三蔵の秘密
三蔵が風呂に入ってしばらく経った。
あまり動かず浸かっているらしく、水音もそうしない。
死んでんのか? と悟空は振り返りそうになったが、なんとなく玉龍の視線が気になり、動けなかった。
だいたい、こいつと二人ってのが、なんとなく気まずいんだよな、と悟空は思う。
嫌な相手かというと、そういうわけでもない。
仲がいいわけではないが、一緒に居て、落ち着かない相手でもない。
だが、なにか今の状態で二人で居るのが据わりが悪いというか。
自分でもよくわからないが――。
玉龍は何を考えているのか、日の落ち始めた空をただ眺めている。
そのとき、
「ひゃっ」
という間の抜けた声が湯の方からした。
この莫迦、やっぱり居眠りでもしていて溺れたんじゃ!? と悟空は慌てて駆けつける。
「大丈夫か?」
だが、その言葉は本当は途中で止まっていたように思う。
「なんだ、悟空か」
そう言い、岩場に立っていたのは白い裸身の女だった。
長い黒髪をなびかせ、相変わらず、人を見下すような顔でこちらを見ている。
女は腕を組み、皮肉な笑みを口許に浮かべると、
「猿はやっぱり猿だな」
と言い放った。
「こういうときはまず、消えるか、何か羽織るものでもくれるものなんじゃないか?」
その言葉が終わるより先に、羽織物を彼女に向かい、投げたものが居た。
玉龍だ。
その落ち着いた態度に、こいつ、知ってやがったなと思った。
「……三蔵、お前、やっぱり女だったのか?」
そう問うたが、何処からどう見ても、女の身体をして、三蔵は、
「いいや、違う」
と言う。
天界で見たどの女よりも高貴で華やかな気配を放つその女は、玉龍の放った布を肩から羽織り、足下の法衣を見下ろしていた。
「今は違う――」
今は?
「三蔵、せっかく温まったのに、また冷えるぞ」
玉龍の言葉に、そうだな、と三蔵は屈み、脱ぎ捨てていたみすぼらしい法衣を手にとろうとした。
だが、湯の近くの岩はぬるりとしているようで、足を滑らせる。
「ひゃっ」
と再び、間の抜けた声を上げた三蔵を抱きとめた。
間近にこちらを見たその白い顔を、つい魅入られたように見つめていたが、首許に冷たいものが当たったのに気がついた。
「そこまでです、斉天大聖」
離れてください、という声に、あまり首を動かさぬように振り返る。
何処から湧いたのか、唐の武官のような、きちんとした身なりの男がこちらを見下ろし、その剣を自分の喉許に向けていた。
「お下がりください。
私は太宗皇帝の従者です」
太宗の?
なんでそんなものが此処に――。
「お前……まだ付いて来てたの」
困ったように三蔵が言った。
三蔵を前に、その男は平伏する。
「玉龍」
と三蔵が呼びかけると、彼は頷き、先程騒ぎになったばかりなので、此処まで持ってきていたあの箱を三蔵の前に置いた。
全員が下がり、岩場の向こうで、三蔵の出てくるのを待つ。
「お前―― なんで三蔵の後を付けている?」
太宗の従者だという男に悟空はそう問うた。
「あの方をお守りするよう命を受けているからだ」
何故、太宗が一介の坊主に守りの者を?
しかも、今まで自分たちはこの男の気配を全く感じていなかった。
かなりの手練れに違いない。
どうして、こんな男を派遣したのかと思ったとき、大岩の陰から、美しい衣を纏った女が現れた。
他を圧する気配を放つその女の前に、男は再び平伏する。
「皇后様」
――は?
違う違うと三蔵は手を振る。
「皇后にはなれなかったんだ。
私が国母になれば、国が乱れるとの予言を受けたからだ」
確かに乱れそうだ。
いろんな意味で……。
「私は業を祓うために、天竺まで旅をするといいと観音様に告げられた。
その道程、支障がないように、お釈迦様が気を利かせてくださったので、私は普段は女ではない。
最も、男でもないがな。
……考えるな、猿」
三蔵は両の手を広げ、衣を見せる。
「これが太宗が私に持たせたものだ。
見せられぬだろう? 八戒たちには。
これは、皇后としての正式な装束だ。
何かあったときのためにと太宗がこれだけはと私に持たせた。
これさえ着ていれば、その意味のわかる役人たちや、地の豪族どもは私に従う」
「……太宗うんぬんの事情は、なんとなくわかったが。
男でもないが、女でもないというのは――。
今のお前は、女以外の何者でもないように見えるが」
それはな、と三蔵―― いや、ほんとの名前はなんと言うのか知らないが、女は少し困った顔をする。
「私は月に数日だけ女に戻るのだ。
……深く考えなくていいぞ」
そう三蔵は繰り返す。
そのとき一緒に伸びてしまう髪は、僧侶特有のあの被り物で隠していたらしい。
「女であることを捨てていないということは、私はいつかまた元に戻るのだろうかな」
三蔵が呟いたその言葉に、
「もちろんです! 皇后……
いえ、三蔵様っ」
と何故か三蔵に心酔しているらしい男は声高に言う。
「三蔵様には、経典をお持ち帰りになり、業を祓われたあかつきには、再び、陛下の許にお戻りになっていただかなければ!」
いいのか?
そんな大掛かりに業を落とさなきゃならん皇后で……、と思いながら、悟空は男を見ていた。