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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第二鐘 ◇ 白黒 ――――――
116/194

◍ 待たれるその時と巌の友


 

   *



 真っ白な花が咲き乱れた。

 桜ではない。鶯色の若葉を吹いている。

 梨の花でもない。


 杖のように滑らかな万朶まんだに、榮麓香えいろくこうの花が白雲を成していく。

 そこで舞っているのは、 “死神” と忌み嫌われている童子。

 黒衣の袖や裾、長い黒髪を翻し、ましらのごとく枝から枝へ飛び移っては、花の雨を降らせてくれている。


 彼のあとを追いかけるように、榮麓香の大樹は蕾を綻ばせる。歓声をともなう息吹が、隆々たる国運そのものであるかのように、頭上へと広がっていく。


 *――おお…! 見事じゃ。見事……っ


 涙が出るほど美しかった。長い長い洞窟の闇から引っ張り出され、潰れかけの目に映ったその光景は、何十倍も眩しかった。

 なんとかぐわしい、柔らかな風。

 なんと心優しい、死神であろうか。


 *――気に入った?


 死神の子が歩み寄ってくる。


 *――これなら、花笠になるでしょ?


 顔を隠せば恥ずかしくないでしょ?

 今度は美味しい蓮茶と、棗大楼そうたいろうが作った焼き菓子を持ってくるよ。

 なつめは一日三つ食べれば、年をとっても元気でいられるんだよ?

 昔の話をもっと聞かせて?



 *――俺、自分の “務め” が分からないんだ……





 また、会いに来てもいい―――?





 苔むした大岩のような鬼は、この無邪気な問いに榛色はしばみいろの瞳を揺らした。

 うんと眦を細めて、何度もうなずいた。

 雲霧の狭間を彷徨さまよう子よ。


 *――ああ。いつでもおいで……




  この命ある限り―――





             待っているよ―――……。






   *   *   *






「懐かしいな…… “盤猛鬼人” ―――」


 皐月は黒い絹布のような髪を、激しい風に靡かせて立っていた。

 地上からは、この姿など、豆粒のようにしか見えないだろう高所にいる。

 城壁の姫垣よりも高い、南門の最上層に設けられた、李彌殷リヴィアンであれば “奎成けいせいろう” にあたる鐘楼の甍上だ。


 以前、城壁から眺め下す都の春は最高だと聞いたが、紅葉もみじが赤い星のように降り注ぐ、この県都の景色も悪くない。


 奎星けいせいとは、北斗七星の第一星から四星までのことで、古より文運を司るとされている。竜氏と讃えられるほどの人物となると、華瓊楽カヌラ国王はこの星の名を冠する。


 中枢的人物に似つかわしいのは、人の寿命、戦、自然現象、善悪全てに影響を及ぼす北極星だが、これを名乗る王は、この化錯界の人原じんばらにはいない。

 船乗りや、迷い人が方角を知る道標となるその性質から、神代崩壊後の無秩序な新世界で取り決めがなされ、四大巉しだいざん各国の裁きを司れる按主アヌスたちが体現すると誓った星だからだ。


 神代崩壊と引き換えに目指したものを、見失わせないため――。



「 “まつりごとすに徳をもってすれば 例えば北辰のその所に居て 衆星しゅうせいのこれにむかうが如し” ……」



 人知れず陰徳を積み、手本となって陽徳を積めば、北極星を中心に群星が廻るように、臣民はその者を王と定め、慕い付いてくるだろう。



「 “桃李とうりもの言わざれども 下したおのずからみちを成す” ―――」



 桃や李の花木もしかり。野中に黙って立っていても、優れた人格者のもとには自ずと人が道をつくる。

 そう教わった。()()()()()()()()()()()()()()



「 “教え有りて類なし” ―――」



 その者が善、あるいは悪だろうが、富者だろうが貧者だろうが、人の差とは教えによって生ずるのであって、生まれながらの差はないのだと――……。


 思い出しながら薄く笑っている皐月の前方では、黒い大津波のようにそそり立つ液体状の化け物が、天地を脅かす轟音と咆哮を上げている。

 人間など、まさに豆粒のようにしか見えない、神代の世界を彷彿とさせる光景とたいしていた。いわおの筋骨を盾として顕現した、巨鬼と共に―――。

 



 この非常事態を報せる警鐘が鳴り響くのは





       ――― 清豊明しんほうみょう八年 九月 二十八日 ―――






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