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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第一鐘 ◇ 道のり ――――――
12/194

◍ 第一発見者


 これは、四ヶ月前のことだ――――。 



     :

     :

     :

     *



 キラキラと揺れる天上から、黒い羽が一枚、大きく浮き沈みさせている胸元に舞い降りてくる。


 自分が鳥を驚かせるほどの大声を出したことに気づくまで、大分かかった。


「…っ――…」 


 頭が痛い。

 皐月は情けなく震えている右手を持ち上げ、目元を覆った。


 夢から覚める直前―― “見ろ” と訴えられた瞬間、まぶたの裏に焼きついた “自分を見据える紫色の瞳” と、万華鏡のように幾重にも交差する “花紋” の残像が、緩慢(かんまん)に回っている。


 それはさながら、飛びだす絵本のように展開される不思議な夢で、最奥の闇にはいつも白い衣をまとった青年が(たたず)んでおり、彼は光に背いていた鏡の如く、こちらを向こうとするたび眩い閃光を放つのだ。

 肝心の顔が拝めない上、お陰でしばらくは動けそうにない――――。









           ――――【 悪夢 】――――



 皐月は舌打ちした。


「くそ――……」


 風が通り過ぎ、さやさやと触れ合っていた木々のお喋りが止んだ頃、ようやく片肘をついて、地べたから上体を起こせるようになった。


 頭上で戯れあう幾重もの樹冠の隙間には、透き通った淡い色の空が垣間見える。

 随分と爽やかな森だ。適度に明るく、おのずと気持ちが安らいできたが、どうやら頭を打ってしまったらしい。


「っ…、――…」


 思考回路を、黒い影のようなものが、サッと断ち切った。

 わが身を襲った一連のエピソードが車輪となり、脳裏を巡る速度を上げていく。

 岩壁に覆われた道の奥――さらに奥の、濃密な闇に向かって息苦しさが増していき、巻き添えをくって、ともに奈落へと吸いこまれる細かい砂粒の乾いた音が、静止を叫んでいた誰かの声に重なってよみがえった。



*――須藤くん……っッ!!



 普段はしどろもどろに()えていくような喋り方しかできないくせに、耳朶(じだ)を打ったそれは叱責のようにも聞こえた。


「井上……?」


 一緒にいたはずのクラスメイトの名を呟き、辺りを見渡すが返事はない。


 八曽木(やそぎ)市立北船田(きたふなだ)高校二年A組、井上健二(いのうえけんじ)

 彼と同じクラスに割り振られたがために、始業式の初日から今日まで、最悪な気分が続いている。


 皐月は深い草藪に面した洞窟の入り口に倒れていた。

 いや、出口かもしれない。似てはいるが、ここは先ほど井上に案内されて訪れたところとは、まったく別の洞門だ。


 周囲の森の雰囲気も微妙に違った。きっと、新緑の瑞々しさが眩しく見えるせいだろう。残念ながら、先日の嵐のせいでお花見シーズンは想定よりも早く終わってしまったが、そこかしこの桜の根元には、まだ散り花が雪だまりの如く残っていた




 はずだ……。


 皐月は冷静になるにつれ、逆に混乱してくる頭の後ろをわしわしと掻きまわす。

 巡らせていた視線の先に、どういうわけか、紫色の野藤を絡めている樹木を見つけたのだ。

 房同士が喧嘩をして、少し重たそうに揺れている。


 ふと、妙な感触がすることに気づき、手を止めた。

 頭の中だけでなく、現に何かが首の後ろでこんがらがってきている。


「……。」


 嫌な予感がして、恐る恐る腰をひねっていくと、案の定、黒々とした長いものが、背中を覆っているのが見てとれた。

 ハッ!! と前に向きなおるや、皐月はすかさず引っ張った襟元から、Tシャツの中をのぞきこんだ。


「っ!?」


 顔を跳ねあげると、今度は左右を振り向き、後ろを振り返り――



     |

     |

     |

 


「何か探してるみてぇだな……」


 灌木(かんぼく)の茂りの中から、そんなふうに見て取った二対のどんぐりまなこは、チロリと視線を合わせた。


「それにしても、様子がおかしいっスねぇ、兄貴ぃ……」


「相当の勢いで転がり出て来たからな。頭の打ちどころが悪かったのかも…」


「まさか。そんなドジ踏む人じゃないっスよ。相手を誰だと思ってるんスか?」


 自分のことでもないのに、なぜか得意げな物言いをされた “兄貴” が舌打ちを返した。


「んなこたー、おめぇに言われなくても分かってんだよぅ。だが、どうも()せねぇ……」



 光のこぼれる枝葉の隙間から、もう一度、金色の片目をつむってのぞき見る。


「なんだろうなぁ。ちょっと印象が違う気がぁ~……」


 以前、越境人の格好をしてるのを見かけた時は、やはり何を着ても似合うと言うか――……、精悍な男だなと感心した。


「下に穿()いてるのは “ジーンズ” だろ? 上着は~…… “パーカー” ってやつか」


 派手な装いでないことに変わりはないが、どうも違和感がある。


「でも、あの長い黒髪」


「ああ。間違いねぇとは思うがぁ……」



     |

     |

     |



「――……?」


 皐月はふと、瞬きをした。


 気配を感知されたことに気づかぬまま、茂みの中の会話は進む――。


「とにかく、話しかけてみましょうよ!」


「仕方ねぇ。不躾(ぶしつけ)だがぁ、本人だったとしても、即効で平謝りすりゃーなんとか…」


「誰だ?」


「どあああああああァァァァァ……っッッッ!!」


 そろって絶叫すると、彼らは隠れていた茂みの葉を突き破った。実は、現状況に陥った時から相当ビビっていたらしい。


 その勢いには驚いたが、皐月はすかさず頭上を振り仰いだ。呼びかけた時点で警戒態勢を取っていたにも拘わらず、反応が追い付かなかった。

 一瞬焦ったが、とらえた二つの黒い影は、想像していた人型ではなく、なぜか点のように小さかった。光のあふれる木々の梢に近いところから、ゆっくりと弧を描き、めいいっぱい短い手足を広げて降ってくる。


「お許しおおおおおぉぉーーー……ッッッ‼」


 見上げていた顔に、迫ってきた一体がバフっ! と音をさせてくっついた。


「お許しおぉ~~~んっッ!」


 続けざまにしがみついたもう一体が、ぶら下がるや、激しく足をばたつかせる。


「オイラたち何もしてないでやんすぅ! 殺さないででぇ~~んっ」


「おいッ、こらバカ野郎っ! 俺の背中に鼻水なすりつけんじゃねぇッ!」


「だって兄ぎぃ~~っっ」


「…………。」


 得体の知れない二つの毛玉に突然視界を奪われて、それでも微動だにしなかった皐月だが、あまりにうるさいやり取りを聞かされているうちに、だんだんといら立ちを覚え


「おわわ…っ⁉」


 仰天して慌てふためく声を黙殺し、わしづかむや、思いっきり振りかぶって



     |

     |

     |



 ぶん投げた二匹の頭部から、シュウシュウと糸のような白煙を上げさせた。



「だ…、大丈夫かー助坊ぉ~……」


「~~……い…、(いちゃ)いでやんちゅぅー……」 



 ぶち当たった木の根元までずり落ちてくると、二匹は仲良く大の字にひっくり返った。



「なにお前ら。ネズミ……?」


 皐月は尋ねながらも、実はたいして興味がない。爪を立てられていた自分の頬の方が気になる。


「ぅう~っ…、ヒドイじゃないっスか! 花連の旦那あっ!」


 すかさず跳ね起きたピンクのネズミが、膝元に駆け寄ってきた。大粒の涙を落とし、他人の手を勝手に持ち上げたかと思うと、瘤をナデナデさせてくる。


「だんな? 旦那ってなに。俺のこと?」


「あんた以外に誰がいるんスよお! 無抵抗なオイラたちを投げ飛ばすなんて、あんまりでやんす…っ!」

 

「この落とし前、どうつけてくれるつもりでいッ!!」


 よたよたしながら、巻き舌気味に詰め寄ってきたブルーのネズミが、最後の一歩を踏みしめて凄んできた。威勢がいいところを見ると、千鳥足なのは瘤の痛みというより、重みのせいだろう。


 半眼でじーっと観察し尽くした皐月は、思わず呟いた。


「……ネズミの世界にもいるんだ、不良って…」


「はあァっ⁉」


「そういえば普通じゃありえない毛色だな。染めたの――? なに考えてんのお前ら。これじゃ猫とか鳥に狙ってくれって言ってるような…」


 ブルーは次の瞬間、落雷が背筋を駆け抜けたような顔をした。


「な…っ⁉ ああっ、あんた……っ!!」


 剥きだされたその目に映る自分の顔を見つめ、皐月は思う。我ながら、静かに地を見下ろす仏像のようだ。





「一体…………どこの “誰” で……?」





 眉をしかめるでも、首を傾げるでもなく、平然としていると、とんでもない化け物を見ているようなブルーの方がおかしいとばかり、ピンクのネズミが呆れる。


「 “誰” って兄貴、何すっとぼけたこと言ってるんです? 旦那に笑われちゃうじゃないっスかもぉ~」


「いいからお前は少し黙ってろ…っ! なぁッ、あんたよぉ! どこから来たっ? どうして驚かねぇんだ? オレたちを見て」


「どうしてってぇ……」



 しばし間を置いたが、皐月はやはり落ち着き腐った真顔で答えた。




「夢じゃないの? これ―――」



 

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