表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第二鐘 ◇ 白黒 ――――――
120/194

◍ 無邪気な少女の行方


 健二は美味しい昼食に夢中となって長居したことを、より一層後悔することになる。

 ほんの小一時間ほどの差であった。渦中の人物が帰ってきたのだ。ガラっと開いた引き戸の音の直後

  

  ズたんッ。



 派手な物音を聞いた茉都莉は、居間の入り口から半顔をのぞかせた。

 そこでは、玄関の上り段につま先をぶつけたらしい皐月が、無言で痛みに耐えている。

「ホントだ…っッ!!」――と思わず声を上げてしまいそうになりながら、茉都莉は彼の帰宅を察知してくれた人物を振り返り、早く隠れてっ! というジェスチャーを


「なにしてんの」


「ギャあーーあああぁぁッッっ!!」



 ジャスチャーからの正拳突きをぶっ放した。


 茉都莉は見下ろせるほど小柄な体に、パチンコ玉と同等の瞬発力を秘めているため、驚かせると、しばしばこういうことがあり得る……。

 いきなりぶん殴られた自分の顔面と、もう一方の手で彼女の脳天を押さえつけ、皐月は壊れた目覚まし時計が起こしているような連打パニックをなんとか鎮圧。



「……あれ。井上? なんだ、また来てたのか」


 皐月は茉都莉の過剰反応を、井上が上がり込んでいたからだと解釈した。なんだかんだ言って、受け入れているのを知られたからだと。


 そう。居間にいたのは玄静と井上、そして何故か慌てていた茉都莉のみ。



 これ誰の? と、妙なところに置かれているちゃぶ台上の麦茶をとって尋ねながら、皐月は健二に片眉をつり上げた。

 なんだか様子がおかしい。健二が浮かべているのは、いつもの苦笑いではなかった。腹でも下しそうな蒼白の顔をうつむけ、口だけ笑みの形にしている。歓迎のお持て成しと見せかけて、茉都莉たちに何か良からぬ物でも食わされたのだろうか……。


 今更ながら、須藤家の秘密を知ったクラスメイトの口封じ最中だったのか――?

 問うように視線を送ると、普段はふてぶてしい玄静が、これまたぎこちない反応を見せた。


「……お帰り、皐月。 “あっち” の用事は、もう済んだのか?」


「当分済みそうにないから、ちょっと昼休みに帰ってきた。みたいな――?」


 あまり長居はしていられないのだ。必要なものを調達したら、すぐに戻るという約束で、半ば一方的にとんずらこいてきた。


 そう淡然と返し、居間を出て階段を上っていく皐月の足音を聞きながら、玄静は安堵のため息を漏らした。

 外の茂みをチラリと見やると、薫子が険しい顔をのぞかせている。これまで茉都莉と二人、どんな思いで彼女と向き合っていたのか、話し込んでいたのか、知る由もない皐月は、一体何を求め、戻ってきたのか――……。



     |

     |

     |



 茉都莉も気になって、そろり、そろりと階段を上って行った。

 物音がする二階の六畳間をのぞくと、なぜか押入れに頭を突っこんで、埃と格闘している姿がある。


「――……ねぇ? どれくらい、こっちにいられそ?」


 茉都莉は不安と自制とが合いまったか細い声で尋ねた。

 つま先で、襖の桟をなんとなく撫で、撫で。

 幼い頃とまったく同じ仕草をしている自覚がある。顔半分だけのぞかせて、この部屋に住むことになった黒猫のような彼を、じーーっと見つめ続けた。一緒に遊びたっかたのだ。



「さぁ。分からないけど、たぶん夕食はいらない」


「ふぅん……」


「なに――?」


 皐月は押し入れを漁りつつも、こちらに意識をこらしている。


生憎(あいにく)、俺はお前みたいなタイプのお節介じゃないし、誰にすがられようと、何を拝まれようと、絶対に断れないほどのお人よしでもない。言うだけ言ってみればいいだろ」


 動くとすれば、あくまで自分のためだ。どいつもこいつも、無駄に問題をややこしくするくらいなら、そのままじっとしているか、すぐに無理だと投げ捨ててよこせばいい。捨てる神あれば拾う神あり、という言葉を知らないのか。


「拾うか拾わないかは、俺が決める――」



 肩の埃を憤然とはたきながら、押し入れの中でブツブツ言っている様子を見つめ、茉都莉は想像を膨らませた。

 界境とやらを超えた向こうで、何があったんだろう――……。私がただのぐうたらだと思ってきた幼馴染は、実は何をしていて、何に背を向けてきて、何に向かい合わなければならないのか。どれだけ大きいものと、向き合わなければならない存在なのか……。



「なんのお願い――?」


「え…?」


 茉都莉は我に返って、再び逡巡した。


「ああ、えと――……」


 歩み寄ってくる皐月の体が――影が、迫ってくるように感じる。

 半開きだった襖を全開にして、近すぎるほど目の前に立たれ、茉都莉は皐月の無表情を見上げたままでいるのが、なんだか恥ずかしくなった。

 入ることを阻まれているようだが、実は、逃げ帰らないよう捕まえられた気がして――。


「ほっ……本当に、お願いって言うほどのお願いじゃないの。ただ――…、楠生くすお神社のお祭に誘おうと思ってただけで。ダメっ? それともイヤ?」


 人ごみが嫌いなのは分かっている。今年はとりわけ盛大なのだそうだ。屋台を見てまわるなんて、論外かもしれない。


「小さい頃は、それでもよく一緒に――……」



 しどろもどろになりかけている茉都莉の一言一言が、何とも言えない。

 無言に陥った皐月は、のろのろと階段脇の窓を見やった。

 必要以上の日差しと、必要以上に青い空。白い雲―――。相変わらず夏の気配はうっとうしいが、晴れてくるにつれ、不思議と気持ちが落ち着いてくるのが分かる。


 皐月は左手の中の物を見た。ひどく薄汚れているが、一応、野球用のボールだ。

 子どもの頃、茉都莉を相手に、よくこれでキャッチボールをしていた。さすがに今となっては不用品。今後の茉都莉とは、別の形でのキャッチボールのほうが重要になってくるかもしれない――……。



「……別にいいよ。でも、行くなら早くしてくれ? こっちは今、ただでさえ引っ張りダコ状態だから」


 そうポケットにボールを突っこみながら、横をすり抜けて行く。相変わらずのぶっきら棒な言い方でも、茉都莉は感動を覚えたようにはしゃぎ、とびっきりの笑顔でうなずいた。


「うん…!」





   ×     ×     ×





「待ってよ皐月……!」



 話を聞くに―――、二人は “従兄妹いとこ、兼、幼馴染” ということになっているらしい。身元不明の元孤児(みなしご)と周知されると、彼の怪しさがいっそう際立ってしまうためか、皐月は茉都莉の叔母おばが遺した一人息子を演じてきたそうだ。


 薫子はサングラス越しに、真摯(しんし)な眼差しを注いでいたが……。少し下にずらして、半眼をのぞかせた。

 商店街のアーケード下にひしめく無数の笑顔を目の当たりにした皐月は、精神的に瞬殺され、わずか一秒で踵を返した。



「ハイ撤収撤収。お疲れ様でした帰るぞ」


「だから混んでるって言ったじゃんッ! でも、その気になってくれたんじゃんッ!! ちょっと待ってってばあっッ!」


「ここの人間の頭数は、俺の許容量キャパシティを遥かに超えている。今日のところは見逃してやる」


「見逃さないで向き合っていいからここはっッ! むしろ立ち向かっていいところだからあーーあっッ」


「お前こんな公衆の面前で俺に断末魔を上げさせたいのか。歩行者天国ってなに、意味わかんないんだけど見た限り地獄絵図だし、数多の歩行者によって作り出されている八大地獄めぐりの何物でもない俺にとっての屋台巡りなんて抜け出せなくなる輪廻転生の渦巻きそのものでしかないよ、目が回るよ洗濯機にぶち込まれるくらい無事じゃ済まないよたぶん」


 茉都莉を引きずっている皐月の横には、ぐるぐる流れるスーパーボールの屋台がある。


「ほらおいで! こっちはリンゴ飴だよ!? あっ! あっちにはチョコバナナがあるよ~…っ!?」


 茉都莉は通り沿いの屋台から屋台へ、目をキラキラさせて瞬間移動していく。皐月は一ミリも動かない。

 人込みに紛れ、様子をうかがっている薫子は舌打ちしていた。やっぱり彼は、彼でしかないのか……。もしかしたら、違う一面が見られるのではないかと期待したのに。


 そう、自分はこう見えて、他人の恋愛事情や、恋人関係に発展しそうな男女に、すぐさまアンテナが立つタイプなのである。(尾行なんかして、ごめんなさいね、茉都莉ちゃん。でもこれは、私の務めなのよ…!)


 いや、個人的に色々と思うところあって、助太刀することに勝手な使命感を抱いているだけだ。

 実は、花人と関与することに迷いのない人間は、 “常葉臣ときわおみ” にもなりえる貴重な人材と言えるのである。

 花人だとしても只者ではない上、性格に難ありなあの皐月と、従兄妹を演じ続けてきたという十六歳少女の行く末、どうも気になって仕方ない……。




「――茉都莉ッ」


 子供ではないのだから、野放しにしても問題ないとは思うが、静止の声が届かなくなり、見失って、皐月は頭をかきむしった。

 つと、ぶつかった相手を肩越しに顧みて、同じように見返してきた相手に、皐月は「ゲ…」という顔をした。


「じゃないだろうこの(けだもの)ぐあーーーあああッッ‼」


 遭遇したのは、茉都莉の父――辻村文蔵(つじむらぶんぞう)。この熊親父(オヤジ)だけには獣呼ばわりされたくないのだが……。



「貴様ッ、性懲りもなくひとの娘とこんなところでまさかデデデデっッ、デえーーーっッ」


「とりあえずいったん落ち着こうかおじさん」


 首をへし折ろうとしてくる血管バキバキの上腕二頭筋をぺしぺし、どうどうと叩き、皐月は文蔵禁断の妄想を切って捨てる。


「お前ごときチャランポランラン男にこの俺の手塩にかけた愛の結晶は死んでもくれてやらな…」


「意味わかんないから。お願いだから静かにして」


「文蔵さん? ……あっ、文蔵さん! やっぱりぃー。んっもぉ~。どこ行っちゃったのかと、心配したじゃなーい」


 ほっと胸を撫で下ろしながらやってきた妻に、迷子になっていた文蔵はむしろ硬直させられた。

 一本おさげに結んだ黒髪に、白地の浴衣。内輪(うちわ)をもった姿が、まさしく清涼な彼女の登場に、屋台の風鈴も鳴る。

 かなえは、夫がヘッドロックしていた相手を見て目を丸くした。


「あら、さっちゃん! どうしたの?」


「おじさんに殺されかけてるの」


「ヤダ大変」


「大変なんだ母さんッ、茉都莉がまたっ…――」


 看護師という仕事柄のせいか、叶は変に肝が据わっている。病気や怪我に関わること以外は、本気で大変だと思わないから困ったものだ。




 男の子だったよ、と。

 


*――茉都莉が池で見つけた子ね……?

   髪が長くてかわいかったけど、男の子だったの 

 


 十二年前、叶がそう教えると、自分で蹴ったボールを追い回していた幼い娘が、きょとんとして止まった。

 文蔵もそれを聞いた時は驚きよりも、むしろ好都合だという思いのほうが勝った。



*――元気になったみたいだから……、会いに行ってみる?


*――いく…!



 茉都莉の遊び相手には、年上の男の子くらいでちょうどいい。

 実は代々、空手道場を営んできた辻村家に後継ぎとして生まれた文蔵だが、愛娘のやんちゃぶりには手を焼いていた。

 しかし、息子同然と思い、茉都莉以上に鍛え上げてやろうと関わっているうち、考えが変わった。こいつはダメだと―――。




 皐月は文蔵の相変わらずな心中を見抜いているように、不敵な笑みを浮かべた。


「そうそう。茉都莉から目を離したらダメだ。大変なことになる。―――ね、おじさん」


 完全な迷子になってしまわないよう、俺が気を付けておいてあげるから



 解き放ってくれ。



 頼もしいことを言ってくれる腕の中の少年が、人間界に迷い込んでいる獣―――いや、得体の知れない魔物にしか見えない文蔵は、どうしたもんかと太い眉をひくつかせる。なにより、



 娘もろとも、迷子になる予感しかしないのだ……。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ