エルフ少女! キッチンDIVEへダイブす!
――毒の沼地を踏破した。
――死の砂漠を横断した。
――火竜の住まう火山を登頂した。
若輩の少女ながらも、エルフ族から選抜された勇者として、リン・ワークナーは実に多くの冒険をこなしてきた。
だからこそ、分かる。
――日本の夏は、また勝手が違う地獄だ。
……と。
太陽の光は情け容赦なく降り注ぎ……。
コンクリート製の建物群やアスファルトの路面がそれで熱を持ち、巨大なオーブントースターのごとき様相を呈するのだ。
警備員制服に身を包み、ひたすらに交通整理へ従事するリンは、さながらそれで温め直される揚げ物といったところであろう。
「……死ぬ」
ようやくにも仕事を終え……。
今にも倒れそうな体を気力で支えながら、リンはひたすらに家路を急いでいた。
急いでいた、が……手ぶらで帰る真似はしない。
「警備員舐めてた……ドラゴン討伐するよりきついは、こりゃ」
今日一日で二リットル以上もの水分は補給したが……。
反面、食べ物はと言えばゼリー飲料を口にしたのみだ。
休憩時間が取れなかったとかではなく、あまりの熱射に食欲をそぎ落とされ、そのくらいしか口にできなかったのである。
さる事情により普段のコンビニ勤務に加えて始めた警備員業であるが、街中で何気なく見かける彼ら彼女らは異世界から出稼ぎに来た勇者以上の勇者であったわけだ。
「これは何か、しっかりしたものを食べないと本気で倒れるな」
東京という街は、とかく食い物屋に困らぬ場所であるが、そのいずれにも目をくれない。
勤務を終えてなお体中を巡る血流はマグマのような熱を持っており、一刻も早く冷たいシャワーを浴びて平常な体温に戻りたかったからだ。
となると、結論はただ一つである。
「今日は弁当だな……」
それも、コンビニで売ってるような申し訳程度のご飯を上げ底容器に入れた代物ではない。
もっと、原始的な食欲を満たすために生み出されたそれである。
それを売る貴重な店が、この通りには存在した。
――キッチンDIVE。
どこに発注したのか……というかここを聖地秋葉原と勘違いしていないか? とツッコミたくなる二次元美少女の立て看板を備えた弁当屋が、ここである。
『挑戦者求む1キロ弁当』という、頼もしい文字が躍るのれんの下をくぐった。
(おお……)
店内に入ってすぐ目に入るのは、テーブルの上へ山積みにされた弁当の山脈だ。
その特徴はと言えば……。
――茶一色。
……であるという点に尽きる。
――ハンバーグ。
――メンチカツ。
――アジフライ。
――唐揚げ。
奇をてらわず、誰もが好む料理を詰め込んだ通常の弁当群は三〇〇円というお安さだ。
彩りと言えば、飯に乗せられた梅干しと申し訳程度に添えられたいかにもな色の細切りタクアンくらいであるが……。
(それでいい)
……と、リンは思う。
腹を減らしてここにくるのだ。
大して腹も膨れぬおかずの点数だけを増やし、飯の量も少ない弁当に用はない。
きちんと腹に溜まるものを詰め込み、値段を抑えてくれる実直さがありがたかった。
しかし、今回求めるのはこの三〇〇円弁当たちではない。
……もう少し奮発しての、デカ盛り弁当である。
こちらの特徴は、そのまま鈍器として通用する量をもられた飯に対して、これもたっぷりと具材が乗せられていることだろう。
その具材たるや、多岐に渡る。
(ベーコン炒めにエビチリに生姜焼き……このカモスライスをズラッと並べたのも素敵)
にわかなデカ盛りハンターと化しながら、それらを物色する。
(このステーキとウナギ! すごく食べたいけど……さすがに予算オーバーかな)
デカ盛り弁当の値段は、乗せられている具材により変動した。
厚切りのステーキとウナギの欲張りセットは、流石にお値段も二千円後半にさしかかっており、今のリンには少し厳しかった。
(ん……これは……)
と、その時である。
他の弁当に埋もれる形となっていたそれを、ついに発見したのだ。
(豚すきやき!)
――すきやき!
多くの外国人がそうであるように、異世界人だってジャパニーズスキヤキは大好きである。
それが大手牛丼チェーンの並盛二杯以上はあるという分量でお値段千円なのだから、お買い得という他にない。
(今日はこれだ!)
揚げ物の国からやって来た油の妖精といった風貌の青年店員からこれを購入し、家路に着く。
これは、ちょっとした宴になりそうだ。
--
冷たいシャワーを浴びてようやくにも平常な状態に戻り……。
購入した豚すき弁当を、レンジにかける。
独り暮らし用の小型電子レンジにとって、このデカ盛り弁当を温めるのはなかなかに重労働なようであったが……どうにか、これをこなしてくれた。
「いただきます!」
割り箸を手に取り、さっそく弁当の蓋を開けた。
(ああ……)
瞬間、リンの腹を満たしたのは――温めることで蘇った、すき焼きの香気である。
疲れた体に染み渡る、甘じょっぱい割り下の香り……。
何ならば、これだけで白飯を食べることすら可能だ!
口の中によだれを溢れさせながら……まずは巨大弁当の中央で華を咲かす、紅ショウガを箸でつまみ上げた。
(うん……体の疲れが吹き飛ぶ!)
いかにも安物の、紅ショウガらしい紅ショウガ……。
それが今は、ルビーよりも貴重に感じられる。
しかも、紅ショウガ周辺にはごくわずかにゴマが振られており、それがますます食欲を増進させるのだ。
(まずは前菜を味わったところで……と)
香気に続き紅ショウガによって最高潮に達した食欲の命じるまま、豚すきやきへ挑む。
(うん……これは……普通のすきやきじゃ味わえない。弁当のすきやきだ!)
弁当容器に包まれ、白飯の上で買い手を待ち続けた豚肉は、通常のすきやきがそうであるように割り下の汁気たっぷりというわけにはいかない。
電子レンジのマイクロ波により含有する水分子を振動させた結果、ちょっとしたジャーキーのような食感になっているのだ。
しかし、これを噛み締めると……中からじゅわりと、よく染みた割り下の甘みと肉の旨味が溢れ出す。
これは決して、すきやきの代替品ではない……。
この形態だからこそ味わえる、『弁当のすきやき』という別の料理なのだ。
(お弁当のお米って、どうしてこんなに美味しいんだろう……)
別物の料理と言えば、このすきやきが乗せられた白飯もまた別種の料理だ。
炊き立てとも、おひつの中で蒸らされたものとも違う。
弁当容器に保管され一度粗熱が立ち除いたそれは、やはり『弁当の白飯』という別ジャンルの料理であり、何ならば米粒の奥底に隠された甘みをより素直に味わうことすらできた。
しかも、これはすきやきを乗せられたことによりその汁を吸い取っているのである!
(たまらない……! 止まらない……!)
後はもう、夢中でこれをかきこむばかりだ。
合間、合間に紅ショウガをつまみ、あくまで肉が主体のすきやきへごく少量投じられている玉ねぎも味わう。
そのしゃきりとした食感と、肉以上によく吸い込んだ汁の旨味は、これのみどっさりとご飯に乗せて食べたいと思わせた。
――食べる!
――食べる!
――食べる!
これは例えるならば、掘削作業だ。
だが、警備員として守った現場の掘削作業とこれでは、決定的に異なる点が存在する。
リンが掘り起こし、口に運んでいるこれは……その全てに、黄金の価値があるという点だ。
「ご馳走様でした!」
――工事完了!
米一粒に至るまで残さず食べ終え、両手を合わせる。
「さて……と」
その日の仕事を終え、食事も済ませた。
洗い物をしなくていいのも、弁当の気安さというやつであろう。
ここからは……本業の時間である。
(その前に……と)
日課のSNS巡回を軽く済ませようとしたのだが、その中に気になる呟きがあった。
これを呟いているのは他でもない……たった今食べた弁当を売っている店の、公式アカウントである。
曰く……。
『フォロワー……が一週間……以内に……フォロワー十万人……突破……したら……一ヶ月間……二十四時間……全商品……無料……で……販売……する……マジで……やる……マジ……で……やる……全品……無料……』
――ワールビジネスサテライトで、大手ピザチェーンと並んで紹介されたくらいで調子にノっているのか?
――はたまた、この暑さで頭をやられたか?
その真相は定かではない……。
「おお――――――――――シャカメ!」
ともかくリンはただちにその場へひざまずき、地域の守護神たるシャカメくんへ祈りを捧げたのである。
「お願いしますマジにお願いします絶対にフォロワー十万人達成してくださいお願いしますこの際この店がぶっ潰れても構わないので叶えてくださいお願いしますあと二万五千人くらいなんです何卒お願い申し上げます!」
ノーブレスで祈りの言葉を捧げ続ける。
仮にもエルフ族の勇者である彼女が、ここまで見苦しく乞食根性を発揮するのには理由が存在した。
彼女の、本業に関わるからである。
「さて……仕事に移るか」
祈りを捧げ終えSNS巡回も終えたリンは、スマホを構え本業に移った。
そして、バイトを終えた後に自分へのご褒美として許しているそれを始めたのである……。
「――納税!」
「――納税!」
「――納税!」
「――石のこと仲間って呼ぶんじゃねえクソ眼鏡ァッ!」
リン・ワークナー……。
はるばる異世界から日本へ出稼ぎに来ている彼女の本業は、エルフ族の勇者でもコンビニ店員でもましてや警備員でもない……。
その本業は、765にして346にして283にして……騎士クン!
季節は夏……各就業先で続々と水着が押し寄せてくる季節である。
それに備えるため、わざわざ警備員の仕事まで増やしたのだ。
加えて食費を浮かせるチャンスまであるとなれば、あれだけ一心不乱に祈りを捧げたのもむべなるかなといったところであろう。
「畜生! 無料十連も外れたあっ!」
本日もマイペースがマイベースにこなかった悲しみへむせび泣く。
果たして、リンが食費すらも本業へ注ぎ込める日が来るのか、どうか……。
それはまだ、シャカメくんにすら分からない。