◍ 虫に皇、禾に火
「うん……? なんだ、雨雲か?」
――― 九月 二十六日 ―――
田中で腰を曲げ、作業していた農夫は、ふと視界が薄暗くなったため、空を仰いだ。
色づいた紅葉の雲霞なら、相変わらず。乱立する石柱群の天辺から、雨の如く葉を降らせている。
そこに流れている薄雲も、実際は落差のあまり噴霧化している滝の水しぶきで、荘厳な雰囲気すらある。それと比べると、あきらかに灰色っぽい怪しげな雲が、変形しながら急速に向かってくる。
妻子らのほうが目が良いらしく、稲架に稲を干す作業をしていた手と、手よりも動かしていたはずの口を、わなわなと震わせていた。
「雨雲じゃないよ…っ、父ちゃん」
それが人原にもたらす被害は甚大だ。華瓊楽の国民にとっては、八年前のトラウマを呼び覚ます脅威の何物でもない。
王都李彌殷に最も近い郡、台求。
ここは、華瓊楽有数の穀倉地帯の一つであり、四補領と呼ばれている。
四補領とは、李彌殷近郊において、軍事・経済・交通面でとりわけ重要視されている要地のことだ。
いわゆる、 “財五大仙” の神域でもあり、その信奉を守る高級官僚や豪商、神堂師の邸が集まっている。
狐仙に縁の李彌殷の四方を、鼬仙、蝟仙、蛇仙、鼠仙が囲み、五大仙は飢饉から守ってくれる存在とされてきた。
しかし――、うねりながら迫ってきた青空を濁す無数の大群が、凄まじい羽音をさせて、あっという間に農民らを呑み込んだ。ある昆虫だ。
「わああああ…っ!!」
× × ×
「……?」
「どうされました」
真っ赤な絨毯の上で、つと立ち止まった男は、なぜか左手の景色が気になる様子だ。
深緑の長髪を小冠でまとめ上げたそこに、龍を模した金の簪を挿している。
華瓊楽奎王である。
李清頂の山肌に築かれた居城から、壽星台閣へ渡る閣道の中ほど。橋亭になっているそこから見張らせるのは、真下に広がる御苑の紅葉した森と、黄瑠璃瓦で統一された大廈高楼の峰々。いつもと変わりない宮廷の景色である。
「椋鳥の大群のようなものが見えた気がしたんだが……、気のせいだろうか」
側近、珠聯補長大察――朝灘は同じ方を眺めやった。
確かに、秋から冬にかけて寒くなると群れる習性があったと思う。しかし、取沙汰すほどの数なら、凄まじい囀りがするはずである。
「気のせいでしょう」
大した関心を示さないまま、朝灘は華瓊楽奎王を置いてさっさと歩きだした。こういう無礼を毛ほども気にしない豪胆な国王なので、世間話程度とはいえ壁合院※【王の諮問機関】の連中との会合に遅れるよりは、まったく問題ない。
大旱魃以降はとりわけ注目度が高い米の予想収穫量について、そろそろ公表しなければならない時期だ。昨年通り、九月末を目途に、最終的な作柄概況の報告を戸部から受けることになっている。
特に重要なのが蔓垂河の源流に近い西の関印経済圏と、末端に当たる東の詩六経済圏。そして、中間地点の李彌殷に最も近い、台求郡城近郊の収穫量である。
奇岩群が多い李彌殷の南にも田畑は広がっているが、ここは穀倉地帯ではない。穀倉地帯とは、「穀倉」が置かれている場所ではなく、穀物の収穫量がその農村での消費量を上回っている地帯のことで、都市部へ穀物を供給する生命線と同意である。
ゆえに、過剰穀物を有するとはいえ、そこの農業従事者は、それなりの精神的負担を負っている。八年前のような国家規模の気候変動と大飢饉に陥れば、襲撃される可能性が否めないからだ。
「――……」
椋鳥の大群らしきものを見た奎王は、嫌な記憶を呼び覚ましていた。
竜氏と崇め奉られる前――、八年前の自分は一介の屯田兵であった。
当時、何を口にして生き延びたか。
それは、「虫」に「皇」と書いて
“蝗” である――。
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「おお! 案外美味いぞ」
「ウソでしょ睿さんっッ…!」
八年前―――。
俺ムリ……と、焚火に当たっている仲間の兵士にドン引きされても、武睿溪は平然と蝗の串焼きを増産し続けた。
「都の餐館でも出るだろうが。むしろ、肉より高級な虫料理もある」
「料理されてないじゃんそれっッ、せめて甘辛く煮て…ッ!! いやッ、あっさりと塩味でもいいから素焼き……いやいや半生だけは止めてッ!!」
日が落ちれば、何も見えなくなるような場所だ。星ばかりやたらと明るく、頭上では天の川が大河の様相をなしている。
だが、睿溪らは赤茶けた大地に、敷物も敷かず胡坐していた。
見渡せば、点々と木の影に囲まれてはいるが、夜が明けると丸裸の白茶けた枯れ木地帯が一望できる。そんな崖上で、車座になって騒いでいた――。
「毒がないものなら、火を入れさえすれば大抵食える。餓死者を出さない工夫をしなければ、鬼魅が人肉の食いたい放題でウハウハになる。連中を寄せ付けないためにも、お前ら絶対に死ぬんじゃないぞ」
と、いうわけで食え。栄養満点だ。
「畜生おおぉぉっっ~~……」
旱害被害が最初に見られた華瓊楽国の北東――変天地域から、被害は瞬く間に西へ飛び火した。
元来、広大な草原地帯である変天に対し、こちらは砂岩だらけの遠隔の地。兵士は、普請に従事する罪人が良からぬことを企てないか見張り、防衛しつつ、この過酷な環境下に、新天地を開かなければならない。
「せっかく大規模な治水工事までして、田園作ったってのに……」
「まさかの大旱魃。そんでもって史上最大規模の蝗害発生」
「待望の収穫前に全滅させられちゃ、さすがに滅入るよな……」
蝗害はそもそも、大旱魃の後に起きやすい。さらに言えば、八月はただでさえ旱魃に見舞われやすい。
いわゆる水霊の情緒不安定によって、極端な少雨、大雨が巡る年は、まず蝗の天敵となる動物が干からびて減少し、次に餌となる草木が潤いを得て増える。昆虫が大量繁殖する環境が整うのである。
旱魃自体は、祈雨など、諸々の祭祀により改善した。砂漠化が止まった地域もあるが、全体的にはむしろ悪化している。その過程で蝗害までも発生してしまい、一日に三十八里、隣の州にまで移動可能、繁殖力と食欲旺盛な最強羽虫に、各地が次々と襲撃を受けていた。
こんな辺境にいても、各城隍神、土地公の悲鳴が聞こえてくる気がする。しかも、台閣は不毛地帯の進行が、少雨と無関係であることに気づき始めたが、元凶を突き止めるまでには至っていないらしい――。
「睿さんがいるから、ここはなんとか耐え忍んでますけど、よそじゃ国に対する不満から、役人との間で衝突が起き始めてるとか……」
「――……」
睿溪は焚火をじっと見つめ、けれども今、出来ることといえば蝗を焼いて食うくらいなので、再びその串焼きを増産しにかかる。
「腹が減っては戦はできんぞ。国王様が北紫薇の萼国夜叉に、この事態の原因究明と食糧援助を乞うと聞いた……」
戦といっても、精神的な戦だ。俺たちの務めは、発展と教化によって平和の構築、維持に徹すること以外ない。前時代まで否定され続けていた、文治の可能性と同時に、砂漠のような土地にも、人工の穀倉地帯を切り開いて見せるのだ――。
「むしろ、今が根性の見せ所かもしれんぞ」
移住者と先住民と罪人、様々な人種が寄せ集められている統治の難しい地域ではあるが、またすぐに、皆一丸となって開拓を再開できる日が来る。
この時はそうだな、そうだそうだと励ましあった兵士たちだが、現実はそう甘くなかったのだ―――。
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蝗は、なぜ「虫」に「皇」と書くのか―――。
蝗害は、水害・旱害と並んで三大災害とされており、時の為政者――皇帝の存亡に関わるほどの脅威であったためだ。
故あって、一介の屯田兵や罪人らと、同じ釜の飯や虫まで食っていたとはいえ、為政者となる教養をまったく受けずに育ったわけではない。だが、当時はあくまでも他人事として捉えることができた立場であった。
改元前――天文景十一年八月、大旱魃発生当時の華瓊楽国王・阮子墨は、直ちに各対策を打ち出したが、結局、英断と評価されたのは萼国夜叉にすがった点のみ。
後に、この唯一の加点部分すらも、萼が元凶として絡んでいたために失点同然となり、まさに彼は揃い踏みとなった三大災害によって、失墜を余儀なくされたのである。
秋はなぜ「秋」と書くのか―――。
穀物を示す「禾」に、なぜ「火」が組み合わされたのか。
それは、秋に蝗が大量発生し、収穫前の穀物を食い尽くされてしまうことがあるからだ。そこで蝗を焼き、豊穣を祈願した。
歴史をさかのぼると、蝗を呑み込み、蝗害を止めたという国王もいたらしい。
まさか、あの時のそんなことで、国を立て直す権威を得られたとは思っていないため、蝗が自分の治世で大量発生したら、今度こそどうしてくれようと考え込まずにはいられない。
「未だに素焼きにして食うしか能がないなんて、さすがに情けなくて言えんな」
ため息一つ、八年前の嫌な記憶を振り払うよう歩き出した華瓊楽奎王は、この数日後、とんでもない形での悪夢の再来を目にし、愕然とすることになる―――。




