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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第一鐘 ◇ 務め ――――――
102/194

◍ 花街に豆粒


 翌日――、黄金に色づいた枝垂れ柳の葉が反り橋の上にチラチラと降り注いでいる中を、嘉壱はため息交じりに歩いていた。例の酒楼へと向かう道だ。


 俺としたことが……、うっかり忘れてた。皐月の給料日。


 短期バイト感覚で始めたとはいえ、様々な人脈と影響力を誇る下心丸見えの金持ちどもが、奨励者パトロンになりたい一心で通い詰めていたと聞くし、想像以上に稼げたと思う。

 きっとアイツのことだから、報酬をもらったと同時に、貞糺ていれいにでもそれを託してトンずらこいたに違いない。

 それを伝えた途端に、飛叉弥もペシっと額を覆った。



 *――念のため、確かめてきてくれるか……



 嘉壱は気だるげに手を挙げて応え、屋敷を出てきた。

 いるはずがない。店をのぞいて、そのまま鶴領峯にしょっ引きに行かなければならない展開は目に見えていた


 はずなのに―――。



「あれっ?」


 宵瑯閣しょうろうかくの羅帳をくぐった嘉壱は、そこに待っていた意外な光景にシパシパと瞬きした。

 盆を片手に、方卓を拭いている後姿。あれは……、紗雲さくもか?

 幻覚じゃない。確かにそこには、無言で仕事をこなす紗雲の姿がある。しかも、本格的な給仕係だ。




   ×     ×     ×




 厨房に戻ろうとして、紗雲はふと立ち止まった。

 ぽかんと半口を開けて、通路をふさいでる金髪青年に小首を傾げる。

 なんだ嘉壱か。と、ちょうど台詞が収まるだけの間を置いて、再び仕事の動作へ移った。


「おい、お前ッ!」


 と来るのは分かっていた。嘉壱が驚くのも無理はない。紗雲はあえて黙殺した。


「なんでまだここにいるんだよ!」


「いちゃ悪い?」


「や…、別に悪いとかそういうことを言ってるんじゃなくて、そのぉ~……あれ! あれだよ! 給料はどうしたんだ?」


 上手くいったら俺たち、焼き肉の食いたい放題だ~! なんて夢みたいなことを、実は本気で期待していた嘉壱である。


「もしも~し……、聞いてるのかなぁ~? 紗雲ちゃん」


「焼肉はナシ。一から稼ぎなおしだ」


「そうか。一から稼ぎなおしかぁ~。…って、はあっッ⁉」


 突然の大声に、周りの客がいぶかしげに注目してきた。……ヤベっ。嘉壱は人目を気にしながら、声を抑えて詰め寄った。


「か…、稼ぎなおしって、まさか全部パァ? なんで。どうして。お前一体なにやらかしたんだよッ!」


「別に?」


「別にって……」


 嘉壱はこの時、確かに頭蓋の内側で梵鐘が木霊するのを聞いた。なんでこんなに平然としてるんだ……? さも当たり前のように、本来の仕事以外の雑用まで引き受けているなんて、こりゃーどう考えても異常だ。茶館から酒楼に切り替わり、続々と客がやってくる日没前後ではあるが、まだ猫の手も借りたいほど忙しい時間帯ではない。

 嘉壱は鼻で息をつくと、襟足を掻き回した。


「何があったんだ――? いいから話してみろよ」


「だから、別に何も…」


 その時、店に入ってきた客の背中越しに、甲高い悲鳴が聞こえた。


「なっ、なんだ? 喧嘩か?」


「どーせまた、女でも取り合ってるんだろうさ」


「いや、子どもだよ。子どもが出てきた」


(子ども……?)


 嘉壱もそのワードを聞いて急激に胸がざわついたが、紗雲の方がやけに敏感だった。


 紗雲は通りの様子をうかがう窓辺の客を押しのけた。花街で揉め事の一つや二つは、日常茶飯事だが―――。

 驚きに目を瞠り、飛びついた窓枠を、今度は突き放すようにして裳裾をひるがえす。


「お…、おい皐…」


 じゃなかった。


「紗雲――ッ!」


 嘉壱は後を追って、宵瑯閣の羅帳を突き抜けた。

 慌てて道の左右を見渡し、数件先にある、別の店の前にできていた人だかりに飛び込む。

 ただならぬどよめきが凝っていた。




   ×     ×     ×




 ズサっ…、と


 勢いよく尻もちをついて、ゴミ袋のように放り投げられた少年は、痛がっているうちに、再び胸倉をつかみ上げられた。


「な…っ…、何すんだよ…っ!」


「おい坊主、ナメたこと抜かしてんじゃねぇぞ?」


 両足をばたつかせる豆粒少年を鼻先に据えて、雲を突くような大男がぎょろりと目玉を剥きだす。


「この方は、礼宗小司、五大仙家、ファン倫世リンセイ様のご子息だぞ?」


「れい……? せんけ?」


「科挙を取り仕切っている高官さ。黄家は李彌殷リヴィアン近郊の要所を守る神・鼬仙ゆうせんに所縁の名門。まぁ、お前のような小童(こわっぱ)には説いても分かるまい……」


頂与チョウヨ様……」

 

 気づけば先ほどまでのどよめきは失せ、周囲はすっかり傍観を決め込んでいる。

 用心棒たちに手を上げて、黄葉している柳の合間を抜け、ファン頂与チョウヨが酒楼から出てきた。

 三十代くらいでタレ目。色黒。肩につく程度の黒髪を軽くかき上げながら、余裕の笑みを浮かべている。

 いかにも気障きざっぽい素振りで、ムカつく野郎だということが一目瞭然……と、嘉壱に言われたくはないだろうが、確かに上を行く遊び人の様相だ。



「坊主、私の屋敷で、雑用として使って欲しいとのことだが」


「そ、そうなんだ! お願いだよ。なんだってやるから…っ!」


 どうか雇ってほしい。庭の掃除だってするし、お使いにだって行く。薪割りだってやって見せるし、


「そうだ! 洗濯物だって、ちゃんときれいに!」


 ぱっと、逸人は笑顔に自信を宿した。だが、果たして周囲の剣呑(けんのん)な面持ちが和らぐことはない。

 頂与はクツクツと、喉の奥で笑った。


「……冗談も体外にしてくれ。お前のような薄汚い小僧など、視界の隅にも入れとうないわ」


「な…っ」


 今度は水溜りに投げ込まれる。跳ね起きると同時に、逸人の頭を猛烈な何かが駆け巡った。

 感情が熱を帯びて、湧き上がってくる。


 頂与が店に戻っていく。

 すかさず追いかけようと踏み込んだ逸人は、ハっと息を呑んだ。

 あご先に振り下ろされた、平たく鋭いもの―――。体温が急降下していく。よく見ろと言うのか、目と鼻の先に移動してきた輝くそれは、紛れもない真剣の切っ先だった。


 恐る恐る視線を上げると、つかを握っているのは若い男で、取り次ぎを頼んだ奴とは別の凄みを持っている。

 刃そのものの如く、少しもブレのない真っ直ぐな眼。逸人が動けなかったのはしかし、その男の眼光に射すくめられてしまったからではない。


 後ろから抱きしめてくれている、人の温もりだ。 “この腕” が引き戻してくれなけれなきゃ、俺は今ごろ――……。

 逸人はその腕の主を仰いだ。助けられたと分かってはいても、何故か無性に腹が立ってきた。奥歯を噛みしめる。


 放せ――…ッ! 必死にもがくが、彼女の―――いや、 “彼” の力の方が断然強い。

 口をふさがれたまま、地面に向かって無理やり頭を押し倒された。瞬間、屈辱的な思いと涙がこみ上げてきて、足元が歪んだ。


 飛びかかって行こうとした少年を抱きすくめ、無言で頭を下げさせた女に、周囲が再びどよめきだす。


「お前は確か……」



 それ以上の追求を拒むように、宵瑯閣の踊り子奇術師―――紗雲は、さらに深々と頭を下げた。

 勘弁してくれというのだろう。相当慌てて駆け付けたらしい。突然現れた彼女に必死さを感じた頂与は、鼻で笑った。


「どうやらその坊主、知り合いのようだな……。構わん、ひょうよ。あまり大事になっても困る」


 後半は、剣の切っ先を据えている男に向けた台詞だ。ほとんどの人間には小声で聞き取れなかっただろうが、嘉壱には聞こえていた。



ひょう登剣とうけん。なんで、あいつが……)


 嘉壱は頂与が踵を返した後、馮と目を合わせたが、黙ったまま引き上げていく彼を見送った。

 頂与は、礼部大官の子息あるまじき男である様子。花街に遊びに来たのか? ならば、なぜ司憲院の手練れを連れている――?


 馮という男は “珠聯追しゅれんつい” という武闘派の監察官だ。遊神 ※【 昼夜、それぞれの時間帯に人間の善悪を見て回り、悪事を犯した者に対しては凶神となる 】を表象シンボルに掲げており、仕事柄、何かと接点があるわりに、以前から花連と馬が合わない。


 凍結していた通行人の足が、元の流れを取り戻しても、嘉壱はしばらくそこを動かなかった。

(嫌な同業者に遭っちまったな……)

 

 遊神は町中の閻魔大王と呼ばれる城隍神じょうこうしんや、検罪庁の表象となっている門神の蘇温そおん緑功りょっこうに似た職種である。彼らのように “鉄槌を下す務め” を帯びた神々の本丸を “破軍星神府はぐんせいしんぷ” という。


 花人も生まれながらの罪人と名乗りながら、長らく北紫薇穹ほくしびきゅうにて同様の役割を担ってきたが――、現状は悪を裁ける立場かとひょうらに疑問視されているし、実際、事件を嗅ぎつける嗅覚や、白黒を見分ける眼に関しては、珠聯追しゅれんついの方が優れていると思う。


 嘉壱がこの場に居合わせたのは、ただ単に、天女に化けている目の前の少年の背中を追ってきたからだ。 “夜覇王セレン樹壺ディアの花人” とされる者たちは、幅広い軍事支援に対応している分、悪者探しに特化しているわけではない。特化しているとすれば―――、




 それは、夜覇王樹壺セレンディアの地下に潜む “諜報機関の花人” である。



 

 菊島家当主である養母が以前、そこに所属していたらしいが、あまり深入りしない方がいいところだと聞いた。

 その地下組織自体が清と濁を併せ持っているゆえに、半端な眼力しかない者が踏み込んでいい領域ではないのだろう。


 表面上は悪、あるいは善に見えても、物事は水面下で何がどう繋がっているか分からない。今、目の前にあったせない構図のように――……。


 嘉壱は頂与と馮のことを、とりあえずそう結論付け、重たいため息を一つ、ようやく歩みだした。

 


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