こぼれ落ちた薔薇
自身を崇拝でもするように見あげるマルティナを、シャルロットはじいっと見つめていた。
許すなんて高慢だ。こんなの両成敗に過ぎない。
マルティナはシャルロットに人と視線を合わすことを教えてくれた恩人だ。
けれど、シャルロットを傷付けたのもマルティナだったから。
だからシャルロットがしたのは、マルティナに手を差し伸べる行為ではなかった。
マルティナは感謝しただろうか、そんな目で見ないでほしい。
だってこんなのはただの八つ当たりだった。
シャルロットは脆弱で、愚かで、もの知らぬただの少女に過ぎない。
アルブレヒトと一緒にいたマルティナに、あの一瞬、シャルロットはたしかに嫉妬したのだ。
それを押し込めて、祈るみたいにまごついた言葉を繰り返してーー……。
ヴィルヘルムを見て、マルティナを見てーー、アルブレヒトを見た。
その目がどれも、シャルロットに知られてはならぬことを隠していると、唇よりずっと正直に語っていたから、シャルロットはようやく冷静になれたのだ。
マルティナは、アルブレヒトを好きではない。そう確信した。
「わたしの、ため、なのだわ」
呟いた言葉は、侍女たちに世話を受けているマルティナには届かない。シャルロットは侍女のアンナに付き添われて、ソファに座っていた。
アルブレヒトとヴィルヘルムは、やはり、シャルロットに聞かれたくないことがあるのだろう。
すぐに戻ってくると言って、どこかへ行ってしまった。
それでよかった。今、シャルロットはアルブレヒトに話せないと思ったから。
きっと、アルブレヒトにも怒ってしまう。
震える手を、アンナがそっと包む。ふっくらした手は、シャルロットの冷えた指先を温めてくれた。
「おひいさま」
そうっと、アンナが口を開いた。
「私共には、おひいさまをいじめたティーゼ侯爵令嬢はただ憎たらしい相手です。それでも、許すと決めたおひいさまは、そうしたかったのでしょう」
許しの理由を聞かないアンナは、跪いて、座ったシャルロットと視線を合わせる。
「きっとね、わたしのためなのよ。アルブレヒトさまも、お兄さまも、マルティナ・ティーゼも。わたしのために、あそこでなにか話していたの」
根拠はない。けれど、シャルロットは確信していた。
あの時、シャルロットの胸に去来したのはたしかに嫉妬だった。
だが、次の瞬間にシャルロットの胸を埋め尽くしたのは、不甲斐ない自分への嫌悪だった。
「わたしは、守ると決めたのよ。アルブレヒトさまを……守りたくて……4年前、マルティナ・ティーゼに出会って、そう、誓ったの、に」
からからに乾いた喉が、シャルロットの言葉をかすれさせる。
涙は出なかった。ただただ、情けなかった。
守られることしかできない無力な自分が嫌で、嫌で、嫌で。
力がこもって白くなった指先をアンナがさする。
「このアンナには、おひいさまのお言葉をすべて理解することはかなません。けれど、アルブレヒトさまが不器用な方なのは存じております。私がお育てしましたから」
顔を上げたシャルロットに、アンナは優しく笑った。
母のそれと、よく似ている。
その笑顔を見ながら、シャルロットは噛み締めた唇をそっと緩めた。
「それでは、わたしは守られるばかりでいるほうがいいの?」
「いいえーーいいえ」
アンナは言った。
「おひいさまさまは、もうとっくに、アルブレヒトさまを守っております」
「そんなこと、ないわ」
「目に見える手助けだけが、守るということだとは限りません。アンナはもうずっと、おひいさまがアルブレヒトさまを守ってくださるのを見ていましたよ」
信じがたい言葉だった。
シャルロットを元気付けるための嘘じゃないかとすら思えた。
ーーけれど、アルブレヒトの乳母であり、今はシャルロットの侍女であるアンナは嘘をつかない。
事実としてそれを知っているからこそ、シャルロットはますます混乱した。
ぐるぐると胃の中を回る不快感ーーふいに、アルブレヒトの足音がする。
立ち上がったシャルロットは、息ができないからアルブレヒトに抱きしめて欲しくて、ふらふらと扉へ向かった。
アルブレヒトの、黒い髪が見える。
安心して微笑んだシャルロットはしかし、その背後、衛兵の服を着た「見知らぬ誰か」が振り返り、アルブレヒトに向かって白銀にきらめくものをふりかざしたのを見た瞬間、アルブレヒトを突き飛ばしていた。
そうして、パッと鮮やかに溢れるのだ。
紅い、花びらが。




