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連作短編 Psy-Borg 第三部  作者: 細井康生
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邂逅 1

                     プロローグ


「わたしサイボーグなんです」


 子供の頃から憧れ、脱サラしてようやく構えた探偵事務所。安藤良介は都内の貸しビルの一室に事務所を構えている。ここのところ、やっと安定して週に何件か依頼が入るようになった。


 まあ、舞い込んでくるのは、浮気の素行調査や家出人、遺失物、時にはペットの捜索などだ。


 当然、突然殺人事件に出くわしたり、警察とやりあったり、違法な銃を忍ばせて美女を地下組織から救い出したりなんてことは当然ありもしない。じっちゃんの名にかけたり、声色を多彩に使って事件を解決したりなんかもしない。


 それでも組織の一員になって、毎日同じことを繰り返すよりは、この仕事は良介の性に合っていた。妻は早々に見切りをつけて実家に戻ってしまったために、物置と化してしまった家にはほとんど寄付かず、大方この事務所で寝泊まりしている。アシスタントを雇う甲斐性もなく、1人で切り盛りしているが、生来の生真面目さのおかげか、着実に依頼数は増えて来ている。そうなれば、当然要領の得ない依頼も増えてくる。今回の依頼もそんな類の一つかもしれない。


「生き別れた兄を探して欲しいんです」


 依頼者である月島華音は、実年齢よりもずっと若く見えた。20代後半くらい、長く伸びた髪は後ろで束ねてある。化粧気はないが、目鼻立ちははっきりとしていてハーフのようにも見えた。


「お兄さんのお名前は」


「副島麗児、もう二十年近く前にわたしは養子に出されましたから。苗字は違いますが」


「出身は」


 時折顔をあげながら、調査依頼書に記入していく。


「実家は隅田川の近くでした」


 ミミズがのたくったような文字を連ねる。あとで書き直すのだから、自分がわかる程度だ。メモに書くのは、あくまでもポーズでしかない。


「ご両親は」


「母はわたしを産んですぐに亡くなりました。父は先日亡くなったと聞きます」


「お兄さんはご一緒には住んでいなかったんですか」


「早くに家を出たそうです。それ以来連絡もなく」


「それは大変でしたね」


 お決まりの言葉を言って、椅子にもたれかけると、メモに目を通すふりをしながら依頼内容を確認する。


「わかりました。期間はどのくらいですか?費用は日程にもよりますが、基本料金プラス必要経費になります。とりあえず1週間後にご報告を…」


「わたしと一緒に探して欲しいんです」


 彼女は体を前につき出し、良介の顔を見つめた。彼は一つ溜息をつくと、手にしたペンを置いた。


「お気持ちはわかりますが、色々と不都合が生じてしまいます。時間的な制限もありますし、時には危険も伴います。そういったお申し出はお断りを…」


 彼女は顔を伏せ、視線を右下に落とすと、ぼそり呟いた。


「わたし、サイボーグなんです」


 なんの脈絡もない言葉に良介は一瞬戸惑った。


「兄とわたしは二卵性の双子なんです。数え年十三の時に生き別れになりました。この二十年ずっと探して来たんです。私はずっと、自分の半身が喪失しているような、そんな気持ちを持っていました。不完全な人格、不安定な自分を持て余して生きて来たんです…」


もう一度ペンを持ち直して話に耳を傾ける。彼女は顔を上げ少し微笑むと。

 

「わたし、今度結婚するんです」


(ふーむ、なるほど…)と良介は心の中で呟いた。


 両親を亡くし、今は養父母と良好な関係を持っていたとしても、肉親である兄が生きているのなら、花嫁姿を見てもらいたいというのは人の情だ。となると時間はあまりない。焦る気持ちもよくわかる。


「わたしが養子に出される前、離れ離れになる事が嫌で、二人で家出をしました。でも幼く、お金もない状態では遠くなんて行けません。一週間もしたら保護されました」


 幼い子供たちも、大人の事情を敏感に察知し、どうにもならないことを理解しつつも、彼らなりの精一杯の抵抗だったのだろう。


「でも、それまでの間の記憶が曖昧なんです」


 引き離された時のショックで、記憶を仕舞い込む事例はよく聞くことだ。良介は軽くうなずくと、表情で次を促した。


「兄と一緒に逃げた道筋をもう一度辿れば、なにか思い出せそうな気がするんです。ですから、一緒に調査をしたいというわけではなくて、その道筋をたどる時に、ご一緒して欲しいという事なんです」


 もしなにか少しでも情報が引き出せるのであれば、その分調査も楽になる。その程度ならその申し出を断る理由もない。


「わかりました。そういう事ならご一緒いたしましょう」


 彼女はこちらを見つめ、表情を緩めると「ありがとうございます」と頭をさげた。


 いつも通りの依頼、いつも通りの日々。彼女が帰った後、良介はパソコンに向かい資料をまとめ始めた。



                     日本橋伝馬町



 安政5年浅草の奥山で観た松本喜三郎の生き人形の生々しさは、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。

 それまで彼が作っていた人形など、話にならない程にそれは精緻を極めていた。今にも動き出しそうな姿態と、吸い込まれそうな瞳。巷間では異国人に対する流言飛語が飛び交っていたが、喜三郎の異国人物人形を見れば、牙もなければ角もない同じ人であると、逆に安心できるほどだ。


 安東左衛門は自分の人形師としての腕は相当なものと自惚れていたが、そんな自信も粉微塵に打ち砕かれた。


(俺も喜三郎に負けない人形を作りたい)


 左衛門は興行中、時間の許す限り小屋に出向き、日がな一日、喜三郎の生き人形を凝視し続けた。興行が畳まれてからは、暇を見つけては生き人形の製作に没頭し、ようやく自分が納得し、見せられるような作品が出来た時には、あれから二年が過ぎようとしていた。


 浅草の侠客新門辰五郎は、浅草奥山の松本喜三郎の興行に手応えを感じたのか、江戸の人形師を集め、見世物興行を行っていた。そして、左衛門にも声がかかり、その見世に人形を出すことになった。完成度は到底喜三郎に及びもしないが、元々、からくり細工を得意としていた左衛門は、関節ごとに球をつけ、自由に姿勢を変えることができるように工夫をしていた。顔の造作や肌の風合などは生き人形に近づけることはできたが、どうしても今にも動き出しそうな躍動感のある体を作れない。関節の球体は、そのために考え出した苦肉の策と言える。


(一時しのぎに過ぎねえけどな)


 その興行に出す人形を作るということで、左衛門もある程度辰五郎に腐心してもらっていることもあり、これ以上先延ばしするわけにも行かなかったのだ。だが辰五郎はその左衛門の球体人形をいたく気に入ったようだった。関節を使って稼働する仕組みを利用し、日毎少しずつ体勢を変える人形を見て、まるで生きて動いているようだ、と評判は高かった。


 人気役者七代目市川團十郎を模したその人形を当の本人が見に来た折には「次はこいつに見栄を切らそうか」と満足気に帰って行ったとの話も聞いている。


 左衛門はそんな評判に気を良くし、二体目に取り掛かりはじめた。


 二体目はある吉原遊女の人形を作った。誰もが知っている看板花魁ではなく、左衛門の周りでは評判の高い張見世の夢千代という遊女だ。話を聞いて何度か吉原に出向いたことがある。大門が閉まる前までの商売の邪魔にならない時間に行って容姿を模写するだけだった為に、褥を共にしたことはない。確かにどこか遊女らしくない如才なさがあり、気のいい雰囲気を持っていた。


 半年かけて作り上げた夢千代人形の出来栄えを、興行主である新門辰五郎の屋敷へと持っていった時の話である。左衛門自身、今回の出来に関しては相当な自信を持っていた。そして辰五郎の口からどのような賞賛の言葉がもらえるであろうと勇んで門を叩いた。


 だが、箱から出された夢千代人形を見ると、辰五郎は驚きの表情を見せた後、眉根をしかめ渋い顔で黙り込んでしまった。そして大きくため息をつき、「こりゃあ小屋に出せねえな」とつぶやいた。その言葉に驚いた左衛門は、つい声を上げて身を乗り出した。


「なんでなんです!一体何がいけねえってんですか?!」


 両脇の付き人が目を鋭く光らせて左衛門を見据える。相手は浅草奥山の見世物小屋の元締めであり、江戸一番の侠客。酔狂で一度出してもらっただけの、たかが一介の職人風情が口答えをするなどもってのほかだ。辰五郎が「否」といえばこの界隈では「否」なのだ。


 思わぬ感情の高ぶりを露呈し、声を出してしまったが、部屋に立ち込める異様な緊張感を感じ取った左衛門は急いでその場でひれ伏した。


「す…すいやせん、とんだ口答えを申しまして。ご容赦を…」


 辰五郎はその様子を眺めてから、両脇の二人を鷹揚な身振りで制すると、左衛門に向き直り笑顔を見せた。


「こいつは張見世の夢千代だな」


 辰五郎の問いにまともに応えることができず、「へぇ」と顔を伏せて答えたまま、その場で身を縮めていた。


「まったく生きているようだぜ、言っちゃあなんだが七代目(市川團十郎)の時のそれとは雲泥の差だ」


 辰五郎の言葉の間、顔を上げることもできない。


「よく精進したな」


「は?」


 思いもかけぬ言葉に、左衛門は驚いたように顔を上げた。


「なにもそんなに恐縮するもんじゃねえ、楽にしろ」


 そうは言っても、なんのことかわからずしばらくは土下座をする格好で呆けていた。


「まったく、短え時間によくもまあ…」


 威厳の中にも優しさの籠った目でしっかりと左衛門を見てから、もう一度人形に目を落とすと、


「ただなあ」


「ただ…」


「うーむ。あんまりにもよく出来すぎている。これが吉原随一の花魁なら何の文句はねえ。それになんか言ってくりゃ、俺の馴染みってことで廓をおさめることはできる」


「へえ」とまた、気の抜けたような声で相槌をうった。


「しかしな、わしらの世界、お前ら町人、職人の世、武士の世。どんな所でも習いってもんがある。特に吉原は男じゃあ窺い知れねえ女の情念に縛られた習いってもんがな。仮にこの人形を小屋に出したとしたら一目で張見世の夢千代と知れちまう。そうしたらどうなる?」


 辰五郎の言わんとしていることが上手く理解できずにポカンとしている左衛門を見ながら「しょうがない奴だな」と苦笑いしながらながら呟くと、話を続けた。


「まあ、夢千代を囲ってる妓楼はばん万歳ってとこだろうが、そりゃ何も知らねえ野郎どもの理屈だ」


 呆けたようにうなづいてみせた。


「そんなことになりゃ、吊るし上げを食らって、今度は本人が今の苦界以上の生き地獄を味わうことになっちまう」


 辰五郎はそこでいつものような鋭い目つきになると、


「光が強えほど影ってもんは濃くなるもんだ。妬み、嫉み、言いがかり、折檻、いじめ…いつの世にも人の深い業が渦巻いていやがる」


 それを聞いて、左衛門の頭の中にある情景が思い浮かんだ。


「おやおや、端女が太夫にでもなったつもりかえ?」


 こんな名も知れない人形師が似絵を書いているほんのひと時でも、それに対する他の遊女たちの通りすがりの嫌味や陰口を何度も聞いた。時折感じる痛いほどの嫉妬の目。


(おれが知らねえところで、もし夢千代がそのような仕打ちにあっていたら…)


 たまらない不安が左衛門を襲う。そんな彼の不安を見て取ってか、辰五郎は表情を和らげ、座椅子にもたれかかり、

「まあ、玉代も払えねえ貧乏絵師が、俺に頼み込んで、門が閉まる直前まで売れもしねえ張見世の遊女の絵を描いていやがるって笑い話しか聞こえてねえから、今のところ面倒が及んでるってことはねえし、心配すんな」


 と左衛門に笑いかけた。 一旦はその言葉でホッとしたものの、やはり気がかりではあった。


「てめえは職人だ。まずは腕を磨くこった。間違いなくお前は将来、喜三郎に比肩する人形つくりになる。この新門辰五郎が言うんだから間違いねえ。ただな、今言ったそんな理由で今回はこいつは出せねえ。別に急がせるつもりもねえから次に精進しな。楽しみにしてるぜ」


 そう言って辰五郎は立ち上がると奥の部屋へと向かっていった。左衛門がすっかり恐縮し、改めて頭をさげていると「おお、そうだ」と辰五郎は何かを思い出したように振り返り、


「ただな、情っていう雲が月明かりを覆っちまったら、目先も見えねえ暗闇の中でおろおろすることにもなるもんだ。それだけは覚えておきな」


とそう言った。


 左衛門はその言葉を心に深く刻み込み、その場を辞した。


 そんなこともあり、出来上がった夢千代をあきらめて、次の作品を何にするか思案に暮れるようになってから吉原に出向かなくなった。


 そして、それから1ケ月後。夢千代が流行り病にかかり亡くなった事を耳にした。


 吉原で亡くなったものは、裏手の浄閑寺で弔われる。といっても、まともな葬儀もされずに、無縁仏のように打ち捨てられると言った方がいいだろう


(俺に姿を預けて、逝っちまったのか…)


 壁にかけられているその人形を見るにつけ、世の儚さを感じてしまう。


 それからしばらくして辰五郎から夢千代人形の出展の許しが出た。それでも夢千代の四十九日が過ぎた後であったから、それは辰五郎なりの気遣いなのであろう。


 ともあれ、陽の目を見ることはないだろうと思っていた夢千代を、浅草裏山の見世物小屋に出すこととなった。これも前回同様大変な好評を持って受け入れられ、徐々に左衛門の名も広まっていった。


 そんな中、一つの事件が起こった。


つづく

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