上手に幸せになる方法
最初にその違和感に気づいたのは、シャルロットが7歳になったばかりの頃だった。
そのころから、シャルロットは社交の練習と称した同年代の子女とのお茶会などを主催するようになっていて、まさしく目の回るような、と言っていいほどの忙しさの中で暮らしていた。
だからーー最初は、気のせいだと思った。
けれど、気のせいではないのだと知ったのは、それからまもなく。
優しい人によって隠されていた、シャルロットが知らぬようにと離されていた、どろどろの悪意。
7歳の秋、髪が引っかかったと偽って、ぶちぶちと毛を抜かれたとき、そんなものがあるのだと、シャルロットは知った。
それが一過性のものであればよかった。けれど、ヒュントヘン公爵がシャルロットを城にやったことを、公爵がシャルロットをないがしろにしているせいだと噂を広めたものがいたらしい。
気づけばシャルロットは、公爵一家に溺愛された仔犬姫から、実は庶子かもしれぬ子供、などと侮られるようになっていた。
王妃は激怒した。
アルブレヒトは噂の出所を探させた。
父や母、留学から帰ってきた姉たちや兄は、あらゆる場所でそれが嘘だと断言した。
それでも、一度広がった噂は、固定観念として残り続ける。
次の満月がくれば12歳になるシャルロットは、悪意がどれだけ巧妙に隠されてひとの体に収まるかを、悲しいくらいに理解していた。
理解せざるをえなかった。
「これは……フント地方の茶葉かしら。今年は雪解けが早かったと聞いたの。春摘みのダージリンをこの季節にいただけるのはうれしいわ」
そう言ってシャルロットが微笑むと、シャルロットを探るように見つめていた令嬢がにっこりと笑い返した。
「さすがですわ、シャルロット様。我が家の領地のこともご存知なんて」
「広い目をしていらっしゃるわ」
「ええ、そうね、なにせ王太子殿下の婚約者ですもの」
次々とシャルロットを褒めちぎる声がする。シャルロットはほほえんで、ありがとう、と柔らかく言った。
「あら、冬の終わりに飲む春摘みのダージリンなんて、それはもう春摘みではないのではなくて?」
和気藹々とした会話に、そんな棘だらけの言葉を放り込んだのは、シャルロットの向かいに座った少女だった。
輝くばかりの金髪をくるくると巻いて、赤いリボンで飾っている。緑の目が、挑発的にシャルロットを見つめていた。
シャルロットは、自身の顔を映した紅茶の水面に視線を落とす。
テーブルクラスに隠した手で、今にも怒り狂って暴れだしそうな侍女たちを制す。
「……そうね、ごめんなさい。ひとつ学びになりました。ありがとう、マルティナ・ティーゼ」
「マルティナ様、言い過ぎですわ!」
「なによ、あなた方も思ったのではなくて?」
マルティナと呼ばれた少女は、国の守りの要である騎士団長の娘だ。無下にはできない。
シャルロットをせせら笑って挑むような眼差しを避けるように、笑ったふりで目を細めた。
「いいえ、私が至らなかったの。教えてくれるお友達がいて、わたしは幸せだわ」
「シャルロット様…なんてお優しいの!」
「さすが未来の王妃様ですわ」
幸せでいないといけない。その想いは、天真爛漫だった幼いシャルロットを少しずつ蝕んでいた。
お気に入りの髪飾りがなくなった。
ーー王宮の裏庭で、土にまみれて見つかった。
アルブレヒトからもらった花を、ぶつかった拍子、「うっかり」で踏みにじられた。
ーー昨日まで話していた令嬢たちが、シャルロットを困らせるゲームをしていたのだと知った。
アルブレヒトの婚約者という地位が、妬ましいのかもしれない。あるいは、シャルロットの噂を信じているのか。
シャルロットが6歳になるころ、シャルロットの知らない女官が、シャルロットにわざと違う道を教えた。
その結果、シャルロットは手すりの修理中だった階段から落ちるところを、ぎりぎりでアルブレヒトに助けられることになった。
原因を作ったからと言って、アルブレヒトによって解雇されたと、その女官は言った。
すべてシャルロットのせいだ、そう、シャルロットに恨みを吐いた女官の顔を、シャルロットは見ないようにした。
……きっと、幸せでなくなってしまうと思ったから。
シャルロットは、アルブレヒトへ、その日悲しかったことを伝えるのをやめた。かわりに、王妃と歌ったことや、侍女たちと遊んだことを話した。
幸せでないのは、いけないことなのだ。だって、アルブレヒトが悲しそうな顔をするから。
シャルロットは、アルブレヒトにいつも笑っていて欲しいのに、どうしてもうまくいかない。
毎晩シャルロットを抱きしめてくれるアルブレヒトは、この頃、シャルロットといても口数が少なくなっていた。
「シャルロット様?」
「ーーえ、え。そうね。カルラ・オランジュ。そのペンダント、最近復活した技法で作られているでしょう。とても素敵」
危うい目でシャルロットを見つめるアルブレヒトのことを思い返していたら、会話を逃すところだった。
危ないところだった。子供だって、こちらが一歩間違えれば足元を掬えるのだ。
アルブレヒトに助けを求めてはいけないと、シャルロットは決めた。
ならば、自分が侮られぬよう、しっかりしなくてはいけない。
腹に力を込めて、口角を上げたシャルロットは、こちらをねめつけるマルティナが持ち上げたものを、とっさに知覚することができなかった。
ぱしゃん。その音の後に、冷めた紅茶が、生温い雫を落としてシャルロットの髪を濡らした。
パタパタと落ちた一滴一滴が、シャルロットの着ていたドレスに染みを作る。
「ごめんあそばせ。シャルロット様。手が滑ってしまったの。許してくださるわよね?」
悲鳴をあげる令嬢たちを無視して、マルティナがシャルロットを睨むように見た。
もちろんよ。
か細い声で、シャルロットは言った。……それしか言えなかった。
どうして、シャルロットはこんな目にあっているのだろう。しゃくり上げそうな声を無理やり押さえつけて、咳をすることでごまかした感情は、もう限界だった。あと少しの刺激で、ふくれた感情がシャルロットの体を巻き込んで破裂してしまいそうだった。
目が熱い。すう、と目を閉じ、息を吸って侍女たちを振り返った。
「皆さま。冷えてしまうから、今日はおひらきにしましょう」
令嬢たちの顔をーーマルティナの顔を見ることはなかった。
侍女たちが、マルティナを囲んで守るように連れ帰る。後ろから、クスクスとひそやかな笑い声がして、シャルロットはぽとりと、耐えきることのできなかった、ひとしずくの涙をこぼした。
「今の、見た?」
「ええ、仔犬姫なんて呼ばれているけれど、あれじゃあ負け犬姫ね」
「あら、お上手。それにしても、マルティナ様、お見事ですわ」
「さすがマルティナ様ね」
令嬢たちの声が聞こえなくなる。マルティナは、なんと返事をしたのだろうか。マルティナの視線がシャルロットをまだ追っている気がして、シャルロットは噛み締めた唇を震わせた。




