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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第一鐘 ◇ 務め ――――――
101/194

◍ 報告 ケリゼアンの検出、と…?


 はらはらと、薄紅色の花びらが舞った。

 ふと、黄色い蝶が飛び立った。

 ひらりと、赤いもみじが池に落ちた。

 す…と、白い牡丹(ぼたん)(ゆき)が、手の平に吸い込まれて………。


 彼女はただ、溶けてゆくそれを見つめていた。ああ、この手に滴る涙は、こんなにも熱いのに。

 ああ――……。噛み締められた唇が、唯一その景色の中に鮮やかな赤を添えている。

 ねぇ……? 足が冷たい。寒い。もう一歩も、自分では動けなくなってしまったの。



 *――馬鹿。…っ……



 堪らず両腕で掻き抱いたあの日、彼女は、これほどまでにないくらい驚いた様子で、見開いた瞳を揺らした。



 *――…っ、どうして俺なんか……



 声が震えた。

 彼女はしばらくして涙を零し、そっと微笑み返してきた。



 *――信じられなかったから……



 どうしても、信じたくなかったから。そして。

 細められた(まなじり)を、真珠のような大粒のきらめきが伝い落ちる。



 *――ずっと、ずっと……、信じていたのよ?



 何も言ってくれなくていい。何もしてくれなくて、いいの。




 *――…ただ…っ…。……――





   *    *    *





「……さや、…や、ねぇ飛叉弥!」


 様々な記憶の継ぎはぎを夢に見た気がする。だが、出てきた人物はたった一人。


 同じ女―――。



「っ…?」


 飛叉弥は、弾かれたように顔を上げた。


「ただいま。例の村から持ち帰った土の件で、報告にきたんだけどぉ……」


 飾り窓から見上げた月は、いつの間にか赤味をなくして銀色に輝いていた。


「やっぱり、明日にしよっか?」


 心配そうに覗き込んできたのは、西琥珀トマンチェクの瞳―――啓だ。飛叉弥は自分にため息をついた。


「いや、気にするな。ここへ座れ」


 啓は不安げな顔をしながらも、飛叉弥が押しやってきた円座に座った。


「普段は足音だけで、誰が来たか言い当てちゃうのに。疲れてんるんじゃないの? もしかして。睡眠はしっかりとれって、いつも飛叉弥が言っていることじゃないか」


「ああ、そうだな。だが、ここ何日か取り立て屋がうるさくて、夜もろくに寝れやしない」


 一度シメたから、しばらくは来ないと思っていたんだが、あっちも仕事だ。近頃では、泣きついてくるようになりやがった。クソぅ。


「――ま。もうじき奴らも、俺との縁が切れるだろうし、そしたらその涙も、嬉し涙に変わるだろうがな」


「ヤクザが金を貸した相手から縁を切りたがるなんて、そうそうありえたことじゃないよ……。 “シメた” って、一体どんな方法でシメたんだよ……」


 啓が知りたいような、知りたくないような方法に違いなかった。


「縁が切れるって、例の九百万金瑦(クオル)の修繕費のこと? なに? ようやく返せるんだ」


「ああ。あいつの頑張り次第でな。たぶん心配ないだろう。嘉壱の話じゃー、順調に稼いでいるみたいだからな」


 アイツ?  “あいつ” って言うと……



「ぇえっ…!? まさか、そんなバカな、ありえない。てか、また来てるのか、あいつ」


 絶句する啓に、飛叉弥は得意げな笑い方をした。


「ああ、お前が釜入フールー村に向かったその日に来て以来、ずっと京城内で働きづめだ。自分が背負わされた負債のほとんどが、前回破壊した街の再建とは、一切関係ないとは夢にも思っていないな、あれは。そろそろ板についてきた頃だろう。どんな仕事に精を出しているかは知らないが……?」


 澄まし顔の上にも笑んでいる飛叉弥に、啓は目を据えていた。自分たちが知る限り、こう言う時の彼に知らなかった試しはないが、この “検査結果” に限っては、たった今知ることになる。余裕をかましてもいられないはずだ。


「ねぇ、飛叉弥……」


 啓はさらに(にじ)り寄り、手にしてきた資料を差し出した。


「……やはり出たか」


 飛叉弥は眉をひそめた。



 “ケリゼアン” ―――。


 惨殺事件があったとされる釜入フールー村の土壌から、啓が一週間ほど前に採取してきた白い粉末である。

 啓はこの粉末の正体の特定と伝言を託されて帰ってきた。燦寿さんじゅからであったが、彼は彼で、旧知の仲である畝閏セジュン土地公から得た情報だそうだ。なんでも、管理している守森壁しゅしんへきの中に、妙に立派な実を結んでいる花梨の木を見つけたのだとか――。



「頼まれた通り、すぐに調べてみた。燦寿にも会って話したが……、四ヶ月前に畝閏セジュンを襲撃した鳥妖もケリゼアンに侵されていたし、もしかしたらそいつの排泄物が偶然根元に落ちて肥やしになったか、あるいは……」


 神妙な面持ちで考え込む飛叉弥を前に、わけが分からない啓はついに、渦巻いている感覚がする中心を射抜いた。


「なんなの? この “ケリゼアン” って……」


 山岳民族の間で、自活禁止地域や惨殺事件が広まりつつあることと、動植物に起こっている不自然な巨大凶暴化などの異変は、同時進行しているだけで、あくまでも別件ではないのか――?

 花連も調査班として駆り出されているということは、黒同舟と関係があると見ていいのか。情報を共有する範囲と相手が、制限されているようだが――。



 飛叉弥は、ため息をつきつつ、膝を押して立ち上がった。


「……近いうちに、全員を集めてちゃんと説明する。とりあえず、話は薫子が戻ってからだ。ここ数日は、何が起こるか分からないと思って身構えておけ」


「また、左蓮が動き出してるってこと……?」


 沈黙が差す。


「……あいつとは限らない」


 飛叉弥は振り返らずに、一言で済ました。

 啓の物言いたげな眼差しを断ち切るように、自室を出てすぐ、


「あっ! ねぇ、サヤ兄!」


 声をかけられた。呼び方で分かる。満帆だ。

 案の定、おかっぱ頭の髪を跳ね上げながら、彼女が駆けてくるのを待って、飛叉弥は尋ねた。


「なんだ」


「ああ…、うん。ちょっと話したいことがあって……」


 満帆は若干の逡巡を見せたが、報告しないわけにはいかないことらしい。申し訳なさそうに続けた。


「実は、さ……――」



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「……なに?」


 打ち明けられた内容は、聞き捨てならないと同時に、少々驚くことであった。



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