
白文漠は、たるみ切った瞼を開いて目を丸くした。白い蓑笠を頭からかぶっているような豊富な毛量と、燦寿よりもたっぷりのひげが特徴――。蝟仙である。
「一地方、一国を治めている按主とはわけが違う。世界樹の天壇按主ですぞ」
その重責に耐えかねてか、当初後釜となるはずであった李彌殷の城隍神――康黛紅狐仙は、財五大仙中最も強い生命力を誇りながら、未だに、城隍神としての役目すらも気まぐれにしか果たさない。
夭理が鼻で笑う。
「それでも、さすがに四ヶ月前は、自分が男漁りをしている西廓で大火災が起きたせいか、少しはやる気になったようではありませんか」
城隍神廟の銀厚朴の根を操り、地下と通じている鬼門から湧いて出てきた魑魅魍魎を一派一絡げにして始末した。
女亜が澄まし顔で返す。
「それくらいは当然、朝飯前よ。問題は、何かのきっかけで再び地力が減少し、八年前のような大飢饉を来すほどの国難となった際、黛紅を動かせるか否か」
彼女は八年前、自分の壺中に閉じこもってしまい、華瓊楽国王や神々がどれだけ説得を試みても、頭を下げても、悪化していく現状を無視し続けた。
文漠が少しうつむく。
「――……姐と慕った先代が、死を迎えることを受け入れられなかったのじゃ」
当時、黛紅が会話に応じたのは、萼から対策のために派遣された蓮壬彪将飛叉弥のみ。彼が壽星桃の守り人を務めた先の天壇按主を看取ったほか、すべてを代行したからだ。次に口を利いたのが、神々の中でも長命を自負し、生き字引とされてきた燦寿であった――。
「確かに、あの時は病的なまでにやせ細っていたと聞きましたが、今はピンピンしているじゃありませんか」
「いや、きっと立ち直れていないから、心の穴を埋めようと…」
「毎晩のように、男の生気を吸い取っていると――?」
「……。」
夭理と女亜に挟まれ、やり込められる灰歩を前に、燦寿も思い起こしていた。
黛紅狐仙は砂漠化危機の収束後、「姐様の昔話をしてほしい」と言って燦寿を呼び出した。南壽星巉の世界樹を養い、大地を養い、穀神として台閣の天壇按主となるに至った、その足跡である。
“胡碧火” ――またの名を “稲摂” ――……。彼女は華瓊楽建国前の昔、各地で国生みが試みられていた時代に生まれ、当初は大火を起こす障礙神として恐れられた妖狐だった。
後に改心し、穀神として李彌殷に祀られた。そして、天壇按主という重責を継承後、長きに渡り、たった一人で担うこととなった。
そんな義姉の過去を知らないはずがなく、あらためて聞きたがったのは、気持ちに何らかの整理をつけるためだろうと、燦寿は乞われた通りに語ってやった。
しかし、結局は何も感じなかったということなのか、黛紅狐仙は以前にも増してちゃらんぽらんになってしまった。燦寿よりも巧みに市へ溶け込み、あらゆるものに化ける。元来、器量のいい仙女で人間を装っても美しく、男をたぶらかしてばかりいる――。
「飛叉弥殿は何をしているのです」
各地方の按主らは、こうして時おり情報を共有し合う機会を設けたり、伝令役を挟まない限り、中央で起こっている詳細が分からないのだった。
夭理が燦寿に問うている頃――
× × ×
「ふぁ…くしゅッ!」
飛叉弥は自室にて書類整理中、くしゃみをしていた。
× × ×
「元来は彼が、この国にとっての救世主であったことに相違はありません。そして今も、我々には分からないところで、重要な鍵を握っているのでしょう」
それは察する。少なくとも、私は信頼している。と、灰歩は前置きした上で、きりっと声を張る。
神代崩壊後の四大巉では、 “人原に文運を。天に武運と明眼を” という祈りが捧げられてきた。
城隍神をはじめ、各地方の按主らは、地元の神堂師を媒体として、人原の官庁と連携している。呼び名に多少の違いはあれど、同じような役割を持つ者たちの、同じような構図が世界中に存在し、その地域の治安を司っている。神代崩壊と千年大戦を経て、各地の異変や、衆生の善行悪行を見張ることを務めとしてきた元天軍の神々―― “破軍星神府” の傘下である。
「花人という民族の捉え方は様々でしょうが、北紫薇では実質、彼らが “鉄槌神” の務めを担ってきたはず……」
人の寿命、兵乱、善悪の処遇すべてを左右する。
そんな “舵星” と同じ一面を築き上げてきた中心的一族の血筋なのだから――
「飛叉弥殿が待て、と言うなら黙って待ちましょう。我々は何もできなかった分際です」
夭理と女亜も、これには唇を噛んだ。
「新救世主殿とて、バカだから椥の世界樹の按主に選ばれたわけではないぞ」
沈黙を払拭するように燦寿がため息をついている頃――
× × ×
「ふぃ…くしゅッ!」
皐月は夕暮れ近い河川敷の土手でうたた寝中、くしゃみをしていた。
× × ×
「元来は、飛叉弥よりも頭の切れる男のはずじゃ。奎王もわしも、初召喚した四ヶ月前の時点からすでに、何か考えがあって、猫をかぶっている可能性のほうが高いと見ている……」
救世主殿が来れば敵も動き、進展する機会となる。巨大蝗の大群だけでなく、今各地で様々な変異が起こっており、台求郡から李彌殷の方角にかけて、妙な地響きの多発も報告されている。
もう少しで何かが変わる予感が―――、いや
「胸騒ぎがする。ともすれば、飛叉弥が訴えなくとも、あやつの方から動くかもしれない……」
〔 読み解き案内人の呟き 〕
【 財五大仙 】※作者の創作ではありません。
狐の胡仙・蛇の柳仙・鼠の灰仙・鼬の黄仙・蝟の白仙のこと。
特に狐仙は別格。飢饉から守ってくれるとされた。
四方五路から財運を集めるといい、その他の商業神も町の辻などに祀られ、
そこで穀物の取引が行われることがあった。
【 舵星・七剣星 】
北斗七星の別名。剣に見立てた時、先端にある星を「破軍」という。
背にして戦えば勝ち、向かう者は負けると言われている。
北斗七星は剣先を周囲に向け、北極星を守るよう廻って見える。
北極星に願いを渡すと考えられたため、同一視されることもある。
北斗七星を構成している星の一つに、微光の星が近接していて、
徴兵の際の視力検査に利用されたことなどから、
「優れた眼」や「武運」に関連が深い。




