◍ おとぎ話と瞳の夢
目覚めると、誰かが一緒にいたはずだという曖昧な記憶しか無くなっていた。
何処にでもいる、ただの子どもになっていた。
闇と静寂が苦手で、本の読み聞かせを毎夜せがむような。
普通の子どもだ。妙に同じ昔話ばかり気になってしまうのも、月明かりを恋しく思うのも、家の裏にある滝の音が怖いのも、眠れない日々に悩むこともすべて。
不思議でもなんでもないと、いなされてきた――……。
:
:
:
*
「もっかい」
頭から毛布をかぶっている小さな達磨が、抑揚のない声で言う。
「よんで。もっかい」
鬼瓦のような相好を嬉しそうに崩し、今より十歳若い祖父が懐の小達磨に何度もうなずいている。
「よしよし。だが、これで三度目だぞ? そろそろ良い子は、おやすみの時間じゃないか?」
聞いているのかいないのか、足の指をいじりながらじっと待っている様子に「仕方ないのぉ」と苦笑し、祖父は三度目の朗読をはじめる。
「彼らは、とても鮮やかな瞳を持っていたという。炎のような緋色の瞳や、海のように深い藍色の瞳。夕日に染まる大地のような橙色の瞳に――…」
頁がめくられる。防虫紙の独特のにおいがするそれは、古書によくある袋綴じ。周りに散らかしたままの巻子本には、草花をモチーフにした東洋風の紋章が描き連ねられている。
そして、毛布の中の暗がりに潜み、揺れ動く
不安定な蝋燭の灯を映している、幼き日の自分の隻眼は――
不気味な玉虫色だった。
「っ…!!」
馬鹿なと両目を見開いた皐月は、予想だにしない場所に立っていた。
世界は一変し、燃え盛る異国の建物群に取り囲まれている。
頭上でガラスが砕け散る音がして、燃え尽きる寸前の柄布が降ってきていた。
どこかの街中にある広場のようだ。四方に石畳の大通りがひらけているが、二階屋根に届くほどある街路樹がすべて火達磨となり、火の粉の雨を降らせている。
それらが力尽きたように次々と倒れ、幾重にも道をふさいでいく様子に呆然としていた。
いや、信じられないのは、いきなり死ぬかもしれない状況におかされたことではない。
再び激しく窓ガラスが砕けちる音がして、反射的にそちらを振り向いた。
広がっている炎の海と街並みの最奥に、円筒状の象徴的な高閣が目に入り、その手前の景色――瓦礫の山上を見て、皐月は言葉を失った。
長い髪をヘドロのように垂らした人物が立っている。不気味な薄笑いを浮かべる “そいつ” を知っているのだ。
ホラ、来ナヨ。遊ンデヤルカラ
そいつの口が、ニヤっと笑みの形に裂け上がる。
「っ…!」
皐月は慌てて自分の背後をふり返った。
熱風が駆け抜けたそこには、後ずさる格好の黒い人影が複数―――陽炎で輪郭が揺らいでいるが、それぞれ驚愕し、恐れ、絶望しているのが見てとれる。
まずい。
皐月はそちらに駆け寄ろうとした。
瞬間、心臓が張りつめる音が鼓膜の内側で聞えた。
ドク…
咄嗟に左胸をわし掴んだが、不穏な感覚が自分を支配しようと競り上がってきて、抑えることができない。
目を見開いたまま、硬直を余儀なくされた。
*――彼らは、とても鮮やかな瞳を持っていたという。
炎のような緋色の瞳や、海のように深い藍色の瞳。そして……
場違いな穏やかすぎる祖父の声が、無神経に頭の中に流れ込んでくる。
「…め、ろ……」
*――夏山の斜面を切りとったような緑色の瞳や、
夕焼けに染まる大地を映しだしたような、橙色の…
「やめろ…っ!! なんで今さらッ!!」
逃ゲルノカ?
「違う。俺はただ…」
タダ――?
自問自答しているうちに、あっと言う間に酸素を奪われていく。
薄れたり、強くなったりする大火の喧騒の中、焦りと不安が、体の奥底からあふれ出ててきた。
コッチヲ見ロ
「――…っ…‼」
言葉にならない猛烈なものが、喉の奥を裂いてほとばしった瞬間
:
:
:
*
バタバタ――…
何かが日差しを横切り、頭上を羽ばたいていった。




