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アルブレヒトという男

アルブレヒト・アインヴォルフ王太子は変わり者だ、というのは、アインヴォルフ王国の貴族の中では暗黙の了解に似た事実だった。

王族が常にそばに控えさせている愛犬というものを持たず、護衛も数人だけ。

学友であるヴィルヘルム・ヴィオラ・ヒュントヘンとはそこそこに会話をするが、執務以外ではごく無口。

しかし、濡れたような黒髪や、美しい青い目をはめ込んだ端正な顔だちに、令嬢からの秋波は絶えない。なにせこの王太子ときたら幼少の頃から美しいだとか麗しいだとかそういった言葉がよく似合う顔立ちをしている。

それが成長してからは整った面立ちをかなぐり捨てるかのような冷淡な態度を崩さない青年ときたものだ。がちがちに固まった表情筋をもみほぐそうとして手刀を落とされて以来、警戒が強くなって同じことができなくなっていた。

そんな彼を、誰が呼び始めたのか、たしか玉砕した令嬢の親だったか。曰く、氷の王太子。

だが、正直言って、ヴィルヘルムはそんなことは全く思っていなかった。

アルブレヒトの頭脳や技量や器量。それは、凍った奴が持つ柔軟さではないだろうと。

凍っているなら愛犬に狂った現王のせいで、この国はとっくに更地になっている。

この国は今、アルブレヒトが支えているといっても良かった。

だが、それはそれとして。


「アル、俺のかわいいかわいいシャルロットを婚約者にしたくせにその顔はなんだ?不満があるわけないだろ」


ヴィルヘルムは断言した。

この親友は、それはそれは熱烈なプロポーズを、かわいいかわいいもひとつおまけにかわいすぎるヴィルヘルムの妹にしてくれやがったのだ。

お陰で可愛いシャルロットは朝から王城まで出向いてお妃教育だ。

かわいいが生意気で甘えてくれない双子の妹はまた留学先へいってしまった。

だからこそ、兄として、もっと朝から晩までかわいい末の妹を愛で倒したかったところをかっさらわれてヴィルヘルムは王太子の前だというのを気にしないで堂々とぶすくれていた。


「ヴィル、お前はシャロの前では猫をかぶりすぎだ。今のお前を見れば俺のシャロが泣く」

「お前のじゃないお前のじゃない。まだお前のじゃない。それにヒュントヘン家の男子たるもの猫は被らない主義だ」

「ならお前がシャロの前で被っているのはなんなんだ」

「仔犬に決まってるだろ」


軽口を叩きながらも、手は休めず書類を片付けるヴィルヘルムとアルブレヒトは、共に同じ学園に通った仲だ。もっと言えば、寮生活で同じ鍋のシチューを飲んだ仲だ。


「ん、これサイン」

「わかった。……ヴィル、こっちを騎士団へ。あちらの管轄のものが混じっている」

「そこに置いといてくれ。これと一緒に持っていく」


ヴィルヘルムは肩で結った銀髪をぐしゃぐしゃにしてああ!と声をあげた。


「あとどれだけあるんだこれ」

「あの束ふた山でとりあえずは終わりだ」

「頭の固い連中が?俺のかわいいシャルロットに?ケチをつけるたぁフザケンナって感じだよ」


ここにある書類はそのほとんどが貴族からの嘆願書のていをとった文句の手紙だ。

曰く、年の差がありすぎる。

曰く、もっとふさわしい相手がいる。

曰く、権力が偏りすぎる。

ヴィルヘルムは思わず握りつぶしそうになった書類を広げなおし、ハァと呆れ返った。

ヒュントヘン公爵家は権力と歴史で言えば他家の追随を許さない。確かにそうだ。だが、ヒュントヘンの真の存在意義はそんなものではない。

ヒュントヘンは、かつて枝分かれした王家の愛犬ーー仔犬の末裔。

ーー王家の傍流、王家のスペア。

だからこその権力だ。

だが、それを知らない人間がいるのまた事実。

王族の「愛犬」をただの愛玩動物だと勘違いしてあるものがいるように、忘れられて久しいのだ。

儀式が形骸化するように、きっともう一握りしか知らない。伝説は残るものだ。けれどこれはほとんど残っちゃいない。

なぜなら、これは、伝説に沿っただけの、不可思議なだけの、純然たる事実だから。

ーーそしてこれは、王族の血を引く人間にしか実感できないことだから。

アルブレヒトの一族のこれに関しては、特性といっても過言ではない。

アインヴォルフ王家の人間は、愛犬がいないと死んでしまう。

この言葉は比喩ではない。アインヴォルフ一族は、愛犬を生涯大切に大切にそばに置く。

寿命で亡くなればその骨を身につけて過ごし続ける。そういう人間なのだ。

その証拠に、アルブレヒトはついこの間シャルロットと出会うまで抜け殻のような人間だったのだ。

仕事だけをする、心のない人形。言い方は悪いが本当にそうだった。


「難儀だよなあ」

「何がだ」

「いいや」


8年前のあの日、将来の学友として城に上がっていたヴィルヘルムは、決定的な瞬間を見ていた。

ヴィルヘルムが自分の命より大切にしていた愛犬ーーシャロが、殺されたところを。

あのとき、ヴィルヘルムは足がすくんでアルブレヒトを庇えなかった。シャロがかばったのだ。小さな体で、大きく跳躍して、アルブレヒトの心臓に迫る刃を全身で受け止めた。

抜け殻だったアルブレヒトを救ったのは父ではない。

本当に、アルブレヒトの命を蘇らせたのは、シャルロットだ。

それを言い切ることができた。なぜならこれでもヴィルヘルムはヒュントヘンの直系だ。

この血が、ヴィルヘルムのかわいい妹がシャロなのだと言い切っていた。


「アル、シャルロットを幸せにしてくれよな」

「断言したい」

「しろよ」


だから、ヴィルヘルムが幸せにできないかもしれないと不安がる気持ちも、多少はわかるのだ。

難儀だよなあ。ヴィルヘルムはもう一度、今度は囁くように口にした。

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