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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第二鐘 ◇ 白黒 ――――――
117/194

◍ 虫に皇、禾に火

 


「うん……? なんだ、雨雲か?」




           ――― 九月 二十六日 ―――



 田中で腰を曲げ、作業していた農夫は、ふと視界が薄暗くなったため、空を仰いだ。

 色づいた紅葉もみじの雲霞なら、相変わらず。乱立する石柱群の天辺から、雨の如く葉を降らせている。

 そこに流れている薄雲も、実際は落差のあまり噴霧化している滝の水しぶきで、荘厳な雰囲気すらある。それと比べると、あきらかに灰色っぽい怪しげな雲が、変形しながら急速に向かってくる。


 妻子らのほうが目が良いらしく、稲架とうかに稲を干す作業をしていた手と、手よりも動かしていたはずの口を、わなわなと震わせていた。


「雨雲じゃないよ…っ、父ちゃん」


 それが人原じんばらにもたらす被害は甚大だ。華瓊楽カヌラの国民にとっては、八年前のトラウマを呼び覚ます脅威の何物でもない。


 王都李彌殷(リヴィアン)に最も近い郡、台求タイキュウ

 ここは、華瓊楽有数の穀倉地帯の一つであり、四補領しほりょうと呼ばれている。

 四補領しほりょうとは、李彌殷近郊において、軍事・経済・交通面でとりわけ重要視されている要地のことだ。

 いわゆる、 “財五大仙” の神域でもあり、その信奉を守る高級官僚や豪商、神堂師の邸が集まっている。

 狐仙こせんゆかりの李彌殷の四方を、鼬仙ゆうせん蝟仙いせん蛇仙じゃせん鼠仙そせんが囲み、五大仙は飢饉から守ってくれる存在とされてきた。



 しかし――、うねりながら迫ってきた青空を濁す無数の大群が、凄まじい羽音をさせて、あっという間に農民らを呑み込んだ。ある昆虫だ。


「わああああ…っ!!」





   ×     ×     ×





「……?」


「どうされました」


 真っ赤な絨毯の上で、つと立ち止まった男は、なぜか左手の景色が気になる様子だ。

 深緑の長髪を小冠でまとめ上げたそこに、龍を模した金の簪を挿している。

 華瓊楽奎王カヌラけいおうである。


 李清頂りせいちょうの山肌に築かれた居城から、壽星台閣へ渡る閣道の中ほど。橋亭になっているそこから見張らせるのは、真下に広がる御苑の紅葉した森と、黄瑠璃瓦で統一された大廈たいか高楼の峰々。いつもと変わりない宮廷の景色である。


椋鳥ムクドリの大群のようなものが見えた気がしたんだが……、気のせいだろうか」


 側近、珠聯補長しゅれんほちょう大察――朝灘あさなだは同じ方を眺めやった。

 確かに、秋から冬にかけて寒くなると群れる習性があったと思う。しかし、取沙汰すほどの数なら、凄まじい囀りがするはずである。


「気のせいでしょう」


 大した関心を示さないまま、朝灘は華瓊楽奎王を置いてさっさと歩きだした。こういう無礼を毛ほども気にしない豪胆な国王なので、世間話程度(レベル)とはいえ壁合院へきごういん※【王の諮問機関】の連中との会合に遅れるよりは、まったく問題ない。


 大旱魃以降はとりわけ注目度が高い米の予想収穫量について、そろそろ公表しなければならない時期だ。昨年通り、九月末を目途に、最終的な作柄概況さくがらがいきょうの報告を戸部から受けることになっている。


 特に重要なのが蔓垂河まんすいがの源流に近い西の関印経済圏と、末端に当たる東の詩六経済圏。そして、中間地点の李彌殷に最も近い、台求郡城近郊の収穫量である。

 奇岩群が多い李彌殷の南にも田畑は広がっているが、ここは穀倉地帯ではない。穀倉地帯とは、「穀倉」が置かれている場所ではなく、穀物の収穫量がその農村での消費量を上回っている地帯のことで、都市部へ穀物を供給する生命線と同意である。

 ゆえに、過剰穀物を有するとはいえ、そこの農業従事者は、それなりの精神的プレッ負担シャーを負っている。八年前のような国家規模の気候変動と大飢饉に陥れば、襲撃される可能性が否めないからだ。


「――……」


 椋鳥の大群らしきものを見た奎王けいおうは、嫌な記憶を呼び覚ましていた。

 竜氏と崇め奉られる前――、八年前の自分は一介の屯田兵とんでんへいであった。

 当時、何を口にして生き延びたか。

 それは、「虫」に「皇」と書いて



 “いなご” である――。





     |

     |

     :

     *





「おお! 案外美味いぞ」


「ウソでしょえいさんっッ…!」


 八年前―――。


 俺ムリ……と、焚火に当たっている仲間の兵士にドン引きされても、武睿溪ウー・えいけいは平然と蝗の串焼きを増産し続けた。


「都の餐館でも出るだろうが。むしろ、肉より高級な虫料理もある」


「料理されてないじゃんそれっッ、せめて甘辛く煮て…ッ!! いやッ、あっさりと塩味でもいいから素焼き……いやいや半生だけは止めてッ!!」


 日が落ちれば、何も見えなくなるような場所だ。星ばかりやたらと明るく、頭上では天の川が大河の様相をなしている。

 だが、睿溪らは赤茶けた大地に、敷物も敷かず胡坐していた。

 見渡せば、点々と木の影に囲まれてはいるが、夜が明けると丸裸の白茶けた枯れ木地帯が一望できる。そんな崖上で、車座くるまざになって騒いでいた――。



「毒がないものなら、火を入れさえすれば大抵食える。餓死者を出さない工夫をしなければ、鬼魅が人肉の食いたい放題でウハウハになる。連中を寄せ付けないためにも、お前ら絶対に死ぬんじゃないぞ」


 と、いうわけで食え。栄養満点だ。


「畜生おおぉぉっっ~~……」


 旱害被害が最初に見られた華瓊楽国の北東――変天地域から、被害は瞬く間に西へ飛び火した。

 元来、広大な草原地帯である変天に対し、こちらは砂岩だらけの遠隔の地。兵士は、普請に従事する罪人が良からぬことを企てないか見張り、防衛しつつ、この過酷な環境下に、新天地を開かなければならない。



「せっかく大規模な治水工事までして、田園作ったってのに……」


「まさかの大旱魃。そんでもって史上最大規模の蝗害こうがい発生」


「待望の収穫前に全滅させられちゃ、さすがに滅入るよな……」


 蝗害はそもそも、大旱魃の後に起きやすい。さらに言えば、八月はただでさえ旱魃に見舞われやすい。

 いわゆる水霊ミズチの情緒不安定によって、極端な少雨、大雨が巡る年は、まず蝗の天敵となる動物が干からびて減少し、次に餌となる草木が潤いを得て増える。昆虫が大量繁殖する環境が整うのである。


 旱魃自体は、祈雨など、諸々の祭祀により改善した。砂漠化が止まった地域もあるが、全体的にはむしろ悪化している。その過程で蝗害までも発生してしまい、一日に三十八里、隣の州にまで移動可能、繁殖力と食欲旺盛な最強羽虫に、各地が次々と襲撃を受けていた。


 こんな辺境にいても、各城隍神(じょうこうしん)、土地公の悲鳴が聞こえてくる気がする。しかも、台閣は不毛地帯の進行が、少雨と無関係であることに気づき始めたが、元凶を突き止めるまでには至っていないらしい――。



えいさんがいるから、ここはなんとか耐え忍んでますけど、よそじゃ国に対する不満から、役人との間で衝突が起き始めてるとか……」 


「――……」


 睿溪は焚火をじっと見つめ、けれども今、出来ることといえば蝗を焼いて食うくらいなので、再びその串焼きを増産しにかかる。


「腹が減っては戦はできんぞ。国王様が北紫薇ほくしび萼国夜叉きょうごくやしゃに、この事態の原因究明と食糧援助を乞うと聞いた……」


 戦といっても、精神的な戦だ。俺たちの務めは、発展と教化によって平和の構築、維持に徹すること以外ない。前時代まで否定され続けていた、文治の可能性と同時に、砂漠のような土地にも、人工の穀倉地帯を切り開いて見せるのだ――。


「むしろ、今が根性の見せ所かもしれんぞ」


 移住者と先住民と罪人、様々な人種が寄せ集められている統治の難しい地域ではあるが、またすぐに、皆一丸となって開拓を再開できる日が来る。


 この時はそうだな、そうだそうだと励ましあった兵士たちだが、現実はそう甘くなかったのだ―――。





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     :

     *






 いなごは、なぜ「虫」に「皇」と書くのか―――。



 蝗害は、水害・旱害と並んで三大災害とされており、時の為政者――皇帝の存亡に関わるほどの脅威であったためだ。 


 故あって、一介の屯田兵や罪人らと、同じ釜の飯や虫まで食っていたとはいえ、為政者となる教養をまったく受けずに育ったわけではない。だが、当時はあくまでも他人事として捉えることができた立場であった。


 改元前――天文景十一年八月、大旱魃発生当時の華瓊楽国王・グエン子墨しぼくは、直ちに各対策を打ち出したが、結局、英断と評価されたのは萼国夜叉にすがった点のみ。

 後に、この唯一の加点部分すらも、うてなが元凶として絡んでいたために失点同然となり、まさに彼は揃い踏みとなった三大災害によって、失墜を余儀なくされたのである。



 秋はなぜ「秋」と書くのか―――。


 穀物を示す「禾」に、なぜ「火」が組み合わされたのか。

 それは、秋に蝗が大量発生し、収穫前の穀物を食い尽くされてしまうことがあるからだ。そこで蝗を焼き、豊穣を祈願した。


 歴史をさかのぼると、蝗を呑み込み、蝗害を止めたという国王もいたらしい。

 まさか、あの時のそんなことで、国を立て直す権威を得られたとは思っていないため、蝗が自分の治世で大量発生したら、今度こそどうしてくれようと考え込まずにはいられない。



「未だに素焼きにして食うしか能がないなんて、さすがに情けなくて言えんな」


 ため息一つ、八年前の嫌な記憶を振り払うよう歩き出した華瓊楽奎王は、この数日後、とんでもない形での悪夢の再来を目にし、愕然とすることになる―――。



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