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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第二鐘 ◇ 白黒 ――――――
124/194

◍ 白髪・黒髪の意味


 啓を自室に返してから、飛叉弥は再び机に向かった。

 なんだか胸騒ぎがするようで眠れなかった。

 皐月を摩天に戻して正解だったかもしれない。あいつが華瓊楽カヌラに来なければ何も始まらないが、前回のような怪我はさせたくない。

 そもそも、関わらせること自体、実は不本意なのだ――……。





 *――……して……、どうして、今更――……



 血に焼けた喉から絞り出される声が、今も耳朶じだにこびりついている。

 生暖かい虫の息も、懐で上下し、たくましさを失っていく肩も。

 葬った時、胸の傷口から咲いて見えた、真っ赤な曼殊沙華の花――、それが散らした念珠のような鮮血の煌めきも――……覚えている。


 裏切られた怒りからか、闇に呑まれる最後まで、自分を睨んでいた瞳。

 何かを確信したかの如く、 “破暁” と謳われた色彩を失っていきながらも、そこに宿された強い光。

 すべて、この目に焼き付いている―――。


 

 飛叉弥は夜目にもはっきりと赤く、白く見える二輪の花を見つめていた。

 真夜中で、他に眺めるものがない。周囲の竹林も沈黙しきりだ。

 読書で眠気を誘うのをあきらめ、やってきたのは、萌神荘の北園に向かう途中にある碧鏡亭。単に臥室から近かったからだが、この季節、曼殊沙華の花がぽつん、ぽつんと咲く場所であるのを知っていた。


 “また逢える日を、楽しみに” ――とは、なんと皮肉な言の葉だろう。

 花人は花言葉のことを、草花が持つ “言の葉” と言う。本音を口にすることすら難しい自分たちが、唯一持ってる伝達の術。

 花色によって、それは異なることがあるが、正直どうでもよかった。

 赤も白も、白も黒もない。

 不吉だとか、災いの元だとか。

 実は吉兆だとか、罪業から解放してくれるだとか。

 清廉だろうが、穢れていようが、この生き地獄から救ってくれようが、くれまいが――




 ふわ、と。ふいに後ろから腕を回された飛叉弥は瞠目したが、あえて振り返らず、言葉を発しかけた口をそのままつぐんだ。


「……風邪、ひきますよ? こんな薄着で。それに何です? このお酒の瓶」


 口調は怒っていても、彼女の軽やかな声には癒しの効能がある。

 羽織らされた被帛ショールを遠慮なく首に巻いて、飛叉弥は取り澄ました。


「これは薬だ薬。酒とは違う。お前も試してみるか? 飲めば、じきに眠れるぞ」


「お前じゃありません。鈴です」


 飛叉弥は膨れても全然怖くない五十鈴を鼻で笑ってやった。


「お夕食前に出したお酒だけでは、足りなかったんですか?」


「常に足りない。しかも、こういう時に限って、月凊隠げっせいいんは飲みに来ない。まったくもって空気が読めない神だ」


 対して、五十鈴は天然ボケと見せかけ、読まなくていい空気まで読む。そういう人間は気疲れする。


「……早く寝たほうがいい」


「飛叉弥さまも、鬼畜と呼ばれている割には、他人に気を遣いすぎですよ……? 最近」


 肝心なことは何も言わないし、自分のためには何も欲しない。相手に自ら迫るなり、引き寄せるなりできないのか。

 

「花人というのは、そういうものだ」


 普通の人間が、こんな禁欲的な人生を強いられては堪らないだろう。船を乗り換えるなら今のうちかもしれない。

 これからも、俺たちと生活を共にして行ける自信がお前にあるか?



「海はこの先、確実に荒れていく―――」



 五十鈴は間を置いてその言葉をじっくりと受け止め、あえて自分の気持ちは押し留めることにした。



「――……皐月くんは、どう思ってきたんでしょうね」


 彼はすっかり人間になってしまっているわけではない様子に見受けられた。一緒に過ごしてきた人々は、彼をどんなふうに捉えてきたのだろう。


「話してみてどうだった」


「そうそう! 思った通りでした~!」


「なぜお前がそんなに嬉しそうなのか分からん……」


「むしろ私は、あなたが何故そこまで無感情を装っていられるのか理解できません」


「生粋の花人だからだと何度も言っている」


 ぶすくれる飛叉弥の横で、五十鈴はなんとなく四ヶ月前のことを思い起こした。



 *――ちょっと手伝って欲しいんだが……


 *――はい……?



 皐月が初召喚される直前の五月はじめ――、五十鈴は珍しく飛叉弥にそう声をかけられた。



    

     |

     |

     :

     *




 萌神荘の家事全般を引き受けているが、実は何一つまともにこなせたことがない侍女。

 五十鈴に頼むと、ろくなことにならないのを思い知っている飛叉弥は、任せる事柄を選んでいる。


 人使いが荒い彼に、むしろまったく使われないというのも嘆かわしい話だ。五十鈴は声がかかるだけで、嬉しくなるのだった。



 行き先は厨房かと思いきや、井戸を挟んで同じ中庭に面している浴室。


「ま…まさか、湯あみのお手伝いですかっ?」


 沐浴に使う大きめの盥と、手拭いが準備されてあった。

 さすがに顔を赤らめ、慌てて確認を取ると「はあッ? バカか」と吐き捨てられた上に、舌打ちまでされた。


 ひどいっ。……けど言い返せず、黙って手伝いを求められた作業に取り掛かった。




「どうだ――……、上手く落ちそうか」


 しばらくして尋ねてきた飛叉弥の背中は、一転して少し不安げだった。

 盥に張った緑茶のような液の中で、飛叉弥の黒髪に薬草を撫でつけながら、五十鈴はいつの間にか優しい気持ちになっていた。


「――……さぁ、洗い流してみないことには。でも、だんだん白っぽくなってきましたよ?」


 そう笑って、髪を軽く絞ってやった。


 飛叉弥は庭先へ降り、井戸からくみ上げた水を頭にだけ被った。

 ぼたぼたと水を滴らせているところに、五十鈴は手拭いを持って歩み寄った。

 飛叉弥は髪を拭いきるまで、一言も発さなかった。

 わしゃわしゃと、犬のように荒っぽく襟足を掻きまわしていた手をふと止めて、五十鈴に向き直った彼は、なんだか、さっぱりしない顔であったが――




「どうだ……?」


 五十鈴は思わず目を瞠ってしまった。そして、満足そうに微笑んで見せた。



「ええ――……。やっぱり白髪そちらの方が、よくお似合いです」





     |

     |

     :

     *





 飛叉弥は本来白髪であるが、十年ほど前に髪を黒く染めたのだ。

 染めようとしていたところ、どういうつもりか問い詰めてきた某人物に、手伝うと見せかけて悪戯をされた。

 一生色落ちしないほど真っ黒にしてもらうはずだったのに、戦闘時など、霊応が高まる際には、白髪に戻る仕掛けを施されてしまったというわけだ。


 こうして、中途半端な白黒生活を送ってきた飛叉弥が、何故ここにきて真っ白な姿を取り戻そうとするのか、他のメンバーは首をかしげていたが、五十鈴は知っていたのである。



 屋敷の誰もが夢の中だろう時刻、肌寒くて寝付けず、母屋の厨房で温かいお茶を飲んできたところ、夜空から池の淵に下りてきた月精のような白髪の鬼の背を見かけ、五十鈴は今、傍らに寄り添っている。

 

 飛叉弥が眺めている曼珠沙華の花言葉は、一つではない。


 “再会” ―――。


 五十鈴にとっても、彼と眺めていると皮肉に思えてくる花であった。



 “また逢う日を楽しみに”  

 

   “想うはあなた一人” 



 もっとも、彼からこの花を貰うことだけはないだろう。別名は “相思華” と言う。


 “葉見ず花見ず” とも言うし、 “天蓋花” といって愛でられることもある。

 曼殊沙華の花は、自分の葉を見ることがない。二つは同じところからいずるも、同時には存在できない。


 蓮の花の特徴と、少なからず似ている部分がある。蓮は違う品種を同じ器の中で育ててはならない。劣勢となるどちらか一方が、必ずと言って枯れてしまう。


 そして、天上に咲く花とされている。いずれも、死に寄り添う弔花であり、空から降ると言い伝えられてきた瑞花の一つ。


 連理の枝や相生あいおいの松、寄生木ほよのように、まったく別種の木でさえも――、あるいは一度、別れているにもかかわらず、支えあって共に生きて行こうとする者がいる反面、それが許されない者もいるというわけだ――……。




「本当に不器用な人……。 “彼” のことしか頭にないというのに、口では伝えられないなら、いっそ曼殊沙華の花で、お伝えしたらどうです――?」


 さりげなく頭から被らされた上着を、遠慮なく肩に羽織り直しながら五十鈴は呆れた。


 飛叉弥は半眼で「アホか」と返した。


「……相思華だぞ。あいつに渡したら、なんかおかしなことになるだろうが」


「あら、どうして? 間違っていないじゃありませんか」


「お前にはちゃんと説明しただろッ。どういう間柄だと思ってんだ、俺たちのことッ。酒が不味くなる。勘弁してくれッ」


「っもぉ~…、怒鳴らないで下さい!」と怒鳴り返す。

 五十鈴は耳をかばい、避難するようにほっかむりした飛叉弥の衣の中で、清雅な蓮の香りに包まれている自分を、少し後ろめたく思った。



 飛叉弥(この人)が、どういう鬼かは分かっている。自分が護ると決めた存在には、己を厭わない。恐ろしいほど。


 好きとか嫌いの問題であれば、まだよかった。

 どこまですがっていいのか、誓っていいのか、一緒にいていいのか――……未だにお互い、答えが出せずにいる。

 

 それなのに、寒さに当たるより、頬が赤らむから嫌だ―――。





                           ◆   ◇   ◆



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