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君のすべてに恋をしている


「ごめんなさい、お姉さまたち。少しだけ、ほんの少しだけ席をはずしてもいい?」

「もちろんよシャルロット」

「けれど無理はしないでね、シャルロット」


目もとを赤くしたシャルロットを気遣って、姉たちがそういう。

気にしないでというように紅茶を口に含んだクリスティーネ、クッキーに手を伸ばしたアレクシア。

ふらふらとした足取りでドアを開けるシャルロットを見て、そうして――気付いて言った。


「シャルロット、侍女は?」

「外に、いるから」

「そう、そうなの?シャルロット。いなければすぐにお姉さまたちを呼んでね」


嘘だった。家族に嘘をついたのは初めてだ。

お茶会の時、家族団欒だといって席を外してもらった侍女たちは、今はすぐ近くにはいない。

あの時恋を知らなかった、無邪気なシャルロットがそう頼んだからだ。


ふらり、ふらり。衛兵のいる場所は覚えていた。シャルロットはもう10年以上もここに住んでいる。

夢見るような足取りで、アルブレヒトがアーモンドの花を挿してくれた中庭へ歩を進める。

薄紅色の花が風に揺れ、時折花びらが舞い散る。

思わず手を伸ばしたシャルロットの指をすり抜けて、遠くの花壇に落ちていく花びら。


「おかしいの、息がとってもし辛くて」


落とした独り言を抑え込むように喉に触れる。

とくとくという鼓動を指に感じて、シャルロットはまた泣いてしまいそうだった。

花びらが手に入らないのも構わない。

息ができなくても苦しくなんてない。

それなのに、いつかアルブレヒトが「ひと」として愛する相手を想像すると、シャルロットはうずくまってしまいそうになるのだ。


――わたしは、犬だもの。


いつか誰かが言った負け犬姫。今になって、それはとても的を得ているように思えた。


「……ある、」

「おや、「愛犬」の姫君。こんなところで供もつれず、どうしましたか」


突然降ってきた声に、はじかれたように振り返る。

輝くばかりの金の髪を一つに結わえ、肩口から垂らしている、緑の目をした男。

目を細めてシャルロットを見ている。


「いいえ、なんでも、ありません」

「そんなに警戒しなくても。私はティーゼ侯爵家のクロヴィスと申します」


その名前は知っている。顔だって見たことがある。

――マルティナ・ティーゼ。シャルロットにとって一つの契機ともなった侯爵令嬢。

今も忘れえぬ彼女の、ただ一人の兄。騎士団長の嫡子。


「……なにか、ご用がおありですか」

「無邪気な姫君と聞いていましたが、なんとも慎重ですね。「愛犬」はあなたにとっての讃辞だと思っていましたが。……殿下の「愛犬」が嫌になりましたか」


図星をさされて、シャルロットは押し黙った。

それをどう思ったのだろう。ねばついた視線がシャルロットをはい回っているような心地がして、シャルロットは踵を返した。


「用がないのでしたら、これで」


声は震えてはいやしなかったか。一刻も早くここから離れたくて、シャルロットはうまく呼吸ができないまま、元来た道を行こうとして――ぱし、と、その手を後ろから引かれた。


「何を……」

「いいえ、「愛犬」とは言いますが、存外忠誠心の低いものだと思いましてね。どうです、仔犬の姫君。私の――」

「――何をしている。クロヴィス・ティーゼ」


なにか固いものが砕ける音がした。そうしてはっと声のしたほうを見ると、そこにはアルブレヒトがいた。

シャルロットの、見たことのない顔をして。


「ヒッ……こ、これは、殿下」

「僕の、シャロに、何をしていた」


短く切って発せられた言葉が、クロヴィスの体を串刺しにしている、そういう幻覚が見えそうですらあった。薄暗い目――いいや、もう光など宿しておらぬその青い目からは、鈍色の感情が漏れ出しているようで――殺意だと、シャルロットは思った。


「あるぶれひと、さま」


クロヴィスの手を振り払う。わずかな距離を駆け抜けて、跳びこんだ腕に、ぎゅうと抱きとめられる。

腕の中に戻ってやっと肺に届いた空気に、シャルロットはようやく息ができたと思った。


「シャロ」

「アルブレヒトさまぁ……」


優しい声が、シャルロットの耳朶を打つ。

ぼたぼたと涙があふれて落ちて、アルブレヒトの胸元に染みを作る。

ふわりと抱き上げられて、ついで、シャルロットは涙を流したまま目を丸くした。


「けがをするといけないから」


横抱きにされたまま、アルブレヒトの歩いてきたほうへと視線をやる。床の大理石が、足跡を形作るように砕けていた。


「は、はは。お邪魔のようですし、私は用を思い出したので、はは、退出させていただきます」


乾いた笑い声が聞こえる。

音をたてて遠ざかっていく足音を聞きながら、シャルロットはアルブレヒトの腕の中で体を丸めていた。

「愛犬」が嫌なのだと、聞かれていたかもしれない。それが急に怖くなった。


「シャロ、泣いているの……?」


いやだ、一緒にいてもいいのは、シャルロットがアルブレヒトの犬だからだ。

その権利まで奪われたらシャルロットはどうなってしまうだろう。


「お願いだ、シャロ。泣いてもいいから、ひとりで泣かないで。僕は、シャルロットが泣いていることが、世界で二番目に辛い」


アルブレヒトは続けた。


「そして、君を失うことは、世界で一番つらいことだ」


だから話してほしい。懇願のような響きだった。

アルブレヒトは何も悪くない、悪くないのに、そんな声をだしてシャルロットにおもねる必要なんかないのに――。

シャルロットは、だから、だから、もうこれ以上をアルブレヒトから差し出させたくなくて、だから……。


「ごめんなさい」

「シャロは悪くなんて……」

「アルブレヒトさまの犬だけじゃなくて、一番になりたい、そう思ってしまったんです」


ひゅ、と息をのんだ音が聞こえた。

シャルロットはかまわず続ける。分不相応な想いを抱いたせいだ。

だからシャルロット自身が苦しむのは、自業自得なのだ。


「ごめんらさい、わ、わたし、犬なのに、犬なのに、こんらこと思って……でも」


シャルロットの目から、大粒の涙がこぼれる。


「らけど、わたし、あなたが好きらから、好きらから……ごめんらさい、それれも、ずっと一緒にいたい……!」

「シャロ、それは、君が僕に恋しているということ?」


アルブレヒトの胸に顔を埋め、しがみつかんばかりにくっついた、そのシャルロットの後頭部から、声がする。

でも、おかしいのだ。シャルロットに向けられるべきではない声がする――熱のこもった、期待をはらんだ声――アルブレヒトが、まるでシャルロットの恋心をうれしく思っているような、そんな声がする。


こくんと、首だけで答えたシャルロットの頭に、熱いものが触れる。


「シャロ」


感極まったような声――それが、よく聞いて。とシャルロットの鼓膜を震わせる。

そうして――アルブレヒトは言った。


「僕も、恋をしている――シャルロット・シャロ・ヒュントヘン。君に、君のすべてに、恋をしている」



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