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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第二鐘 ◇ 白黒 ――――――
122/194

◍ 蝗雲の行方


   *



 少し時を遡る。九月二十六日――。


 華瓊楽カヌラ国王都、李彌殷リヴィアンの東――昼の台求郡城下にいつもの長閑な光景はなかった。


 切りそろえられた長い長い黒髪。東扶桑ひがしふそうの姫君のような射干玉ぬばたまのそれが、すさまじい風に躍り上がっている。

 まるで、西北の神典や絵画に伝えられてきた蛇髪の魔物。あるいは、東南の英雄伝説に登場する八頭一体の大蛇のよう。

 だが、その頭髪を持つ女は、紙のように白い肌に、柳色の女神の衣をまとっていた。

 

「 “フイ” ……」


 凛と呟く唇は薄く、か弱そうな細身の若い女の見た目で、髪飾りなど、特別煌びやかなものは付けていない。ただ、柳色の大袖を翻して放っている神通力は相当なものである。


 黄金の鎖と化しているその力が、 “回れ” の一言をもって、土くれだけになった田の上空に巨大な繭を作り上げていた。

 周囲のあぜ道で見守っている農民たちは、自らの土地の按主アヌスが降臨しているこの光景が、豊穣祭だったらよかったと思わずにいられなかった。


「これで最後だろうか……」

 

 誰かの祈るような呟きが聞こえたが、頭をぼさぼさにしている男たちは皆、茫然と立ち尽くすのみで、反応する気力もない。


 ドカッと落ちると、繭は左右に揺れ動く。中には稲田を壊滅させた、悪魔のような大量の羽虫が入っている。






   ×     ×     ×






 

「こちらです……」


 肩越しに言いながら先を行く案内人の農夫はしかし、どこか不安げな面持ちで頼りなさ気だ。

 いや、悄然としていた。それもそのはず。今朝まで青空に輝かしいほど干してあった稲架の米を、突然飛来した羽虫の化け物に食い尽くされたのだ。


 台求郡を悪夢が襲って、まだ数刻しか経っていなかった。啓は気安く励ますのも躊躇われ、ただ後に付いていく。

 四ヶ月前、畝閏セジュン鎮帥に後始末要請を受けた時と同じ流れになるはずだったが、今回は気になる話を耳に入れられた。


 何の変哲もない、李彌殷リヴィアンと台求の間にある周囲より少し高い山――。登り始めて半時ほどになるか。道は徐々に細くなり、傾斜がきつくなってきた。

 左手の崖は見上げるほど高く、右手の谷は日が差し込む余地がないほど、高木が茂っていて暗い。

 何が潜んでいてもおかしくないのは確かだが、この程度の雰囲気なら、普通の山と言っていいだろう。現に、「ひとっ走りしてくる」と飛び跳ねながら偵察に行ったスマートな白熊――のような白い狼が、まったく変わらぬハイテンションで戻ってきた。

 

「ただいま帰ったぜい! ゼィ……」


 息は切らしているが、楽しかったらしい。キラめいている。


雅委ガイっッ!!」


 もう一匹は、雅委を追いかけて走り出した時よりも叱責を大きくして帰ってきた。


礼寧レネイ、お疲れ様。どうだった?」


 啓に榛色はしばみいろの半眼を向けた礼寧レネイは、狐のような犬のような動物の顔でも、うんざりしているのがよく分かる表情で答えた。


「どうもこうもないわさ。雅委のバカ野郎がムダに爆走ッ……じゃ、なくて」


 咳払いをし、色を正す。


「怪しい臭いは何も……」


 言いながらくるりと一回 “お回り” をすると、真っ白な尻尾と毛皮の特徴だけ残し、いつもの若い女の姿に変化した。


 まじない的な意味合いが見て取れる山岳民族のいで立ちで、礼寧レネイは銀色の長い髪をうっとうし気に払う。

 秘境に数えられる晒し野村を目指した過日のように、険しい旅路を強いられたり、捜索が必要な任務には、彼ら白神狼の脚力と嗅覚が大いに役立つ。元来は “送り狼” と言って、登山者に恐れられる山の主であるが――。


 雅委は三又の尻尾を一振りして大団扇の風を起こすと、銀髪を逆立てた青年になった。


「本当にここなのか? いなごの大群が消えたってのは」


「本当です。間違いありません」


 少し先で立ち止まっていた農夫が、さすがに語調を強めた。


「私は通りかかった馬子の馬を借りて、稲架に干してある稲だけでも急いでしまうよう、周辺に呼び掛けに走ったんです」


 その途中、妙な現象を目撃した。


「赤い光が、この山の辺りに吹きあがって……」


 なんだろうと怪しく思ったが、寄り道をしている場合ではなかった。

 台求を襲ったのとは別の群れなのか、二手に分かれたのか、後を追ってくるように見えていた空を濁す虫の雲はしかし、気が付くと忽然と消えていた。

 長閑のどかな山と空の合間に、白雲だけがのったりと漂う景色しかなく、呆然とさせられたのだ。


 そう訴えながら、農夫が一気に駆け上った山道は崖の先端に達していて、下界一帯を見張らせるようになっていた。

 彼の隣に並び、百八十度くまなく目を凝らしたが、啓には同じような小山がぽこぽこと苔庭のように広がっているだけに見えた。 



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