◍ 界口に立って色々思うこと | 猫に蟲
青丸が界口から転がり落ちてくるものを拾って、骨董商のような真似をしてきたのは何故か――。
おそらく、玉緒木鼠という小妖種が持つ “たどり路” の習性を重宝され、特殊な環境で磨き上げたからだ。
ご主人様の目は、節穴ではないのだった。
ちゃらんぽらんしていると馬鹿にしている奴の目が節穴である。
こちらの行動すべてを把握しているつもりならば甘い。
できると思っている奴―――、百年早い。
伝書鳩の役割を果たせる青丸のような小妖種の活躍場所は、大概が戦場か道に迷いやすい樹海、洞窟を行き来する鉱山などであろう。
お宝というより、遺留品が転がっているような場所である――……。
同じように、痕跡を探してくれた “部下” が自分にもいたらしい。だから見つかってしまった。
そして今再び、あちらの世界に踏み込まざるを得なくなっている―――。
―― * * * ――
奈落の闇を作り出している縦穴――地下へとなだらかに陥没しているその表面を、無数の木の根っこが縛り付けている。
いや、這い上がってきている蔓なのかもしれないし、光を求めて伸びてきた梢なのかもしれない。とにかく太く、岩を抱えるだけあってごつごつしていた。
ここは “水琴窟” の構造に似ている。伏せ甕を埋めて作った地中の空洞に、手水鉢の排水を滴らせて、琴のような鐘のような、清らかな音を反響させる庭園施設。それを巨大化させた暗がりの底から、今に、水面のようなものが浮上してくるはず――。
近くの岩壁に寄りかかっていた皐月は、やれやれと組んでいた腕をほどいて歩み出た。
「……ようやく来たか」
水面は離岸流の作用を起こす。つまり、押し寄せてきた後、強烈な引き波となる。
四ヶ月前の春先、井上に付き合って市内の鍾乳洞巡り中、発見したこの穴の底には藪椿の赤い花が溜まっていた。
淵に生えている古木から咲きこぼれていた。近くに見当たらない白椿の花がらまで転々と見受けられたため、実は一目で、別の場所と繋がっている界口だと分かった。
見え方や導き手など、 “越境の象徴” となるものは各所で違うが、東南間の界流は、おおよそがこうした水の形で、椿の他にも梯梧、橘などが近くに育ち、標柱を担っている。
幹は神々が降り立ち、行き来するための目印。花は浄化。根は穴の崩落を防ぐ楔のようなものだ。
この究極体が “四大世界樹” ―――。各世界各国には予備木が祭られており、とりわけ立派な個体は、花人のような生命力の強い種族が、何代にも渡って守り育ててきた。
*――いいか? これをお前に……
皐月は湧き上がってくるにつれ、渦を巻きはじめた水面に向かって舌打ちする。
*――約束だ。大きくなったら……
今でも界口には近づきたくない。
だが、嫌なこともムカつくことも、 “仕方ないと思えれば” 少しは前に進む気になるものだ。
四ヶ月前は、井上がここに学生証を落としてしまったから仕方なかった。どんくさい彼の代わりに拾いに降りた。
そして、 “懐かしい幻覚” を見た―――。
皐月は迫ってきた水面状の界境に、自らゆっくりと浸って行く。
頭までとっぷり沈むや、後ろ髪が藻のように揺蕩いつつ伸び広がっていく。
呼吸はできる。水圧も感じない。むしろ頬を撫でる流れは、そよ風のように柔らかい。
本来なら水琴窟に耳を傾けなければ聞こえない、不規則で清らかな音が頭の中で鳴っている。
この音を魔物は嫌がる。辟邪の香木が生えていればなおさら、こうした退魔性の強い穴を好んで出入りすることはない。
*――……約束だ。その時は絶対……、共に――……
そう呟いて去る白い衣を着た青年の後ろ姿が、幽霊のように穴の奥へ薄れて行った四ヶ月前の記憶がよみがえる。
まだ誰であるか思い出せていなかったのに、理屈抜きで追いかけてしまった。
そして、気が付いたら華瓊楽にいた―――。
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「ぉわ…ッ!」
光の穴が見えた、次の瞬間、浮き上がった体がそのまま一回転する。後はもう、なるようになるだけだ……。
小枝が頬をひっかき、無数の葉っぱが額を叩く。
ドサドサっと転がり落ちて行った先に花人が一人、しゃがみ込んでいた。
「随分と派手な登場じゃないよ」
「……。」
死体のように倒れ伏したまま、皐月は無視した。
落ち葉がクッション代わりになってくれたようだが、それでも衝撃は凄まじかった。頭がガンガンする。
「……なんであんたが?」
「何よ。私じゃ悪いわけ?」
皐月が上体を起こすと、満帆も立ち上がった。
意識的になのか、無意識なのか、満帆の動きはやけに素早かった。
実は、宵瑯閣で働くようになって間もなく、皐月はこの真椿芽満帆と二人きりで話をしている。
偶々だったが、あれからこっち、彼女との距離感がおかしくなった。
一方の満帆も、同じ日のことを苦々しい気持ちと一緒に思い起こしていた。
飛叉弥に体力作り(雑用)を義務付けられるようになって数日、ぶつくさと文句を垂らしながらも、皐月は修行と題して命じられた通り、廊下の雑巾掛けをしていた。
彼のドタドタとうるさい足音と、鈴の転がる音を聞いた満帆は――
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「こら待てッ!」
反射的に振り返った。
「コイツ! 人がせっかく拭いたところを…っ」
「ぎゃっ!」
渡り廊下を猛スピードで駆けてきた黒猫が、突き当たりに差し掛かるや飛びついてきた。
その瞬間のことはよく覚えていない。ただ、気がついたら尻がジンジンと痛みを訴えていた。
「…ぃい…ッ、たたた……」
薄目を開ける。パーカーのポケットに両手を突っこみ、少年が歩み寄ってくる様子がぼやけて見えた。
満帆はハッとした。
「すす…っ、ストップ! それ以上近づかないでッ」
警戒心を丸出しにすると、一応、助け起こしてくれる気だったのか、皐月は不快な顔をした。
「俺はただ、その猫に用があるだけ」
頭に手を伸ばされて初めて、満帆はそこに猫が乗っていたことを知った。
「ちょ…、ちょっと」
皐月は彼女の非難の声など気にも留めず、暴れるそいつの後ろ足を持って逆さ吊りにする。
「いいか――? 今度、俺が拭いた所に足跡を付けたらどうなるか、よく想像しておけ……」
パッと解放されるや野良猫は砂埃を上げ、脱兎の如く逃げて行った。
満帆は呆れ半分、嫌悪感をにじませた。
「あのねぇ、生き物なんだから、もうちょっと優しく…」
「 “満帆” って言ったっけ――?」
廊下の雑巾がけだなんて、下僕のようなことをさせられている少年だが、やはり気を許すべきでないと本能が訴えてくる。
満帆は何を言われても、されても動じない、強気な顔で身構えた。
そんな態度をクスっと嗤われた。
「あんたも面白い人だよね」
「え…?」
「特にその “眼” ……悪くはないけど、付けどころが間違ってる」
満帆の前髪に手を伸ばし、皐月は指先で何かを摘まみ取った。
黒い糸のようなそれから煙が立ち、象形文字の形となったが、読み取る前に煤と化してしまった。
(今のは……、蟲?)
満帆が問うように見つめても、皐月はわざと黙殺しているのか、手をはたいて平然としていた。
「黙っておいた方がいいよ――?」
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*――変なものに取り憑かれかけて、気づきもしなかったなんて、
沽券に関わるでしょ……
結局、満帆はお言葉に甘えず、きちんと飛叉弥に報告したわけだが、それは能ある皐月の爪隠しに、まんまと利用されたくなかったからだった。
ほんの数日前のやり取りなのに、今、前を行く彼の背中は、忘れてしまったかのように飄々としている。
現在地は李彌殷の南にある田園地帯の外れ――。
それにしても、青丸の予想が本当に的中すると思っていなかった満帆は、皐月の神経の図太さに湧いてくる感情をあらためて噛みしめつつ、素直に驚いてもいた。
胡桃六百個をかけて、喋るネズミ型探知機が絞り込んだ界口は二ヶ所。
一方は見事大当たり。ということわけで……
× × ×
「待ち構えてたオイラたちを見たら、親びん、びっくりしますよ? きっと!」
「だよな、だよな~! 実はこっちの穴が、本命だったりするんだよ~!」
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一時間後。
「……。来ねぇな」
「来ないっすね」
二匹の方は待ちぼうけを食らっていた……。




