俺は昔から気は利くぞ
馬のまま厩舎で寝るとか抜かす玉龍の許に、食事でも持ってってやるかと悟空は部屋を出た。
恐らく、三蔵も彼のことを気にしているのだろうが、女王にとっつかまって、まだ相手をさせられているので、どうにもならないようだった。
やれやれ。
子どものお守りも大変だ、と思いながら、廊下を歩いていると、正面からあの女官がやってきた。
こちらを尊大な態度で見たあとでだが、軽く頭を下げてくる。
そのまま、足を止め、こちらを見ているので、
「なんだ?」
と言うと、
「いえ―― この度はどうもご迷惑をおかけしておりまして」
と口先だけかもしれないが、詫びられた。
「三蔵様はなかなか扱いがうまくて、姫様も、愉快なお姉さまが出来たようだと喜んでおられます」
『お姉さま』を強調するなと思っていると、一時の間のあと、女官は、
「私にはあの方は男性には見えませんが」
と言ってきた。
追求したい、というより、不思議に思っていることが思わず口から出た、と言った感じだった。
「まあ……男ではないかもな。
女でもないそうだが」
そう曖昧に答えると、女官は頬に手をやり、ふう、と息をつく。
「ああいう方はそうなのかもしれませんね。
仏に近いというか。
いえ、仏ではありませんね。
なんと言ったらいいのか――」
その言葉に悟空は気づいた。
そういえば、この世界には、『神』という概念がなかったと。
そして、不思議に思う。
そのこの世界には存在しない『神』というものを何故、自分は知っているのだろうかと――。
女官と別れたあと、悟空は厩舎に行ったが、玉龍の姿はなかった。
周りを探してみると、人気のない厩舎の後ろ、岩山の手前に立って、星空を見上げている玉龍に出くわした。
「なにしてんだ?」
「いや。よく出来た世界だなと思ってな」
そんなことを言い出す彼に、悟空は無言で食事の入った籠を差し出す。
「お前にしては気が利くな」
「俺は昔から気は利くぞ」
そう言い返すと、そうだったかなと笑い、厩舎のところまで戻った彼は、壁に寄りかかるように腰を下ろした。
「お前はもう、気づき始めているんだろう?」
その言葉に悟空は側に腰を下ろした。
さっきの玉龍のように、空を見上げる。
街の灯りがないので、こんなにも星があったのかと驚く。
「……星がすごいな」
と悟空は言った。
ああ、と玉龍が共に見上げて相槌を打つ。
「高層ビルの灯りよりすごい」
「……ああ」
と玉龍は言った。
それ以上、その話題には触れないまま、玉龍は黙々と食べ始める。
黙って、それを眺めていると、玉龍は、こちらにも皿を差し出してきた。
「いや―― いい」
「食べといたらどうだ。
このままおとなしくこの国を出られるかどうかわからないぞ。
お前はどう思っているのか知らないが、この世界は別に幻じゃない。
此処で死んだら、それで終わりだ」
そんな言い方を玉龍はした。
気づいていた。
自分の中にもうひとつの記憶があることを。
大勢の人が行き交う交差点。
高層ビルの谷間に沈む夕陽。
たまに、熱砂の砂漠を進んでいるとき、暑けりゃクーラーつければいいのに、と思い。
食べる物がないときには、出前を取れ、と思う。
それは自分も玉龍も三蔵も、もしかしたら、八戒たちも――。
心の中では、そう思っているのかもしれないが、それを誰も口に出すことはなかった。
それが何故なのか。
今の自分にはわかる気がしたが、やはり、今も口に出して言う気にはなれなかった。
そのとき、門から城になにかが入った気がした。
目には見えなかったが、気配として。
悟空は立ち上がる。
「侵入者か?」
と自らも見えていたのか、それとも悟空の動きでわかったのか、玉龍がそう訊いてきた。
「狙いは女王か?
いや――」
三蔵か、と玉龍は笑う。
「あいつは妖怪から人間まで、いろんな連中に狙われているから、何が来てもおかしくはないからな」
そう言うわりには、玉龍はゆっくりと立ち上がった。
「清らかな坊主の血肉を喰らったり、精を受けたりすると、寿命が延びるそうだぞ」
いや、精を受けるは無理だろ……と思いながら、腕を組み、悟空は少し離れた場所にある城を見据える。
やがて、毛布か絨毯を丸めたようなものを肩に担いで、男が裏口から出てきた。
充分人が入れるサイズの巻き物だった。
そのまま、その男は林の方へと駆けて行ってしまう。
「行かないのか?」
背後から、少し笑い、玉龍がそう問うてきた。
その様子に、一緒に行ってくれる気はなさそうだな、と悟空は思う。




