もうすぐ12歳
「シャロ、今日は何があった?」
「お茶会をしたの、アルブレヒトさま。フント領のお茶をいただいて……」
「……そう」
シャルロットの顔が陰る。
これ以上聞こうとも、シャルロットは言わないだろう。そういうところが、昔から頑固だった。
自分のいたずらにはすぐに申し訳なさそうに尻尾を垂らすくせに、アルブレヒトの失敗は、他人に知らせないようにだろうか、急に走り回ったりしてごまかそうとする。不器用なところはずっと変わらない。
かわいくて愛しいシャルロットのことを幸せにしたい。そうヴィルヘルムに言ったけれど、やはり一度壊れて継ぎ接ぎをしただけのアルブレヒトでは、どうしてもうまくいかない。
アルブレヒトは、怒り心頭で今日のことを報告してきた侍女長の顔を思い出した。
ーーティーゼ侯爵令嬢がおひいさまにお茶をかけて……!わざとじゃないなんて、そんなことあるものですか!
ーーおひいさまのあんな噂、事実無根だとすぐにわかるでしょうに!ティーゼ侯爵令嬢がおひいさまにあんな態度をとるから、ほかの令嬢方も調子に乗っているのです。
ーーおひいさまが止めなければ、私が片っ端から放り出してやりましたわ!
「アルブレヒトさま、だいすきよ」
すうっと息をするシャルロットは、少しずつ緑の目に光りを取り戻している。
月の光がシャルロットの銀髪に反射して淡く光る。
幼い頃より色の薄くなった黒い髪は、今は柔らかなグレー。
昔のシャロと同じように、仔犬が成犬になるように、色を淡くしていくシャルロットを、アルブレヒトはもう、二度と、不幸にしたくはなかった。
「僕も、シャロのことを愛しているよ」
愛しているから、だからーー……いいや、苦しめるとわかっても。この腕から離したくないと思ってしまう。
ヒュントヘン公爵家から、シャルロットを案じる手紙は幾度も届いていたが、その手紙には、シャルロットを公爵家に帰すようにとは一度も書かれていなかった。
アルブレヒトを信頼しているのか。こんな自分を。
この間会ったヒュントヘン公爵は、アルブレヒトに好意的だった。
それでも、今のシャルロットを考えると、ヴィルヘルムが抑えていると言った方がずいぶん真実味があった。
アルブレヒトの腕で、安心したように目を閉じるシャルロットを見下ろす。
ーーどうして、君はそんなにやさしいのだろう。
アルブレヒトは、シャルロットがアルブレヒトに心配をかけぬように何も言わないのだと気付いていた。
アルブレヒトには頼れないのかと傷ついたことだってある。
それでも、その一生懸命な姿が、かつてアルブレヒトが心の拠り所にしたシャルと同じで。だからアルブレヒトは、シャルロットに問いただそうとするのをやめたのだ。
ーーかわりに。
かわりに、シャルロットにばれないように、令嬢たちの実家に圧力をかけることにした。
貴族なんて、だれもかれも探られて痛い腹の1つや2つ持っているものだ。
アルブレヒトは、王の代わりに出ている議会の場で、ちらりとそれをほのめかした。
必死に取り繕うもの、賄賂を送ろうとするものーー。そうやって尻尾を出したところに処罰を与えた。
無邪気だったシャルロット。けれど今は、お茶会の面子が変わっていることに気づけているかも怪しい。
いいや、おそらくは、気づいていても、言わないだろう。
「シャロ、今度の君の誕生日に、君をお披露目しようと思うんだ」
「お披露目?」
「うん、君が、僕の婚約者だって、国中の人に知らせるためのパーティーを開くんだよ。よければ、ファーストダンスは僕と踊って欲しい」
シャルロットは、一瞬考えるように首を傾げた後、小さく、あ、と呟いた。そして、目元を赤く染めて、潤んだ緑からきらきらとした光をこぼした。
「たくさん踊って欲しいわ、アルブレヒトさま」
「もちろん。3回……いいや、それ以上だって、何度でも踊ろう。僕は会場の男の嫉妬を一身に受けるだろうな」
「そうしたら、私がアルブレヒトさまの体を隠してあげる」
こうやって!
そう言って手を大きく広げるシャルロットの目から、涙が溢れる。それはきらきらとアルブレヒトの服に染みを作ったが、シャルロットは自身が泣いていることに気づいていないようだった。
それがどうしようもなくかわいそうで、どうしようもなく好きだと思ってーー……同時に、どうしようもなく、情けない。
シャルロットに、こんなに我慢を強いている。涙が勝手に落ちるほど、シャルロットは追い詰められているのだ。
明日、決着をつけよう。もう、シャルロットを悪意にさらすことなどないように。
アルブレヒトは、シャルロットの華奢な身体を包み込むように、しっかりと抱き直した。
「ーーシャルロット・シャロ・ヒュントヘン。彼女が私の婚約者だ」
翌日のシャルロットは、輝かんばかりに美しい王太子の婚約者として、王家主催の婚約披露パーティーに君臨した。
ファーストダンスをアルブレヒトと踊り、セカンドダンスも、その後も。
踊り続け、シャルロットを解放しないアルブレヒトを、予想通り男たちの嫉妬の視線が突き刺したが、それだけで、人々は、この、王太子の寵愛深い姫君こそ、庶子と言われたはずのシャルロット・シャロ・ヒュントヘンなのだと理解しただろう。
シャルロットが、日陰の存在であるはずがない。
「シャルロットをよろしくおねがいするわ、わたくしの大切な未来の娘なの」
「お義母さま……ありがとうございます」
アルブレヒトの母王妃は、ここぞとばかりにシャルロットを溺愛してみせた。
朗らかに笑う王妃に、並み居る貴族の当主は驚いた。
鬱々と閉じこもっては、ふいに貼り付けた仮面の笑みで夜会に現れる王妃が、堂々と主催の一人として振舞っている。
それがシャルロットによってもたらされたものだと理解した者は、確実にいた。
ヒソヒソとした噂も、今は聞こえない。
明日から、確実に少なくなっていくだろう。
ほぅと安心したアルブレヒトは、少しの間シャルロットから離れることにした。
シャルロットが、両親に会いにいくの、と笑ったからだ。
ある人物が、ちょうどアルブレヒトに話しかけてきたのも、理由のひとつだった。
シャルロットは、別れる前、翳りのない、嬉しそうな笑顔でいた。だから油断していたのだ。
パン!と、乾いた音が会場に響いたのは、アルブレヒトがシャルロットと合流しようとしたときーーシャルロットと別れてから、幾ばくもたっていないときだった。




