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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第一鐘 ◇ 務め ――――――
100/194

◍ 大人な子どもに一つの教え

 

「ふえぇえんッ!」


 何事だ――? 恐る恐る顧みると、長女の捺己なつみが鼻水を噴き出している。


「おなかすいたよ、おねーちゃん」


「……。」


 物欲しげな目をして、袖を引っ張ってきたのは、次男坊の光彦(みつひこ)だ。


 皐月は困惑を浮かべた。


「あーそ……。え、気合でどうにか我慢できないの?」


「できない」


 三男の天心(てんしん)と次女の杏里あんりにいたっては、ちょうど自我が芽生え始めてくる年頃のようで、なにやら奪い合いの真っ最中。

 それにしても、うるさい……。鶏小屋のような情景を前に、末っ子の眞子まこ)だけが、幸せそうな寝息を立てている――と思ったら、いつの間にか這いだして、土間に転がり落ちていた。

 目的は、竈の前に散らばっている木炭であるらしい。先ほど水をぶっ掛けたものなので、触れても火傷(やけど)の心配はないと思うが……。


 立ちはだかった皐月は、無言でそれを家の外に蹴り飛ばした。


 もう少しだったのにと、眞子が膨れっ面で、にらみあげてくる。


「あんなの食べたって、美味しくないだろ」


「ブぅーっ!」


「ブぅーじゃない」


「あれ? なんだ姉ちゃん、まだいたのか? もうとっくに帰ったかと……」


 泣き出した眞子に気づいて、砂糖を探し回っていた逸人が顔を出した。


「なんだよその言い方。それが自分の母親を助けてくれた恩人に対する態度?」


 逸人はムッと気色けしきばんだ。


「ああ、助かったよ。ありがと! ほら、これでいいだろ? 気が済んだらさっさと帰ってくれよ! 俺は忙しいんだッ!」


 半眼となった皐月は口を開いたが、開いただけで口にするのは止めた。

 大人気ない。ここは相手の言う通り、さっさと帰らせてもらうとしよう。

 外に出て、ピシゃっというほど強く戸を閉めてやった。しかし、戸板越しに様々な雑音が背中をど突いてくる。

 天心と杏里のののしり合いが激しさを増す。

 棚から鍋が落ちる音がした。


  ガシャンッ!


 捺己の泣き声が一層。

 うぅぅ……。痛みに詰まる涙声―――。




「……………………。」


 十秒後、ピシゃっというほど強く、戸を開け放ってやった。

 気がつけば腕まくりをして、皐月は目を丸くしている子どもたちのもとへと踏み出していた。




     |

     |

     |




 さらに数十分後―――。



 タンっと座卓に両手をつき、子どもたちは身を乗りだした。


「わぁ、うまそお~~…っ!」


 実際はそうでもなかったりするが、腹減らしの子どもには、見た目はあまり関係ないらしい。ただの塩結びなのに


「いっただっきまぁ~す…っ!」

 

 目を輝かせて、一斉に振り返ってくる。対する皐月は、どんよりと暗いオーラを背負い込んでいた。普段、茉都莉まつりに、お前はお節介が過ぎるだのなんだのと言っておきながら……、まったく今日はどうかしている。

 いや、自分はあいつと違って、世話焼きなわけじゃない。



 ただ――……。


 途端に心の真ん中が、重たくなっていくのが分かった。皐月は一人だけ両手を握りしめ、きちっと正座したまま黙っている少年を見やった。

 ただ、自分は逸人(こいつ)に興味があるだけだ―――。



「いてッ!」


 空になった釜を運ぶついで、それを頭に軽くぶつけてやった。

 向けられてきた抗議の眼差しを背に、皐月はそのまま流しへと向かった。


「ぼーっとしてないで。さっさと食べないと無くなるぞ」


「おっ…、お前こそ! コイツらの食欲は半端じゃない! 片付けなんてしてる場合じゃ…」


「は?」


 皐月は釜を洗いはじめた手を止めて振り返り、鼻で笑う。


「バカかお前」


「な…っ⁉」


「なんで俺まで食べると思ってんだよ。作ったのはお前らの分だけだ。言っとくけど、毒なんか盛ってない」


 ひとを疑うのも体外にしろと吐き捨てたいところだが、かく言う皐月自身も、赤の他人がここまでしてくれた日には、絶対にそいつの意図を探るだろう。


「まぁ――? どうしても俺のことが信用ならないなら、お前は食べなくてもいいよ。腹ペコのままそこにいろ」


「…お、おい」


「んー」 


「な…っ、何しようってんだよお前! そんなところで!」


 皐月は声を裏返らせた逸人に咎められ、今度は腰帯を解こうとした手を止めた。


「何って……、風呂だよ風呂。あいつらが食い終わった後の皿は、お前が洗っておけ。俺はとりあえず、この溜まりに溜まった疲れを取りたいんだ。お前の母ちゃんを運んでくるのは、正直言って骨の折れる作業だった。汗かいたままじゃ、気持ち悪いだろ? ちょっと貸してよ」


「ば…っ、バカッ! 俺はそういうこと言ってるんじゃなくて、そそその、おま……お前は、おおおおっ、おんッ!!」


「オン……?」


 皐月は逸人の真っ赤な顔を見て、自分の格好を思い出した。

 ああ、なるほどと口端をつりあげる。


 影で呑み込むように詰め寄っていくと、逸人は面白いほど顔を引きつらせた。


「ひぃ…ッ!」

 

 次の瞬間、背後の壁に少年を追いやった天女は、がばりと着物の襟をはいで見せた。


 ななっ、なんてこったああ…ッ‼ 不可抗力とはいえ、ままま、まさかそんな…ッッ! と思っているのが容易に想像できる反応をした後、逸人は顔の前にかざした手の指をそろ~っと開き、薄目を開けた。

 にやりと歯をのぞかせた口端、さらに、白粉を塗った首。鎖骨、そして胸元の辺りに大人にもなり切れず、全くの子どもでもない視線が伝い下りてくる。



 逸人の頭の中は、文字通り真っ白になったようだ。



「………。お前、 “オッパイ” どこに落っことしてきた?」


「バカ確定するけどいいの、お前……」


「だだだだだ、だって、だって……ッ!!」


 どういうことっッ⁉

 それまで女だと思っていた相手が、実は男でしたなんて、想像もしていなかった九歳の秋であった―――。










         ――――【 長男坊は辛いよ 】――――



「やーん、逸人いつとくんのスケベー」


「うるさいオカマ野郎っッ‼」


「あのね、俺だって好きであんな格好してたわけじゃないんだよ。色々な事情があんの。……それに」


 チラっと目配せされた逸人は、皐月の言いたい事を察してハッとした。


「……あんまり大声だすなよ。やっと静かになったんだから」


 振り返ると、お妙の腹にしがみつく格好で眠っている弟妹たちが、それぞれ寝言を呟いている。


 この家は入ってすぐが土間、左手奥に板の間が一つ、手前に二畳ほどの小上がりがあるだけで、部屋らしい部屋は他にない。

 裏手の庇下ひさししたに、薪と漬物甕を並べた屋外作業のスペースがあるが、拾い物も寄せ集められていて、半ば資材置き場。そんなところに設けられていた風呂は、樽に湯を張るだけの、半々身浴にしかならない露天だ……。

 皐月は結局、お湯が沸くのを待っているのも馬鹿らしくなり、ぬるい水をかぶって出てきた。

 濡れた髪をわしゃわしゃと掻き回しながら、胡坐をかく。


 逸人は、その様子を見て半眼になった。……なるほど。言われてみれば、確かに男だ。腕も首も胴も、お妙に比べると細いが、頼りないのとは違った。



「さてと……」


 お妙も、明日には目を覚ますだろう。


「分かったら、さっさと寝れば?」


「え?」


「良い子は、夜更かしなんかしないもんだ」


 上に着ていた着物を肩に羽織っただけの格好で、皐月は大儀そうに立ち上がった。小上がりから土間に足を下ろし、ため息をつく。


「……お前さぁ」


 靴を履き終えてからも、何故かしばらくそこに座ったまま。

 逸人は次の時、ドキッとさせられた。



「なんでそんなに気張ってんの……?」



「―――」


「さっきも弟妹きょうだいみんなで食べればいいのに、一人だけ後に残った残飯みたいなの食べてたし……」


 皐月は眞子のために重湯も作った。無論、手づかみしかできない赤子は、口周り以外もべとべとにするので、食べさせてやらなければならない。それにしても、弟妹たちに食事を食い尽くされるのを黙って見ている必要はなかったはずだ。そう言いたいらしい。


 無反応というよりも、逸人は思いがけない指摘に呆然としていた。なんと返したらいいのか迷う。

 皐月はしかし、あえて素知らぬふりで、いつまででも答えを待つつもりに見える。

 しばらくして返した声には、不自然な力がこもってしまった。



「うちは――……、見ての通り貧乏なんだよ。父ちゃんが五年前に借金残してどっか消えちまってから、母ちゃんは働き詰めで、どんなに頑張っても金が足りなくて」


 だから、弟や妹たちの世話とか、洗濯とか、買い物とか、俺が変わりにやることにしたんだ。


「長男だから――?」


 逸人は黙っている。


 最初に見た時にも思ったが……。と、皐月は残念そうに肩をすくめた。


「そう名乗るにしては小さいね。豆粒みたいだよ? お前」


「う…っ、うるさいなぁ、今に大きくなるんだよッ!」


「あーそ」


 興味ないといった風に一言で済まし、戸口に向かう背中に、逸人は負けじと身を乗りだす。


「お前なんかに言われなくたって分かってるんだっ! いつか見上げられるほど大きくなってやるっ! 絶対っ…、絶対に……ッ!」


 引き戸を開けた途端、夜風の唸りに皐月の黒髪が踊り上がった。



 *――絶対に…っ。――……



「……なら、一つ教えておいてやるけどさ」


「え…?」



「ただ大きくなるだけじゃ、人間ってのは、物足りないと思うよ」




 感情が読めない声色だった。




「お前はここで、埋もれてちゃいけない―――」 



 言いつけられているのとは違う。叱られているのでもない。なんだか知らないが、じゃあ、どうしろというのだとうつむいた逸人は、答えを求めて顔を上げた。

 だが、不思議な気配をまとった背中は、音もなく、いつの間にか閉ざされていた無言の戸の向こうに消えていた。




                         ◆   ◇   ◆



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