第2話 枷を飾りに
「さてと」
組んでいた腕を解いて、レルシュトは小さく呟いた。そして、ディルナの明るい金の髪に、爪の先で触れてくる。
途端に、ディルナの身体は、頭の先から足の爪先まで、一気に乾いた。
バサリと布でディルナは包み込まれ、浴室の傍らに置かれいるベンチに座るように促される。
「枷は、嵌めた魔道師にしか外せないんだって」
何やら、懸命に思案してくれているらしいレルシュトに向かって、ディルナは申し訳なさそうに呟いた。
「そのようだな。だが、外せぬが、出来ることはある」
レルシュトは、そう言うと、一呼吸置き、
「ディルナ、今日から、君は、我が輩の下僕だ」
意を決したように、そんな言葉を紡いだ。
「あ、拾ってくださって、有り難うございます。ボク、頑張ります!」
レルシュトは下僕と言っているが、ここまで運んできてくれたし、湯に入れてくれたし、口調は優しいし、扱いは、貴族のガラノエ家に比べて格段に良い。
「良かった。それを承知して貰えれば、この枷を、別のものに変えることができるのだ」
レルシュトは、ホッとしたように言うと、黒猫の顔に、にんまりと笑みを浮かべさせた。
我が輩の下僕であれば、力を行使できるのだ、と呟き足し、レルシュトは、まず、ディルナの首輪に爪の先を触れさせた。
見えないのだが、首を圧迫する感覚が、別の感触に変わったのは分かった。
「おう。これは、驚愕するほど美しいな。後で、鏡を見せてあげよう」
軽く手で触れると、ゴツい首輪の感触ではなくなり、もっと優しい透かし彫りのある金属っぽいような感触で、首の前の方には、何か大きめな石のような、ひんやりとした感触があった。
「金の細工に、ディルナの瞳のような、綺麗な色の宝石が飾られている。それは、ディルナの奪われた記憶の塊だよ」
「下僕なのに、こんな美しそうな飾り、付けてていいんですか?」
触って指先で辿っているだけでも、うっとりするような、綺麗な飾りに変わっているのがわかって、思わずディルナは訊いた。
「勿論」
嬉しそうに笑み含みの声で、レルシュトは言い、今度は、ディルナの両方の腕を猫の片手で掬うようにして取ると、思案気にしながら、爪の先で両の手枷に続けて触れた。
手枷は、柔らかな白いレース飾りに変わった。
少し手の甲まで掛かる、美事な模様は、いつまで見ていても見飽きないようなものだ。
「衣服の袖から見えていたら、さぞ、可愛いだろうな」
レルシュトは、満足そうにしていたが、ディルナは、ちょっと困ったような顔をした。
「レルシュト様、これでは、お洗濯とか、お掃除とかが、できません」
「そんな仕事は無いから、問題ない」
「え? だって、せっかく下僕にして頂いたのに」
「仕事のことは、気にしなくていい。そのうち、何か頼むこともあるかもしれないが」
レルシュトの言葉に、思わず瞬きしてしまう。
いいから、いいから、と、レルシュトは、笑いながら、今度は、少し屈み込んで、足首の枷を眺めた。
「足枷は、レース飾りと、金鎖と、どっちに変えるのがいい?」
レルシュトの言葉に、ディルナは少し考えて、
「首輪が金の細工なら、金鎖が良いのかな」
正直、今の枷以外ならなんでも構わない気がした。
「そうか。これは、いつでも、好きな方に変えてあげられると思うぞ」
いいながら、レルシュトが爪の先で触ると、両の足枷は、柔らかな感触の金の細鎖に変わった。
「これらは、我が輩の下僕でなくなると、元に戻ってしまうからな。それと、我が輩の爪の先で、時々、触れてやらぬと、これまた、元に戻ってしまう可能性がある」
レルシュトの言葉に、ディルナは、コクコク頷いた。
「まぁ、恐らく、外すことは叶わぬが、長い時間、この形のまま過ごせば、魔道師の呪いの大半は徐々《じょ》に解けて、少なくとも、飾りのまま、形を保つようになるだろう」
飾りの出来映えを眺めながらレルシュトは、そんなことを呟いた。
「さてと、次は着るものだな」
レルシュトは、呟きながら、その場で、何か物入れの中を探るような手つきで、空間を撫でている。
やがて、黒猫の手は、二種類の衣服を空間から取りだした。どちらも、見たことの無いような作りをしている。
「一万年以上経っている古いものだが、人間が着ていたもののようだな。スカートとズボンと、どっちがいい?」
両手にそれぞれを掲げて見せながら、レルシュトが聞く。
「スカートがいいかな」
レルシュトが頷くと、ズボンの方は消える。そして、レルシュトの手の中で、見る間に、スカートは、色合いと柄と形を変えて行った。
少しの後には、華やかなレースの襟のついた、柔らかい絹のような素材の可愛いブラウスと、幅広の帯を背中で縛る形の、複雑な青系チェック模様の、ふんわりスカートができあがっていた。
柔らかな下着も用意されていて、それらは、レルシュトが何か呟くと、一瞬で、ディルナに着付けられた。
「わぁ」
驚いて、思わず立ち上がると、レルシュトの手の内で見ていた時よりも、スカートは更に襞を増して、途中で切り換えの部分からは、可愛くタップリのフリルになっている。膝が少し隠れるくらいの長さだ。
思わず、くるりと回ると、スカートは、ふわりと綺麗に拡がった。
「こんな綺麗な衣装だと、お仕事できません」
白く柔らかな、タップリ布の使われたブラウスの袖口から、枷から変わった白レースが、とても優雅に覗いている。
「だから、仕事は良いというに」
レルシュトは笑いながらも、絹のような白い靴下と、革によく似た素材の黒い靴を履かせてくれていた。
白い靴下の上に、細い金鎖が綺麗に纏う。
履き心地の良い靴は、ぴったりの大きさで、今まで感じたことのない、しなやかさだ。
「ちょっと前髪を切ろうか」
同じくらいの身長のレルシュトは言いながら、爪の先で、ちょとずつ前髪に触れた。
眉と同じくらいの長さに前髪は整えられ、スカートと同じ布で造られている、大きなリボンのついた髪飾りが、頭に乗せられた。
「よし。これなら、屋敷の中を歩き回っても大丈夫だ。鏡を見に行こう」
レルシュトに手招きされるのに、ついて行き、入ってきたのとは別の、屋敷の中へと繋がっているらしい扉を潜った。広い廊下が三方向に伸びているのが見える。
そして、振り向くと、風呂場の扉の両脇が、大きな鏡になっていた。
ディルナは、そこに、知らない女の子を見た。
が、すぐにそれが、レルシュトに整えてもらった自分の姿であることに気付く。
広い帯が胸の下まで来る形のスカート。胸は小さいけれど、ブラウスのレース飾りが華やかで可愛い印象になっている。少し癖のある髪は綺麗な金色で、肌は白く艶やかだ。
「うわぁ、びっくりした。貴族の屋敷の鏡で見たボクの姿と、まったく別人だよ」
誰だか分からなかった、と、ディルナは小さく呟き足した。
「このスカート、凄く可愛い」
くるくる回って、後ろの方を少し見ようと頑張った。背で結ばれた大きなリボンも可愛い。
そして、何より、首輪から変わった、綺麗で大きな青い宝石が嵌められた豪華な金の首飾り。
「すごく綺麗」
思わず、見とれて鏡に近寄りながら青い宝石に触り、呟くと、何故だか涙が一筋、零れ落ちた。