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百合と葡萄酒

「こんな時にパーティーとは……」

「まあ、仕方ないさ。現国王の生誕記念式典だったからな」

「ーーその国王は、いまもベルクフリートにこもったままか」

「……ああ」


閉ざされた控え室でアルブレヒトがぼやくのに、ヴィルヘルムが青ざめた顔で返した。

ここ数日寝ていないから、目がしばしばする。欠伸を噛み殺して、ヴィルヘルムはアルブレヒトの背後に立つ。

アルブレヒトも同じだけ寝ていないはずだが、目の下のくまがうっすら見えるだけで、相変わらず平然としていた。


「クロヴィスの背後が全く割れねえ。マルティナ嬢の言った通り、側仕えが長く勤めているが、その側仕えに怪しいところがない」

「例の衛兵からも、その側仕えとの接点が見えなかった」

「衛兵なんてそこを通ればすぐ接触できるからな、特にって言うと、たしかに難しい……だが」


ヴィルヘルムはアルブレヒトの横を通り過ぎる、ふりをして、小声で耳打ちした。


「クロヴィスは、最近花を輸入してるらしい」

「花?」

「ああ、それも、百合やら水仙やらチューリップ、ときたもんだ」


嫌そうに顔をしかめるヴィルヘルムに、たしかにそれは、とアルブレヒトは眉間にしわを寄せた。

この国では、それらの花はあまり好まれない。犬を殊の外愛するアインヴォルフ国民は、犬に有毒な植物にあまり興味を持たなかった。

だからこそ、無害な薔薇の品種改良が進み、アインヴォルフ国の特産品の1つにまでなったのだが。


「量は」

「温室一杯ってところ。それでもこの国の基準からして少なくないから目につくもんだ」


なにを企んでいるのか。シャルロットを狙うことと、花を集めることになんの関係があるのか。

クロヴィスがなにを考えているのかますますわからない。

だが、考えねばならないだろう。

シャルロットに危険を近づけさせないために。


ーーぱたん、と。音がした。

銀の髪をゆるくシニョンに結い上げ、こげ茶の筋は下ろして、優しい緑の眼差しがこちらを甘やかに見つめている。


「アルブレヒトさま」

「シャロ」


ふわりとアルブレヒトの腕の中に飛び込んでくるシャルロットを受け止め、アルブレヒトはその温みにほっと息を吐く。

心地よい薔薇の香りがアルブレヒトを包んで、それがアルブレヒトを心から安堵させた。


「シャロ、きれいだ、とても」

「ありがとうございます、アルブレヒトさま」


あの日、夕食の席でもう一度顔を合わせたシャルロットは、アルブレヒトに言った。

ーーわたしを守ってください。アルブレヒトさま。

後ろに控えるマルティナが、アルブレヒトの居るべき場所を視線で指し示す。

隣に立ったアルブレヒトを見て、シャルロットはゆっくりと息をした。

ーーわたし、一生懸命、守っていただきますから!

一生懸命守られる。その言葉がおかしくて、おかしくて、おかしくてーーアルブレヒトの目から涙が出た。

シャルロットを抱きしめる。背に回された華奢な腕は、もう、アルブレヒトの体を守ろうとはしなかった。



思い出して目を細めていたアルブレヒトを、誰かの肘がつつく。

アルブレヒトを現実に引き戻したのは、黒を基調とした礼服を着たアルブレヒトと、対であるかのように白い礼服のヴィルヘルムだ。

全身白く見えて眩しいと言ったら、多分怒る。


「それじゃあ、行こうか、シャロ」

「はい、アルブレヒトさま」

「マルティナ嬢、君も」

「……これはシャルロット様の護衛の一環です。そして、わたくしの名はマルティナ・マルティーズ。それをお忘れなきよう。ヴィオラ様」


後ろに控えていたマルティナがスッと背を伸ばしてヴィルヘルムの手を取る。緑のリボンで金髪が揺れる。エメラルドグリーンのドレスには、白薔薇の生花が飾られていた。


「わかった。素敵な名前だね、マルティナ・マルティーズ嬢」

「……ッ、ええ。ありがとう、存じ、ましてよ」


ヴィルヘルムとマルティナが控え室を出て行くーーそうして、アルブレヒトがシャルロットをエスコートして会場に入った時、どよめきが聞こえーーそれがすぐに静寂へと変わった。


マルティナが、因縁深いと噂されるヒュントヘン次期公爵と腕を組んでパーティーに参加したこと。シャルロットを想起させるエメラルドグリーンのドレスを着ていたこと。

そうしてーー飾っていた生花が、「シャルロット」

の薔薇であること。

それら全てが噂好きの貴族の想像を掻き立て、無遠慮に静かな騒音が奏でられ、やがて大きくなる。


それが、姿を見せたアルブレヒトとシャルロットーーいいや、まるで女神のように美しいシャルロットに視線をやった瞬間、釘受けになったのだ。

純白の生地に、真珠を使った白糸の刺繍。飾られるのはこれも白いリボンと、白い薔薇ーー「シャルロット」。

全てが白い中で、シャルロットのエメラルドグリーンの瞳は鮮烈に輝く。

透き通るように美しいシャルロットを見て、誰も彼もがため息をつかざるを得なかった。

頰をほんのり染めてアルブレヒトに微笑みかけるシャルロットが、マルティナを見て首肯する。

答えるように礼をとったマルティナを見て、周囲は二人の和解を感じ取ったように、目を見張った。


「踊りましょう、アルブレヒトさま」

「もちろん、シャロ」


白いドレスをシャンデリアにきらめかせる。存在そのものが愛くるしいシャルロットに誘われて、応えない男はいないだろう。そう確信できるほど、シャルロットが愛しい。


手を取って、大広間の中心に移動した麗しい婚約者を阻むものはいない。


くるりくるりとシャルロットが回るたびに真珠がキラキラと輝いて、夢のような光景だった。

アルブレヒトは愛しく思ってシャルロットを持ち上げる。まるで、四年前のあの日みたいだと思った。


「アルブレヒト、さまっ?」

「君が愛しすぎるから、仕方ない。君に触れる床にすら嫉妬する僕を許しておくれ」

「も、もうっ!」


仲睦まじい次世代の国王夫妻は、現王のベルクフリートごもりという不穏な噂を、忘れ去れる程に、希望に満ちているように、貴族たちには見えていたらしい。

口の軽くなった貴族の声を、ヴィルヘルムとマルティナが拾った。

それとなく近づき、にこやかに話しかける。


「それにしても、やはりシードルは最高だ!なんだったか、わいんとかいう、葡萄の酒。渋くて舌がしびれたよ」

「ごきげんよう、エインフント伯爵。楽しんでいらして?」

「それは王領の特産品だね。シードルは僕も大好きだ」

「ああ、ヴィルヘルム様、それにティーゼ侯爵令嬢ではないですか。いやあ、先日、ワイ……なんとかという葡萄酒をもらったのですがね。なんとも苦手な味で……。そもそも葡萄を使っているというのがいけない。材料の輸入を勧められましたが、我が領の犬たちがうっかり食べてしまったらと思うと背筋が凍って、断ったばかりなのですよ」

「へえ、葡萄。それは誰からもらったんだい?」

「クロ、と名乗る行商人です。苺なんかはいい品だったのですが……若いからか、商売が下手ですな。痩せた男で、こう、前髪を長くした……」


手を動かして表現するエインフント伯爵の話を聞きながら、ヴィルヘルムとマルティナは互いに目配せをした。

ーー見つけた。


そうして、得た情報をアルブレヒトに伝えるべく、エインフント伯爵との話を切り上げた、その瞬間のことだった。


「お、王がーー王が!崩御しました!!」


見放されたベルクフリートを見張る若い兵士。血相を抱えた年若い少年が、大広間の扉を開けて、叫ぶ。


一拍ののち、決壊したようなざわめきが広がった。

ヴィルヘルムとマルティナは、驚いたように目を見開くアルブレヒトと、その隣、呆然と佇むシャルロットの元へ走る。

いち早く正気を取り戻したアルブレヒトが、シャルロットを守るように抱きかかえーーその刹那、マルティナは、ぞわりとしたものを感じて振り返った。


悲鳴と泣き声の渦巻く人々の中、マルティナが見たものは、光の失せた緑の目を不気味に淀ませ、ニタァと歪な笑みを浮かべる自身の兄ーークロヴィス・ティーゼ、その人だった。

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