マルティナ・ティーゼ
シャルロット・シャロ・ヒュントヘンは、マルティナ・ティーゼのあこがれだった。
初めて出会ったのは、マルティナが5歳になってずいぶん経った頃だ。春に産まれたシャルロットは、誕生日のお祝い事もずいぶん華やかで、冬の初め、木々の紅葉すら落ち切ったころに開かれる誕生日パーティーとは大違いだった。
マルティナだって、春に産まれていればこのくらいに素晴らしい誕生日パーティーだったはずだ。悔しくて憎まれ口をたたいたマルティナを、騎士団長をしている父は優しくたしなめた。
それでも……それでも、実際のシャルロットを見たとき、マルティナの天狗だった鼻っ柱は簡単におられた。そのくらいに、シャルロットはマルティナのこうありたいという理想そのものだったのだ。
可憐な笑顔、ちょこちょことした動き。小柄な背丈で愛らしい、マルティナは、シャルロットと仲良くなりたかった。
――けれど、マルティナの美しい妖精は残酷で、それすら許してなどくれなかった。
シャルロットは、アルブレヒトに駆け寄った時、まるでマルティナを視界にいれなかった。
一瞬たりともマルティナが映らない目に失望して――いいや、そんな大人っぽいものじゃない。
言ってしまえばマルティナはふてくされていたのだ。
マルティナは、結局シャルロットにあいさつすることなくヒュントヘン公爵家を後にした。
風のうわさで、シャルロットが王太子アルブレヒトの婚約者に選ばれたと聞いた。
頭の冷えていたマルティナは、それをうれしく思ったものだ。
マルティナの妖精は、さすがだ!仲良くなりたいという思いがもう一度膨らんで、それから2年間、マルティナは努力した。
朝から走り込みをする父と兄に頼み込んで、マルティナも鍛えた。
シャルロットが歌の名手だと聞いてからは、それまで得意ではなかった歌の勉強にも力を入れた。歴史の勉強だって、マナーの練習だって頑張ったし、シャルロットに釣り合うようになりたくて、おしゃれの研究にも力をいれた。
不器用なマルティナは、朝も夜も、ひたすらに練習した。それでも、少しマシになったくらいの腕前しか得られない。だからもっともっと練習せねばならなかった。
「お前は、シャルロット嬢が本当に好きだね」
「当たり前よ、兄さま。シャルロット様は、本当にすごいんだから」
マルティナと仲の良くない兄をしてそう言わしめるほど、あの頃のマルティナは、頭に思い描いた理想のシャルロットに夢中だった。
けれど――けれど、シャルロットが初めて主催したお茶会に招かれ、歓喜して向かったお茶会で見たシャルロットには、あの頃の輝きの半分もなかった。
「シャルロット様って、意外と大したことないんですよね」
つい、口をついてそう出たのは、マルティナのずっと治らない悪癖だ。
だが、怒るかと思ったシャルロットは、少し驚いたようにこちらを見た後、うつむいて「そうなの」と言っただけだった。
マルティナにお叱りが来なかったからか、調子に乗ったのは周りの令嬢で、口々に、ぼかした嫌味をささやいた。――それにも、シャルロットは反論しなかった。
「失望したわ」
本気でそう思った。それが口に出た。シャルロットは、二度とこちらを見なかった。
シャルロットの侍女から父に連絡が言ったのだろうか、夜、父にこってり絞られた。
何度も何度もシャルロットにひどいことを言った。
そのたびに、マルティナの妖精は傷ついていく。すうっとするような感覚と、重苦しい罪悪感がマルティナの心を埋め尽くして、10歳のころには家に帰るたび吐いていた。
そんなにやってもシャルロットは怒ることなく、かわりにマルティナをその目にうつすこともかった。
「マルティナ」
「父さま」
シャルロットとアルブレヒト王太子の婚約披露パーティーという場で、シャルロットに直接手をあげたマルティナは、王城の一室に軟禁されていた。手には包帯がまかれ、今もつんと薬のにおいがする。
「今回のことを、私はかばうことができない」
「はい」
良くて国外追放だろうか、あの王太子の態度からすれば、極刑もありえるだろう。
氷のような美貌、氷の王太子――そんな生易しいものではなかった。アレに好かれるシャルロットが哀れですらあった。
この世界がおとぎ話なら、あの王太子は魔王か何かだ。自嘲するようにマルティナが口の端をゆがめると、父侯爵はぐうと喉を鳴らして、赤くした目でマルティナを見下ろした。
「侯爵家の財を、いくらか国に納めるようにと」
「……もうしわけ、ありません」
「違う、マルティナ、それだけではない。……髪を」
「髪?」
父の震える口ぶりから、マルティナの命だと思っていたが、意外な言葉がでて面食らった。
「髪を切れと……」
鋏を差し出し、そう言うや、父はおおんと声を上げて泣いた。
マルティナは、父が泣くところを初めて見た。
「なあんだ」
「そうだよな……髪は女の命だと……は、」
マルティナは、父のごつごつした手から鋏を抜き取る。一つに結った髪の付け根をぎゅっとひっぱって、次の瞬間じゃぐん!と音を立てて切り落とした。
マルティナの、金糸のような髪が、ただの毛束となって、マルティナの手に握られている。
はらりと落ちるリボンをつかみとり、軽くなった頭を振って、マルティナは笑った。
「軽くなってちょうどいいわ。父さま、わたくし、騎士になりたいの。これからもっと、鍛えてくださいな」
父が泣き笑いのような顔を浮かべる。
マルティナは、シャルロットの緑の目に映った自分を思い出した。
なんだかとても、いい気分だった。




