雨が降っていた
その日は、雨が、降っていた。
雨に濡れたせいだろうか。わたしの体は底冷えするように冷たくて、同時に、だんだん動かなくなっていくのを感じた。
寒いから、あたためてほしい。そう思うより少し前に、大好きなひとがわたしを掬い上げてくれた。
両腕にわたしのちいさな体を抱えて、彼は雨を降らす。あたたかい雫が、わたしに当たると急に氷みたいに冷たくなる。
変なの。眠くないのに、瞼が落ちていくのをとめられない。
彼の、ひなたぼっこしているときのような匂いに包まれているのに、どうしても鼻をつんとつくのは、甘いような、生臭いような、変なにおいだった。
この臭いは好きじゃない。「ご主人様」の匂いを嗅いでいたい。
ぽつりぽつりと降り注ぐあたたかいものは、わたしの、何かでべったり汚れた顔を洗うように、ぽたぽたと、とめどなくあふれているようだった。
雨は嫌いだけれど、このお日様の匂いのするあたたかい雨は嫌いじゃなかった。
――ああ、でも、そんな顔をしないでほしい。
「シャロ……シャロ」
涙を流す「ご主人様」の手をとって、泣かないでと言えたらどれだけいいだろう。
けれど、わたしのけむくじゃらの手は短くて、黒い唇は獣の声以外あげられない。
――聞こえているよ。大丈夫だよ。
ふわふわしておぼつかない頭でそう返す。
ああ、そうだ。瞼のとばりが完全におりてしまう、その前に、絶対に言わないといけないことがあるのを思い出した。
「……きゃう」
戻ってくるよ。あなたのところに、絶対に、絶対に、帰ってくるよ。
どう頑張っても、わたしの黒い唇からは言葉は出ない。けれど、勝手に約束をした。
体が氷みたいにうごかなくなっていく。視界が煙って、大好きなご主人様の青い目が見られなくなった。
――雨が降ったら、晴れになるんだ。シャロ。
かつてあなたが言った言葉を、ちゃんと覚えてる。
晴れになるよ。晴れにするよ。私が、晴れにするよ。
これは一方的な約束だ。それでも、わたしはこの魂全部と引き換えにしたって、かなえて見せると誓ったのだ。
だから、そう。だから、このあたたかい雫は雨だった。