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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第一鐘 ◇ 務め ――――――
104/194

◍ 救世主、ぶっ倒れる


          ――――【 愛楊葉児あいようように 】――――


 幼子は、黄葉した楊の葉を黄金おうごんのように価値あるものと思い込み、大切にするという。

 愚かだとは言い切れない。その眼があれば、蓮の葉が飾り置いた単なる露も、玉に見えるだろう。

 葉に落ちるたび、跳ね返る涙も玉に――……、あるいは、恵みの雨に見えるかもしれない。


 物事を見たままにしか捉えられないのは、人生を損しているのと一緒だ。 

 元来、人の眼は都合よくできている。

 捉えたいように、捉えたらいい。

 そうでなければ、やり過ごせない出来事が、山ほどあるのだから。


 世の中には、知らなくていいことも、山ほど―――。




―― * * * ――

 




 

 途中――、自分を待っている影が一つ増えていることに気づいた皐月は、少しだけ顔を上げた。


「なんだ、またあんたか」


「あ… “あんた” って、この方は―――、おいっ!」


 平然と通り過ぎていくため、さすがに慌てる嘉壱を制するように、武尊ほたかは薄く笑った。


「意外と世話焼きなんだなぁ、()()()()。しかし、あの様子じゃ借金地獄から救い出してやったとはいえ、幼心にも小僧の不甲斐なさに関しては、むしろ増す一方と見える」


「なに、知ってたの?」


「ああ、偶々見かけてな。気になったもんで、成り行きを見物させてもらった」


「ちょ…、救い出してやったってまさか」


 嘉壱はここでようやく、事の次第をつかんだ。


 武尊は深いため息とともに肩を落とした。


「そうだ。あの逸人いつとという子どもの母親にも、以前から借金があったらしくてな。取り立て屋に責められていたところを、後先考えずにカッとなった勢いで割り込んだこいつが、自分の全稼ぎを叩きつけて退けたのさ」


 よく考えれば、ちゃんとした額も聞いていなかったし、おつりが貰えたかもしれないというのに―――。


 聞きながら、嘉壱は気が遠くなってきて、目元に手を当てた。


「お前、バカじゃねぇの? マジで……」


「うるさい」


「せっかく稼いだってのに…」


「くどいんだよ。てか、なんでお前がそこまでこだわるわけ?」


 皐月はなおも立ち止まることなく、声を張って投げつけてきた。

 嘉壱も負けじと口を開いたが、ここからではもう叫ぶように言わないと届かない。

 わざわざ駆けて行ってブツブツと聞かせたいことでもなく、それをすれば喧嘩になるだろうと想像して、たちまち億劫になった。


 皐月はまた一週間働けば済む話だと言いたいのだろうが、この間からどうも気になっている。なんだかんだ言ってこいつは無抵抗というか、面倒なのか、自己犠牲で解決しがちというか――……。


 嘉壱は足元の地面を見つめ、眉根を寄せた。

 武尊は「カッとなって」と言ったが、皐月が怒りなどの激しい感情に流されるタイプの人間だったとは、俄かに信じがたい。

 本当は何が原因で、こういうもどかしいことが起こってるんだ。

 もどかしい――? そう感じている自分が、そもそもよく分からねぇ……。 


  ガシャン…ッ!


 ガラスのぶつかり合う音に、とぐろを巻きかけていた思考が断ち切られた。

 何が起こったのか、初めは分からなかった。


「さ…っ」


 目に衝撃として突きつけられた光景に、言葉を奪われた。


「皐月…っ⁉」


 嘉壱は叫ぶより早く駆けだした。しかし、動いたのは武尊の方が早かった。


 通りに戻る途中に、酒瓶の入った木箱が積み上げられていた。左側のそれにしな垂れたシルエットの肩の辺りが、弱々しく上下している。

 武尊には、彼が無理やり踏み出そうとすること―――それが無茶であることが読めていた。

 案の定、木箱の壁を突き放した体が、右に、左に、大きくふらつき


「…ッ!! ――と」


 崩れ落ちた。なんとか間に合って抱き止めることができたが、泥のように腕の中から逃げていく体の重さに、武尊は荒々しく舌打ちする。


「おいおい、意識ないぞ、これ……」


 糸の切れた操り人形を抱えたような状態で、木箱の雪崩を押し返すのは容易ではない。

 続いて駆け付けた嘉壱が、傾いている部分をどかす。のしかかっていた感覚が取り除かれていく間、武尊は剣呑な眼差しを懐に注いでいた。


 くったりと横を向いている顔は、長い髪にまとわりつかれており、首筋から胸元にかけてが、ひどく汗ばんでいる。

 対面にひざまずいた嘉壱は、その様子を見て動揺を口にした。


「武尊さま……」


「ああ。こいつめ、きつい酒でも飲んだか――?」


 もちろん本気でそう思っているわけではないことは、声色で分かるだろう。髪を掻きあげてやったところ、痛みなどを感じている様子ではなかったが、皐月の吐く息は重たく湿っていた。背中にも嫌な熱気が籠っているようだ。

 武尊が険しい面持ちをしていると、垂れていた指先にぴくりと反応があり、白い瞼が開いてきた。


「皐月⁉」


 空をさ迷わない視線が、いかにも力無い。


「あ、れ…」


 持ちあげた右手の甲をのろのろと額に当て、皐月は記憶をたぐるように呟いた。


「俺――……寝てた? 今……」


 嘉壱は安堵すると同時にいら立ちを覚えて、前髪の生え際を掻きむしった。びっくりさせんなよ、ッたく……。


「ただの寝不足ってか? 確かに目がとろ~んとしってけどッ、~~……具合悪いことくらい正直に言えよ。熱あんだろ、お前。意識飛んでた間、けっこうキツそうだったぞ」


 聞いているのかいないのか、皐月は勢いをつけて武尊の懐から起きあがった。

 不満顔で見つめる嘉壱の憶測は続く。さすがに疲れているのかもしれない。実質的に、ここでは一人暮らしのようなものだし、面倒くさいとか言って食生活をおろそかにすれば、体力だって落ちる。

 自覚はないらしいが、こいつはこの国の運命が掛ったとんでもない “爆弾” を抱えている身だ。何だかんだ言っても、無茶をさせていい体じゃねぇ。

 明日はいったん邸に戻して、普通の一日を過ごさせることにするか? 誰かしら非番を持て余すやつがいるだろう。いや、待てよ。飛叉弥ならともかく、他の五人がこいつのお守を買って出るとは思えない。

 そうだ。玉百合様にでも頼んでみるか。あの人なら快く、側に置いてくれるんじゃ――……。


 嘉壱が一人思案にくれている傍ら


「おい、大丈夫か、本当に」


 武尊はさりげなく声を掛けていた。あえて心配顔はせず、事務的な確認を入れる厳しい目を向けた。

 そっちの方が素直に答えやすいだろうと思ったのだが、どうやら存外意地っ張りらしい。自力で立ち上がった皐月は低い声を返してきた。


「平気―――」


 弱みを見せまいとするその眼は、あくまで、やるべきことを見失っていないことを示すよう、ここではない遠くの一方を睨んでいる。


 どこかで最近、見た横顔と一緒だ――。


 武尊は無論、そうかと納得してやる気になれなかったが、この場では他に言葉が浮かばず、やはり黙り込むしかなかった。



                           ◆   ◇   ◆


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