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連作短編 Psy-Borg 第三部  作者: 細井康生
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邂逅 2

                   安藤良介探偵事務所


 明日の月島華音との再会に備えて、良介はこの数日の間に彼自身で調査した彼女の簡単な略歴と人物相関図、そして、来訪した時に直接彼女から聞き取った箇条書きされたメモを机の上に広げ、それらをじっと見つめていた。


 思い込みや誤認からくる主観的な関係性と、第三者の俯瞰的な視点から見た相互の関係性に齟齬が生じるのはよくあることだ。その溝を埋めてゆき、事象を拾い上げて、客観的事実だけを提示しながら解決に持っていくのが探偵の仕事だ。


 その後に法的手段を使うのか、それとも示談で歩み寄るのかは当事者同士の問題であって、彼の仕事の範疇からは外れる。


 いつもなら、この閉ざされた部屋の中でやり取りが行われていくのだが、明日は彼女の記憶の断片が染み込んでいる街を歩きながらそれを行う。


 なぜこのような齟齬が生まれたのか、ポイントを絞り込まなければならない。


 良介は視線をあげ、壁掛け時計を見ると、すでに約束の日が今日になっていることに気づき、軽く溜息をつくと、ソファの上に寝転んで軽い仮眠をとることにした。




                    日本橋伝馬町



 伝馬町の左衛門の作業場に、北町奉行所の善八が訪れたのは、春の日差しが桃の蕾を咲かせる頃だった。


「おや、善八の旦那がこんなところにくるなんざ珍しい。どうかされましたか?」


「ちょいと邪魔するぜ」


 善八は中に入ると、ぐるりと左衛門の作業場を見渡した。


「まぁ、今お茶でも出しますんで、そこらに座っといてくれませんか」


「ああ、かまうなかまうな」と言って甕から柄杓で水をすくうと、そのまま口に運んだ。


「それにしても相変わらず物が溢れてやがるな。座るってったって、どこに座りゃいい。いい加減嫁でももらえばいいじゃねえか」


 そう言って猫の額のような式台に腰かけた。


「ご冗談を、こんな道楽もんに付き合える奴は、いやしませんや」


 左衛門は照れ臭そうに笑いながらそうつぶやいた。出がらしの白湯のような茶を善八の前に置くと、いつもの定位置に戻って作業を始めた。


「生き人形」は材料の調達も難しく、辰五郎の催促もあるが、なかなか量産はできない。それでもからくり人形師としては名が通っていたので、今までの注文もこなしている。


 善八はしばらくなにをするもなく散らかった長屋部屋を眺めていたが、「お千代さんが亡くなって二年か」 と呟いた。左衛門の手が一瞬止まったがまたすぐに作業に戻ると

「千代はおいらには過ぎた女房でさあ」と応えた。


「奴がいなけりゃ生き人形も作れなかった」


 善八は出されたお茶をひとすすりすると、湯呑みを静かに置いて左衛門の方を向いた。


「それよ、その生き人形のことで聞きてえことがある」


 左衛門は怪訝そうな顔をして見返した。


「近頃この辺りで辻斬りが出てるって話は、おめえも知っているだろう」


 左衛門は手を止めて首を傾げると、「最近はどこも物騒だ。どの話かわからねえが」と応える。


「ちげえねえな、ここのところ攘夷だなんだと、コうるせえ。ただな今日持ってきた話には、おめえと関わりがあるんじゃねえかって睨んでる。それで、どうにも一つわからねえ事がある」


 そう言って残った茶を飲み干した。


「ちょっ…冗談は大概にしてくだせえよ、物騒な。どうった事です。おいらにわかることなら、嘘偽りなく喋ることはできやすが…」


 左衛門は善八の方を向いて居住まいを正した。


「三日前に夜回りをしていた折にな、たまたまその場に居合わせてたんだ。本町の裏手の路地で声が聞こえたんで、急いでそこに向かったわけさ」


 本町ならばここと目と鼻の先だ。


「したらすでに斬られた方は腹刺されて虫の息だ。抱え上げて話を聞こうとしたら一言「夢千代にやられた」と言って息絶えやがった…」


 左衛門は気を落ち着ける為にキセルに火をつけて軽くふかした。


「夢千代なんて名前、そこいらで転がってそうですがね…」


 妙な胸騒ぎを感じて、しきりにキセルをふかし続ける。


「それと、おいらとどう関わりがあるってんで?」


「斬られたっていうより、手刀で刺されたって感じだ。だとしたら下手人が女だろうがあり得る話だ。大方痴情のもつれや、賭場かなんかのいざこざかと思ったわけなんだが…」


 善八は勝手に湯のみから茶を注ぐと、それを一気に飲み干した。


「聴き込みを続けるうちに、辛くもそんな辻斬りから逃れた奴が何人かいてな。話を聞くとみんな口を揃えて言うには、あれは先ごろ死んだ吉原の遊女、夢千代だったと言うんだ」


 左衛門は眉をひそめて立ち上がり、元の位置に戻り作業を始めた。


「この時期に幽霊話たぁ、ちっと早過ぎやしませんか。それにおいらとどう関係があるってんです」

善八はその様子を目で追いながら


「先だって、辰五郎の小屋にオメェの夢千代人形が出されたじゃねえか」といった。


「もう地方に廻すってんで、蔵に戻したんじゃねえですか。まさか夜な夜な蔵から抜け出して、辻に立ってるってんですか」


 あきれた様子で作業に戻る。


「やられた奴らみんな、夢千代の馴染みだってんだから、話はややこしい。見間違える訳ねえって言うんだからな。それに、そいつら何度も見世物小屋に出かけて昔を懐かしんでたって言っていた。まるで生き返ったようだって言ってたからな。おめえも人形細工師冥利につきるってところだろ」


 確かに一作目の、錦絵を元に造作に多少の難のある團十郎人形と違い、夢千代は実際この目で確かめ、穴が空くほど観察したのだから、顔の表情などは十分喜三郎に近づけたと満足できるものだった。


「それも、興行が終わって、仕舞われた時期からそんなことが起こったから、馴染み客は次は俺かと震え上がっちまってる」


 夢千代自身も高級遊女ではなく、張見世の遊女だった。馴染み客は庶民が多い。


「なら、衆目に晒しちまったおいらを真っ先に殺りに来ると思いますがね」


  聞こえるようにため息をつきながら、手を動かし続ける。


「人形に魂が入って、褥の仕打ちの意趣返しって言っちゃあいるが」


 左衛門は鼻で笑うと


「そんな馬鹿なことがあるかね。人形は人形。魂が宿るなんてことはありゃしねえ、ましてや身体動かして自由に動き回るなんざ、世迷いごとでしかねえ」


 補足として、人形に魂が宿るという俗説は明治中期以降、玩具としての人形が一般庶民に流通し始めてからだと言われている。庶民が人型をした玩具の人形をただ捨てるのは忍びないということで、燃やしてしまう前に形だけの供養をしたのが始まりとされている。神楽の面や能面に魂が宿るという信仰もあったが、それは神事と密接に関わっていたため一部の関係者のみに信じられており、一般的ではなかったという。


「俺もそう思うさ。魑魅魍魎なんて、このご時世流行らねえ。ただ皆が口を揃えて夢千代だってんだからな…。おめえ、奴から妹がいたとか、そんな話聞いちゃいねえか」


 予想できるのはそんなところだろうが、身の上話などはしたことはなかった。


「廓で遊女の身の上話はご法度ですぜ。それにおいらは一度も閨を共にしたことがねえ。そんな話は聞いたことねえな」


 平静を装ってはいたが、左衛門は嫌な胸騒ぎを覚えていた。


「そうか…。まあ、おめえはそれこそ穴のあくほど夢千代の顔を拝んでるんだ。巷で似たような顔をした奴を見つけたら知らせてくれ」


 そう言うと善八は出ていった。


(人形に魂が宿るならな…)


 左衛門は部屋の端、少し色の変わった床板を眺めた。




                    三ノ輪―飛不動


 彼女の休みに合わせ、十一時過ぎに地下鉄の三ノ輪駅前で待ち合わせた。


 時間十分前に到着し、出口前のタバコ屋の正面でタバコをふかしている。


 まだ肌寒い三月の終わり、日差しは強く昼間になれば汗ばみそうだ。良介は春物のトレンチコートの襟を立て、幹線道路を睨んでいた。


 探偵業を営むにあたり、真っ先に買ったのがこのコートだった


(捜査のはじめはハードボイルドがいい)


 全く意味のないこだわりだが、フィリップ・マーローに憧れた気持ちが、今の彼を後押ししている。初心に戻る験担ぎみたいなものだった。もちろん実際の尾行や聞き込みの時はこんな格好はしない。夏場などはクーラーの効いた事務所で、姿見を前にこの儀式を行う。しかし今日は、ただの随伴であり聞き込みもなければ尾行もない。

 陽気も春先ということもあり、思い切ってこの格好をしてきた。


「タフじゃなければ生きて行けない、優しくなければ生きていく資格がない」


 決め台詞を口の中で唱えて、気分を盛り上げる。


「お待たせしました」


 良介は驚いて、その場で軽く飛び上がると、手に持ったタバコを落とした。


「い、いつからそこにいました?」


 明るく、カジュアルな服装で佇んでいる彼女は、先日あった時とは印象が違っていた。あの時は、なんとなく寂しさを醸し出し、憂いを帯びた感じがしたが、今日はどことなく溌剌として明るい感じがして一段と若く見える。彼は途端に落ち着かなくなり、声も裏返ってしまう。


「先ほど、2、3分前なんですが、ちょっと話しかけづらくて…」


 恐縮しながら頭を下げる。確かにトレンチコートを着て、幹線道路の方を睨みつけながらタバコを吸って何かつぶやいている奴に声はかけづらい。


「いや、いやいや、お気になさらず」


 彼の中のハードボイルドが霧散していく。


(いつものように家で儀式を済ませばよかった)


 気づかれないようにゆっくり深呼吸をして、落ち着きを取り戻した。


「ちょっと御墓参りに行っていたものですから」


「ご両親のですか」


 彼女は後ろの路地の方に振り向いて、その先に視線を向ける。

「この先の浄閑寺さんです…知り合いの」


 良介はコートの襟を直して居住まいを正した。


「そうでしたか」


 少しずついつもの自分のペースに戻していく。良介はまだぎこちない笑顔を彼女に向けて、「まずはどちらに」と言うと。華音は少し困った顔をして答える。


「もう、随分と前のことですし、この辺りもだいぶ変わりました。なんとなく、印象に残っている場所はあるんですが、今日はただ連れまわすだけになってしまうかもしれません。すいません」

と答えた。


 曖昧な記憶の補填作業。事前の下調べは済んでいる。まあ、今日一日は捜査の資料集めの段階として、女性と一緒にぶらりと街を散策できるだけラッキーと捉えておいたほうがいいだろう。今回の同行にあまり多くは期待していない。


「なに、謝ることはありませんよ。もしかしたら重要なピースが見つかるかもしれない。そうすれば案外早くお兄さんを見つける事が出来るかもしれませんからね」


 それでも何か小さいことでも思い出してくれれば、その後の捜査はずっと楽になる。


「ありがとうございます」

 そう言って彼女は軽く頭を下げた。


 三ノ輪は不思議な街だ。

 昭和通り、国際通りなどの大きな道沿いには高いビルが立ち並び、規格化された都市の情景を映し出している。人が忙しなく行き交い、良介はどことなく息苦しさを感じる。しかし、一歩路地に入ると民家が立ち並び、碁盤の目のように区画が仕切られ、昭和然とした街角に出会う事がある。今では新興マンションなどが建ち始め、徐々に現在が進行しているようにも思えるが、それでも表通りとは違った時間の流れを感じた。春先の冷たい風が頬をかすめる。


 ふと、その行方を追っていくと、道の先に赤いノボリがはためいているのが見えた。なんと書かれているかわからないが、かろうじて「奉納」の文字が見える。何かしらの神社仏閣なのだろう。彼女は入り口の前に立つと、こちらを振り向いておずおずと「お参りしてもいいですか?」と聞いてきた。


「飛不動?」


 脇にある提灯に書かれている文字を読む。どうやら不動明王を祀ってあるお寺のようだ。


「昔、このお寺の住職さんが、ご本尊を持って、奈良にある大峰山に修行に行った時。その間村人が、お不動様の分身に無事を祈って祈願したら、一夜にしてご本尊様が飛んで戻ってきてくれた。という言い伝えがあるんです。それ以来飛不動と呼ばれて、航空関係の祈願寺として有名なんです」


「お詳しいんですね」


 良介は少し驚いた様子で彼女のほうを見た。


「よく抹香臭い趣味だと笑われます」


 彼女は照れ臭そうに笑いながら答えた。


「最近は御朱印ガールとか、御朱印集めをする女性が増えて、言われなくなりましたけど。昔からお寺とか神社とか、気分が落ち着けるので好きなんです」


 良介自身派手な場所へ連れ回されるよりも、のんびりと休日は過ごしたいタイプだ。そういった趣味には、なんとなく好感が持てる。


「こんな辛い日が続くのなら、いっそどこか遠くに飛んで行ってしまいたい。遠くに離れて暮らす肉親に、せめて一日だけでも会いに行きたい。どれだけの人が、このお不動さんに願をかけたのでしょうね」


 彼女はそう言って、二拝二拍手しすると、小さな声で何かを唱える。最後に一拝する。彼はその様子を見て「珍しいですね」といった。彼女は首を傾げて彼の方を見る。


「礼拝は神社で、お寺は手を合わせるだけだと聞いた事がある」


 たまたま昨日の情報番組で仕入れた情報だが、彼女との距離を縮めるにはちょうど良いかもしれない。


「不動明王だから仏教ですよね。お参りの仕方が神式なのは何か理由があるんですかね」


 華音はこちらを振り向かず、奥に見える厨子じっとを見つめたまま「さあ、わかりません」と呟いた。


「でも人はいつでも何かにすがって生きています。信仰はそこに住む人たちの小さな願いで作られる。形式で括ることはできないのでしょう」


 彼自身、深い信仰心があるわけではない。しかし、己の強い意志を誰かと共有したい時に、ふと神頼みをしている自分に気づくときがある。


「そうかもしれませんね」

 そういうと、彼女に倣って彼も静かに手を合わせた。


つづく

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