◍ 花の雨の追憶
はじめは、誰か分からなかった。
もし “彼” であるなら――
生きて再び会うことは、もうないと思っていたから――……。
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残雪のような花弁の散り溜まりに囲まれ、呆然と立ち尽くしていた。
そよ風にも撓うほど、こんもりと花をつけた下枝が揺れる道を、絹糸のような美しい白髪をそよがせ、白い着物をまとった男がやってくるのに気付いて。
まさか―――どうして今さら。
思いがけないことに後ずさる自分とは対照的に、頭上を覆う花の雲は、ざわざわと色めき立っていく。
《 見ロ…… 》
飛花に紛れながらも、確かに、掻き消されることなく近づいてくる姿に。
《 目ヲ――― 》
その男は、ついに一歩手前まで来ると、おもむろに右手を差しいれた懐から、潜めていた物をのぞかせた。
「これを――……」
形の良い彼の唇の動きが、ひどくゆくっくりと見える。
体内から言いようのないものがあふれ出てくるのを感じて、胸が苦しくなる。
その感覚が極限に達した瞬間、ドサ…、という物音を浅い闇の中で聞いた。
何が起こったのか分からず、なぜか分かろうとする気もなくなっていく。ただただ、雪解けをもたらす陽だまりの温かさを味わうことになった。
「いいか? 大きくなったら――……っ。――……」
抱きしめてくれている相手の手は、かじかんでいるように震えていたが―――
コレヲ、オ前ニ
「お…きく……?」
コレハ、オ前ノ
「そうだ。その時は絶対――……っ」
息を呑んだ。反り身になるほど強く抱きしめられ、花散る天からの、さざ波の如く押し寄せる歓声を浴びて。
「なぁ、…… “り……が” ――……」
最後に呟かれた台詞だけは、たわむことも木霊することもなく、はっきり肉声として聞こえたのだが、
意識をつなぎ留めていた縒り糸のように、
それは、瞼を重くしていく闇にほつれ
消えていった――――。
(2021.04.01投稿)




