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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第一鐘 ◇ 務め ――――――
108/194

◍ 竜胆のような人?


 一体どういう風の吹き回しだ、と言いたげな半眼が、背中に据えられているのを感じる。

 一晩中悩んだ末、嘉壱はやはり、皐月を萌神荘へ連れ帰ることにした。

 何をそんなに怒っているのかと、半ば呆れられていることも分っている。


「ねぇ」


 皐月は繰り返し声を掛けてくる。


「ねぇってば」


 無視。

 山肌を登る園路を、黙々と行く。



 萌神荘はもともと、ある高僧のために、弟子たちが獅登山の地形をそのまま活かして造った庭園で、邸の敷地内とはいえ、行き先が判然とせず、不安を抱くのも分からなくはない。

 嘉壱はそれでも何一つ語らず、深い竹林の小径を歩き続ける。


 新たにロングパーカーを貸し与えられ、無理やり厚着させられた皐月は、げんなりしていた。


「なんていうかさぁ……、宵瑯閣しょうろうかくの女将とか、飛叉弥(あの人)に頭下げてまで、休養許可取ってくれたのはありがたいんだけど」


 一体どこに連れて行く気? てか俺、なにかしてやったっけ。お前に。


 襟足を掻き回してあくびをし、いつもの調子を装っている。昨日の今日だってのに、こいつは――。世話を焼かれる覚えはないってか。

 嘉壱はムッとした。


「強がりやがって……」


 過ぎて行く景色を鑑賞しながらも、どうでもよさそうな目をしているに違いない皐月だが、決して無感情なわけではない。

 わざわざ遠回しになるよう言葉を選んで、伝えようとしてきていることがなんなのかも―――、心配されたり、優しくされるのがこそばがゆいと、ようするにそう言いたいのだろうと、とっくの昔に気づいているのに――……。

 嘉壱のイライラは、自分と皐月に対するのものとがい交ぜになり、ついに吐き出すしかないくらい、どうしようもなくなった。


「少なくとも俺はなあッ、もう雨が降ろうが槍が降ろうが知ったこっちゃねぇんだよッ。調子狂うとか言って、意地張ってるのが馬鹿らしくなったんだよッ。悪いか畜生ッ」


「悪いね。ものすごく気持ち悪い。俺は……」


「うるせぇッ! それこそ、なんの義理もねぇくせに面倒事ばっかりしょい込みやがってッ、なんなんだよお前ぇっ」


「巻き込んでる側のくせに、なんなんだよってのはこっちのセリフ」


「お前が大人しく巻き込まれ過ぎなのがいけないんだろうがっッ! 関係ないなら突っぱねりゃーいいだろっ⁉ なのに、見て見ぬ振りもしぇねしッ、実はとんだお人よしだって分かった以上、他の誰がストッパーになるってんだッ!」


 体壊すぞ、マジで。


「――……」


 会話はここで途切れた。何気に最後のぼやきが一番感情的だった気がして、嘉壱は自分に舌打ちした。


 聞きたいのは、むしろこっちの方だ。

 何故そこまで取り繕う必要がある……? 花人であることも、華瓊楽カヌラの現状に関心があることも、実は他人の立場や心情を敏感に察する性格であることも――。

 何故隠す。距離を取る? それは結局、お前が “仲間” じゃないってことか――……?

 そこまで突っ込めないでもない空気だったが、皐月がしばらくして鼻から息をついたため、嘉壱の気持ちも引っ張られるように沈んだ。

 微妙な面持ちで現れた二人を出迎えたのは、萌神荘の麗しきあるじ




「―――あら、いらっしゃい。待っていたのですよ?」



 咲き切らない竜胆りんどうを竹筒に生けていた手を止めて、彼女は透き通るような微笑を向けてきた。


 北に位置する竹林を抜けた先に、茶室のような風情が漂う小さな古民家がある。花人の故郷――世界三大鬼国・うてなの次期元首である環玉かんぎょくは、普段ここでひっそりと日々を過ごしている。

 まだ少女とも取れる容貌にはしかし、艶やかな玉の如き美しさがあふれ、色白で楚々とした印象から、 “玉百合たまゆり姫” と親しまれてきた。

 近い将来、一騎当千の夜叉数万という、強大な軍事力を手中とする紛れもない一国の姫君だが、飛叉弥たちが任務に尽力できるよう、自分自身を磨く修行も兼ねて、華瓊楽カヌラが大旱魃に喘いでいた当初から生活を共にしている。



「さぁ、そんなところにいつまでもいないで、お入りなさい。外は寒かったでしょう? 今、お茶を用意させますね」


 嫌な顔をしずらい連行先だろうと予想していた通り、皐月の反応は失礼ではなかったが、何故かここ数日で一番、無表情に見えた。


 挨拶もしない彼のことを玉百合は心得ているとばかり、自らもてなし始める。座布団を押し出して座るよう勧め、火鉢を引き寄せたり、芋でも焼くかと聞いてきたり、なんだか嬉しそうだ。


 この見かけで、うてな屈指の狂犬と恐れられる飛叉弥を従えてきた彼女が、皐月の素性をあずかり知らぬはずもなく、嘉壱はいつの間にか、花人ではない玉百合までもが、物言わぬ花に徹していることを悟った。

 実は、もうずっと前から、皐月を巡って波風が立つことを想定していたに違いない。最も隠し立てをしている人物だという気がしながらも、嘉壱は立場を弁え、追及せずにきた。

 いずれ、公明正大たる常葉臣ときわおみの頂点に立ち、花人と人間の架け橋を体現してくれるだろう竜女。彼女の顔に免じて、ここは思いやりのある先輩面をしてやろうと思う――。



「どういうことだよ……」


 了見をうかがってくる横からの視線に、嘉壱は澄まし顔で答えた。


「お前は今日一日、玉百合様の側で俳句でも作ってろ。いいか、これも修行の一旦だ。静かな場所で心を鎮め、集中力と向上心を磨き上げる、あくまでも修行なんだからな! いいか、修行なんだぞッ!」


 何故か修行だということを散々強調し、最後は無骨に一礼して立ち去った。


「何なのあれ……」


 憤然としている背中は、もはや不審を通り越して意味不明だ。


「言葉で表すとすれば、たぶん…… “照れ隠し” でしょう」


「照れ隠し?」


 玉百合は、口元に添えた袖の陰でクスクスと笑った。

 過日、竹林で会った際は青碧せいへきの裳と、白鷺しらさぎの羽のような白い衣が印象的だったが、今日は鶸色ひわいろをまとっている。


「いいから。黙って彼の気持ちを汲んであげて?」


 軽く窘めるように言って、再び花を生け始めた。とりあず腰を下ろしながら、皐月は彼女の白い指先が、一枚ずつ余分な葉を落としていく様子を見つめた。

 こんなに、一つ一つの気配が感じられる場所はない。茎を挟む音も、挟んだそれが転がり落ちた後の余韻も、玉百合を取り巻くすべてが繊細に思えるが、息が詰まるのとは違った。


「――……きれいでしょう? 竜胆は真っ直ぐで、蕾も引き締まっている。凛として見えるのは、青く冷たい花色のせいかもしれないけれど」


 東扶桑ひがしふそうには、こんなふうに愛でる人もいた。





 “ 異花ことはなどもの みな霜枯れたるに

    いとはなやかなる色あひにて さしいでたる いとをかし――― ” 





「そういえば――……、あなたに少し、似ているかもしれませんね」


()()()なところが?」


 自然とはじまった会話の出だしで、皐月は納得いかない顔をしながらも少し笑った。

 玉百合は鳩が豆鉄砲を食らったように目を瞠ったが、一泊して吹き出した。肩を揺らす彼女の朗らかな笑い声が、室内を温かくしていく。

 そしてこの部屋には、自分たちの他にもう一人――……。




 〔 読み解き案内人の呟き 〕


竜胆りんどう 】とは……

「正義」「勝利」「悲しんでいるあなたを愛する」などの花言葉を持つ。

 良薬になるので、病気をやつける・打ち勝つというイメージ、

 また、群生せず単独で咲いている印象が強いことに由来。


 “他の花が皆、霜で枯れてしまっても、鮮やかに咲き続けているその姿には、何とも言えない趣がある―――”


 と、愛でた人がおりましたとさ。


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