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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第二鐘 ◇ 白黒 ――――――
123/194

◍ 久世安とケリゼアン


―――― 九月 二十六日 深夜 ―――


「というわけ。飛叉弥……、どう思う?」


 啓の表情は暗かった。それが何を意味しているのか――……。

 自室で迎えた飛叉弥は、読んでいた書物を閉じた。  


 皐月が摩天に帰ったと知らされて数時間。柴と嘉壱には早く休むよう促したが、飛叉弥は啓の帰りを待っていた。

 昼間、台求郡の田畑を、すさまじい数の巨大蝗が襲い、例の如く台閣から調査隊が派遣された。啓は日が暮れてからもしばらく、行方が分からなくなった蝗の目撃情報を掻き集め回っていたのだ。



「生き物から検出するのは難しい成分だが、十中八九、蝗もケリゼアンに侵されたのが原因で巨大化したと考えていいだろう。同じ系統の動植物の異変が、相次いで報告されている。にしても、群れが消えた地点で見えた赤い光とやらは解せん。関係があるのか無いのか……」


 ため息交じりの飛叉弥の手前に正座し、啓は不甲斐ない思いを噛みしめている。


「稲架に干してあった分と、刈り残されていた稲は全部、一瞬で食い尽くされちゃったみたい。みんな落ち込んでたよ……」


 蝗は半砂漠地帯に大雨が降ると爆発的に増え、ある世代から次の世代が生まれるまでにその数を三ヶ月で二十倍。半年で四百倍にする。

 かつて見られた蝗雲の最大は、華瓊楽カヌラの約五州分の面積に匹敵するともあって、まさに驚異だ。

 単体でいる分には無害だが、集団を形成できるようになると移動に適した形態変異を起こし、一日に自分の体と同重量の植物を食べて羽を発達させる。単独行動時には食べなかったものまで食い荒らして――。



「一匹の体長は、せいぜい二寸。ひとさし指と同じくらいだろうが……」


 飛叉弥は、自分の右手でなんとなくイメージしようとする。

 啓がすかさず情報を付け足す。


「台求に飛来したそれは、少なくとも二倍はあった」


 しかも、退治してやろうにも行方知れず。近辺の森が丸裸にされている様子もなく、枝を揺すっても、それらしい羽虫一つ飛び立つ気配がない。


「文字通り、消えたというわけか」


「ほとんどがね。台求に降り立った分は、リウ様が結界に閉じ込めて一掃して下さったそうだけど……」



 柳蛇仙リウ・じゃせん――。流通経済に欠かせない四方五路で信仰されてきた財招神・五大仙家の一柱だ。

 信仰者は屋敷の中庭に仙家楼という小祠を建て、守り神として各仙の神人像を祀っている。


 滅多に顕現しないが、李彌殷リヴィアンを囲む四補領のうち、東の台求郡城に宿っている柳夭理リウ・ヤオリー按主アヌスは、華瓊楽でも屈指の蛇仙女である。

 金鎖のような縛術と結界術を放つ神通力を有している。襲撃直後の様子を証言してくれたのだが、貴婦人の立ち振る舞いと、その深い声を思い出すだけで、啓は恐縮してしまう。



「これはあくまで僕の推測なんだけど……、今回の巨大蝗の件に関しては、畝閏セジュンに端を発する巨木化騒ぎとは、別の原理で起こったんじゃないかな」



 例のケリゼアンって “魔薬” ―――



「間接的に摂取したんじゃなく、直に与えられた――か?」


「そもそも、それを撒いたり、妖魔に与えたりしている奴がいるんだろう? なんだっけ。くー……クリアン信者?」


「――……」


 文机上に、ちょうどその資料が開きっぱなしになっている。飛叉弥はじっと “あん教信者” の文字を見つめた。



「とにかく、そいつらが直接急成長させて放ってる可能性はゼロじゃないはず。軽く物を出し入れするくらいの呪匣じゅはこや壺なら、この世に五万とあるでしょ……」


 うてなが安置していたいざす貝は、紛れもない神器級の呪物だ。 “いざす” とは “いざす” ――誘い込むという意味。早い話、有形物に限らずなんでも吸収してしまう巻貝型の坩堝(ブラックホール)である。

 神器は “対神” に用いられるほど強力な呪力を誇る。武具はもちろん、用途が封印であっても恐ろしい兵器と言って過言ではない。外からも内からも容易には破れず、標的を十年、二十年は余裕で閉じ込めておける。

 だが、誰にでも扱える手頃な代物もある。容量は劣るが、その辺の武器商人や隊商、普通の都民ですら、荷物や家財が多ければ持っていておかしくない。萌神荘の蔵にだって、眠っているものがいくつもあるのだから。



「飼い主が “呑仙瓢とんぜんぴょう” みたいな呪具を虫籠にしていて、人気のない山の中で蝗を回収した。だから消えたのかも。赤い光の謎は残るけど……」


「いずれにせよ、また現れる可能性が高いことになるな」


 飛叉弥は参ったと言うように額を撫でた。


「それは――?」


 もしかしてと思い、啓は飛叉弥の文机の上を一瞥して尋ねた。


「ああ」と肯定しながら、飛叉弥も机上に視線を落とす。智津香から貸してもらった資料だ。


「 “久世安(ジウ・セアン)” という男を宗主として組織化した邪教団体についてまとめてある。詐欺師まがいの藪医者といったところか。仙女の遺灰だと偽って妙な粉を配り歩き、貧困層の間で信者を増やしたらしい」


 世安自身がその粉のお陰をもって、不思議な治癒力を発揮したとう事実があり、人々が彼を訪ね歩くうちに、 “世安” という人名がその粉薬の名称に反映した。


「それがケリゼアン……?」


「今から、七十年ほど前のことだそうだ」


 当時の華瓊楽は、他国との過剰な接触にひどく乱されていた。侵略に売国……。希望としてすがれるものが無い貧しい民草は、面白いほど都合のいい邪教に食いついた。明るい未来が想像できない時代の常である。



「啓、ケリゼアンのことも気になるだろうが……、ここしばらくは、お前も用心しろよ? この間、満帆が妙な蟲に憑りつかれかけた話はしただろ」



 *――実はさ……



 いつになく、思いつめた様子で切り出されたのは一昨日。啓が山岳の村から採取した土の検査結果を報告し終え、聞き終えた飛叉弥が部屋を出たタイミングだった。

 満帆によれば、どこの誰の仕業かまでは分からないが、阻止してくれたのは、何を隠そう “修行中の半人前真救世主様” だったとか――。


 思い出した啓は、信じられない気持ちがよみがえってきて目を据える。


「そういえば、皐月あいつは――?」


「帰った」


「はあっ⁉」


 見事にひっくり返った声を上げられた飛叉弥は、投げやりな返答をする。


「自分から、すぐに戻ってくると言ったらしいし……、まぁいいだろ。さすがに疲れていたようだ。最悪、明後日の朝までに戻ってこなかった場合は、こちらから迎えに行くことになるが……」


「誰が」


「お前が行くか?」


「ヤダよ」


「じゃあ、また嘉壱だろうな」


「~~……。」


 それも嫌だと言いたげな眼差しが注がれてきた。

 啓の焼きもちをどうこうするつもりはないが、実際、嘉壱にばかり頼ってもいられないことを分かっている飛叉弥は、袖の中で腕を組んで天井を仰ぐ。

 皐月のお守りができる適任者が、他にもいないだろうか……。


「この際、あの “ラナマ二匹” に頼ってみるかなー」


 既知の仲であるらしい燦寿の話によれば、大物が転がり込んでくることが予想される界口の前に、普段から張り込んでいるとか。

 吹けば飛ぶような小妖種の護衛など、心もとなさ過ぎるが、皐月の動向の監視や連絡係としては事足りるだろう。すでに子分を自称して懐に潜り込んでいるわけだし、どれくらい使い物になるか、いっそ、こちらで試してみるのも面白いかもしれない。


「台閣の爺共がうるさくてな。今のうちに一目でもいいから、あいつの顔を拝んでおきたいとかなんとか…」


「参殿させるの? それが明後日ってこと?」


「ん~……」


 できれば、今のあいつを、あまりつつかないで欲しいのだが、そこまで心を広くもたれても逆に困る。


「いずれにせよ、今日明日中には無理だ。もう少し落ち着いてからになるだろうがな」


 啓は何も意見しなかったが、最後まで今一つ納得できない顔をしていた。



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