七
「貴方達が返り討ちに遭うだなんて、流石に思ってませんでしたよ」
転雨内某所にあるマテリアル本部。メイド服を纏う、桃色の髪をした少女──矢弾桃花は、半分驚き。半分動揺の表情で言った。
「数十分前の僕達も、こうなるとは予想していなかったさ……。実験体を匿っていた連中は、普通じゃない」
椅子に腰掛けるクァールは、ベッドの上で寝息を立てているズィールの小さな手を握る。その温もりが、彼女がまだ生きているんだと実感出来て、心から安心出来た。
ここは、本部内にある医療施設。その病室の一つだ。御船の手によって深い傷を負ったズィールを治療した後、ここまで運んできた。
クァールは組織の一員ではあるものの、ここを訪れるのは初めてだった。それ程、彼とその相棒が怪我を負った事が無いという事だ。
桃花が、彼の肩にそっと手を置く。
「今回の敗北を、貴方が気負う必要はありませんよ。これは、相手を侮っていた組織全体の責任です」
「…………そうだね」
「それにしても裁川家……自分達の脅威となるような存在を、どうして今日まで組織は認知していなかったのでしょう?」
口元に手を添え、首を傾げる。
マテリアルは、情報屋である『黒姫』に比べれば遥かに劣るが、この転雨という都市の裏事情は勿論、在住している異能力者も全て把握している。そこまでしなければ、この都市で生きていく事は出来ないのだから。
しかしそんな組織でも、未だに把握出来ていない異能力者が居た。これは由々しき事態だ。
「そもそも実験体一人を連れ戻す為に、どうして私達を動かしているんです?」
「それは彼女の持つ二つの異能力が、とても厄介なものだから……と、柊天罰が言っていたよ」
彼の言う柊天罰とは、ナース服を着ていた少女の事である。クァールはその能力の詳細を知っているので、自分達が動くに足りる理由だと理解していた。
「よく考えてもみて下さい。厄介な能力を持っているのなら、能力者では無い構成員に『領域』を持たせればいいだけの話じゃないですか」
「……確かに。言われてみればそうだ」
領域とは、半径五キロ圏内に妨害電波を発信させる巨大な棒状の装置。妨害電波を発する事の出来る機械の中では、現状最も効果範囲が広い。ただしその分コストがかかるので、組織も五つ程しか所有していない。
桃花は左手を腰に当て、右手の人差し指を突き立てた。
「つまり、です。雨宮雲雀という実験体には、組織がなんとしても取り戻さなくてはいけない理由がある……という事です」
「なら、どうしてそれを僕達に伝えないんだ? 僕達だって組織の一員だ。隠す必要は無いだろう」
「それは……なんででしょうね? いっそ能力を使って調べてやりたいですが……生憎とこれがありますから」
言いながら、首に嵌められた黒い首輪に触れる。それは彼女が組織に逆らわない為に、不可視の鎖で組織に繋ぎとめる為の、絶対服従の証と言えた。
「強力過ぎる力を持つのも大変だね」
「そうですね。この能力を持った事を後悔した事も。神様を憎んだ事さえあります。でも──」
病室の自動扉が開き、一人の少女が駆け込んできた。
黒い髪をツインテールに纏め、首から下を黒いタイツで覆っている。その上からノースリーブの服を着て、短パンを履いていた。
「この能力のお陰で幸せなれたのも、事実です」
その少女を見つめながら、桃花は朗らかに笑った。
「お母サマ。裁川家について調べてきましたガ、何も判明しませんデシタ……」
まだ完璧に日本語を話せない外国人の様な。もしくは人工知能の様な口調で、矢弾エナは桃花に言う。
エナは人間では無い。人の姿をした超高性能アンドロイドだ。その知能は高く、コンピューターへのハッキングも出来る。そしてその目で閲覧した情報全てを記憶し、半永久的に記憶する事が出来る。まるで動く図書館だ。
「『黒姫』さんはなんと?」
「何も知らない、と言っていまシタ」
「そうですか……転雨一の情報屋である彼女が知らないというのなら、恐らく誰も知らないのでしょうね……」
「桃花。君の能力で彼女達の事を探れないのかい?」
「勿論それは、一番最初に試しました。だけど無理だったんです。まるで見えない壁に遮られているみたいに、裁川家の事を知る為のありとあらゆる手段が、全て何かに妨害されてしまうんですよ」
「彼女達の味方をしている異能力者が、他人の異能力を妨害出来る能力を持っている。もしくは組織の誰かが最初から彼女達の事を知っていて、私達に知られたく無いから何かしらの方法で妨害してきている。この二つの何れかだと、私とお母サマは考えていマス」
「組織が僕達に彼女達の事を隠している……その可能性は高いかもね。前者も可能性が無い訳じゃないけど」
その時、桃花のスマホが振動した。即座に手に取り、送信主を確認する。
「天罰さんからです……」
『ッ⁉︎』
クァールとエナが目を見開く。このタイミングでの彼女からの連絡。間違いない。
「はい……もしもし」
『もう既にご存知だとは思いますが、《審判》の二人が実験体の回収に失敗しました。よって彼等が受けていた任務を、《女帝》──矢弾桃花。《戦車》──矢弾エナ。以上の二人が引き継いで下さい』
「……了解しました」
通話が終了する。向こうが切ったのだ。
「桃花……やっぱり……」
「はい。次は、私達の番の様です」
**
裁川千歌がメイド喫茶『かさぶらんか』に着いたのは、雲雀が茶道にメイド服を着せられてから、三十分程経ってからだった。
「大丈夫でしたか、雲雀さ……え?」
厨房奥にある部屋に来た千歌は、雲雀の出で立ちを見て固まった。
この店のメイド服に、萌える猫耳カチューシャ。同姓でも真っ先にこう思うだろう。
可愛い、と。
「ち、ちち違うのよ千歌さん! これは茶道さんに匿ってもらう条件として仕方なく着ただけで……‼︎」
「えー、私そんな事言ったっけなー?」
「こんのロリババア! 図ったわね‼︎」
「だ、誰がロリババアだ! 私はただの三十路だ! ババアじゃない!」
わいわいがやがやと、二人は小学生染みた言い争いを始めた。数十分前に知り合ったばかりだというのに、感情を露わにして喧嘩出来るくらい打ち解けていた。あまり人とするのが得意では無い千歌には、それがとても羨ましく思えた。
「雲雀さん、似合ってますよ。とても可愛いです」
千歌が素直な感想を告げると、雲雀は人差し指で頬をかいた。
「ありがとう……でもこれ、物凄く恥ずかしいのよね。今はもう麻痺して何も思わないけど」
「妹も来た事だし、もう脱いでも良いよ。満足な写真が幾つも撮れたしね」
「あとでそれ消して下さいよ……もう」
猫耳カチューシャに手を伸ばし、外した。
「二人の前で着替えるのも恥ずかしいわね……」
このメイド服を着た時はたまたま誰も居なかった更衣室を使っていたので大丈夫だったが、こうして二人の視線を感じながら着替えるのは抵抗を覚える。
「心配は要らないよ。別に生着替えを撮ったりとかしないから」
目を細め、茶道を睨む。
「……本当に止めて下さいよ?」
「いや、やらないよ? やる訳無いじゃないかアハハ」
「ですが茶道さん」
茶道の隣に座った千歌が、カメラの画面を覗き込んだ。
「何故録画中になっているんですか?」
『!?』
その言葉に、二人の頭上に感嘆符が浮かび上がった。
雲雀が素早く茶道からカメラを奪い、苦虫を噛み潰した様な顔を浮かべた。
「本当だわ、録画中になってる……」
「た、たまたまだよ。たまたま録画中になってたんだよ!」
誤解を解く。もとい、言い訳を始める茶道。
「……千歌さん。これ、持っててくれない?」
そんな彼女の言葉には耳を貸さずに、雲雀は持っていたカメラを千歌に渡した。
「了解です」
カメラを受け取る。そして茶道がジャンプしても手が届かない位置まで掲げた。
「くっ、ここに来て低身長の弊害が……!」
「今の内に着替えてください、雲雀さん」
「ありがとう千歌さん」
やや慌てながら、雲雀がメイド服を脱ぎ始める。
結局茶道の野望は叶わず、千歌の手によって雲雀の写真も全て削除された。
「──では、これからについて話していきましょうか」
雲雀が服に着替え直した後、真剣な面持ちで千歌が始めた。彼女の隣には、表情に生気の無い茶道が正座している。少し可哀想にも思えるが、自業自得だ。通報されないだけ、彼女はまだ幸せ者と言える。
「雲雀さん。どうやら貴女の体内に、発信機が埋め込まれている様です」
「……嘘。それ、本当なの?」
「本当です。なので組織は、常に貴女の位置を把握出来る状況にあります。今ここに居るのも筒抜けでしょうね」
「そんな……」
そっと胸元に手を当てる。身体は至って健康なのだが、体調が悪いと錯覚を始めた。思い込みは、時折事実さえも歪めてしまうから恐ろしい。
「なので、まずはその発信機を取り除く事にしましょう。放っておけば身体に異常が起こるかもしれませんし、何よりそんなものが身体の中にあったら嫌でしょう?」
「当然よ。寧ろ喜ぶ人なんて居ないわ。超が付く程特殊な性癖を持っていない限りはね……。でも取り除くって、まさか手術でもするの? ……その、なるべく痛いのは勘弁してくれないかしら? 私予防接種で大泣きするくらい痛みに耐性無いのよ」
「安心してください。ちゃんと麻酔はかけてもらいますから。痛みなんて感じませんよ」
「ちょ、本当に手術するの⁉︎」
無意識に声を荒げる雲雀。心の内に恐怖心が芽生えれば、誰だって叫びたくなる。
「そもそも誰が手術するのよ! 普通の病院に行っても無理でしょう⁉︎」
体内に発信機が仕込まれているので、手術して取り除いて下さい。そんな事言って、彼等は信じるだろうか。それに、仮にレントゲンを撮って事実だと分かったとしても、病院に組織の息がかかっている可能性がある。
「その点に関しても何も問題ありません。信頼している知り合いに、転雨の裏事情に詳しい研究者兼医者が居るので」
「なんで居るのよ‼︎?」
声が震えている。手術が本気で怖いのだ。
「わ、私は嫌よ! 怖いもん‼︎」
「ですが雲雀さん。発信機を取り除かないと、一生組織に追われ続けなければならないんですよ? それでいいんですか?」
「うぐっ……」
ぐうの音も出ない正論。たとえ無事に妹を助け出す事に成功しても、それではハッピーエンドとは言い難い。
「で、でも……!」
「……わかりました。ではこうしましょう」
千歌が、雲雀の肩に触れた。
「あ、れ……?」
その直後。雲雀の意識が突然遠退き、視界が暗転。脱力し、床に向けて倒れる。
意識を投げ捨てられた雲雀の身体を抱き留め、起こさない様に背負った。
対象の人物を熟睡させる異能力──
『羊の数でも数えてろ』。それが雲雀を眠らせた正体だ。
「茶道さん。車、出してもらえませんか?」
意気消沈したまま、茶道は答える。
「それは別に構わないが、何処に行くつもりなんだ?」
「三番街にある、輝夜さんの研究所ですよ」
「……アイツか。確かに信頼できるし、発信機も取り除けるな。それに何より、輝夜の顔を見れば、この落ち込んだ気持ちを晴れやかに出来る」
両頬を軽く叩き、立ち上がる。
「よし。それじゃあ行こうか」
**
今日の授業は全て終わり、部活をやっている生徒は各々の部室。そして何にも所属していない帰宅部は、帰宅していた。
水色の髪をした少女アヤカは、昇降口で自分のロッカーを開け、靴に履き替えていた。
千歌はいつも補習で残っているので、こうして彼女が一人で帰るのはいつもと変わらない。最初は当然寂しかったが、今は何とも思わない。
誰からも親しまれ、人気のある彼女は、心の置けない親友と呼べる存在が。一緒に下校する存在が殆ど居なかったのだ。
「だーれだ?」
突然目の前が真っ暗になる。誰かに両手で両目を覆われていた。
「この声は、お姉ちゃん?」
視界が良好になった。
振り返ってみると、制服では無く、黒いゴスロリをその身に纏った美少女――霧島清廉がそこに居た。
「正解。それじゃあご褒美に、ハグしてあげるわね」
清廉はそう言うと、アヤカの身体を抱き締めた。
「や、やめてよ。みんなが居る前でこんな事……恥ずかしいよ……」
そんな文句を垂らすアヤカだが、その表情は何処か嬉し気だった。
「人前じゃなきゃ良いのよね? なら校舎裏にでも行きましょうか。あそこなら誰も来ないし、ハグ以上の事も出来るわよ」
「それは流石にお断り!」
両手で身体を突き飛ばす。その直前に清廉の前に黒い瘴気のようなものが一瞬だけ現れ、その威力を殺した。結果彼女は一歩後ずさるだけで済んだ。本来なら向かい側の下駄箱に頭をぶつけていた所だ。
「もぅ、素直じゃないんだから」
火照った自分の頬に触れる清廉。転雨一の情報屋と謡われた『黒姫』も、愛する妹の前ではただの変な姉だ。
「今まで何処に居たの? お姉ちゃん」
「何処にって、ずっと学校に居たけど」
「それは知ってる。校内の何処に居たの?」
「教室よ。三年D組の教室」
「お姉ちゃん、今嘘吐いたでしょ? 瞬きの頻度が少しだけ早くなったよ」
「そんな細かいところまで見てるだなんて、アヤちゃんはそんなにもお姉ちゃんの事が好きなのね……」
恍惚とした表情を浮かべる。顔立ちが良いが故に、思わず目を背けたくなるくらいに魅惑的だった。
「確かにお姉ちゃんの事は大好きだけど、あくまでライクの方だから。
それにアヤカは、ただ普通の人より聴力とか視力。嗅覚とか味覚が鋭くて、観察力や洞察力に優れているだけ。だからこれはお姉ちゃんが好き過ぎるあまりにお姉ちゃんの事を知り尽くしてる訳じゃないから。そこん所、勘違いしないでよね」
「……ツンデレ?」
「違うから。アヤカの性格をそんな言葉で纏めないで。……それで、結局何処に居たの?」
「……はあ」
追及され、遂に誤魔化す事を諦めた犯人の様に、清廉はため息を零した。
「私は、屋上に居たわ」
「じゃあ昼休みの時間、誰と居たの?」
突然的確な質問に切り替わった。流石の清廉も、それには息を呑んだ。
「裁川千歌、さんと一緒に居たわ……」
「やっぱり。道理で千歌ちゃんからお姉ちゃんの匂いがすると思った…………で、何をしてたの?」
何の前触れも無く、アヤカの声音が変わった。纏う雰囲気も、随分と暗くなった。
その時点で清廉も、態度を一変させる。
まるで、嫌いな人を相手にするみたいに。
「……本当、貴女は彼女の事が大好きなのね。アヤちゃんの顔と声で話さないでくれないかしら。非常に不愉快だわ」
「アンタの罪を無かった事にする為に。決められた運命から目を背ける為に。愛してやまない妹をこんな風にしたのは、他でも無いアンタじゃない。アタシが責められる謂われは無いわ」
「……」
そんな性格をしているからこうなってしまったんだろうなと、清廉は素直に思った。
「今、何かアタシを侮辱する様な事考えてなかったかしら?」
「いいえ全然?」
「……あ、そう」
身体の機能は、まだ霧島アヤカの支配下にある。なので今の彼女は、高い洞察力や観察力も無い。嘘を吐くのは比較的簡単だった。
「それでアンタは、我が愛しの千歌ちゃんと、一体何をしてたのかしら? 回答によっては、理解ってるわよね?」
微笑み、握り締めた拳を顔の近くまで持ってくる。
清廉は周囲を見渡し、近くに誰も居ない事を確認してから、控えめな声で答えた。
「彼女から依頼を受けたのよ。マテリアルについてね」
「マテリアル……ああ、あの『黒歴史』を研究してるくだらない組織の事ね」
「そうよ。彼女は今、そこで捕らわれていた少女を匿っていて、まだ組織に捕らわれたままの妹を助ける為に敵対してるのよ」
「へー……。流石はアタシの千歌ちゃん。ヒーローみたいに格好良いわねぇ」
アヤカの姿をしたそれは、自分を抱き締める様に腕を組み、身体を左右にくねらせた。
「でも」
動きを止める。
「その匿われている少女……ってのが気に食わないわね……」
「そう言うと思ったわ。だから、貴女には教えておくわ」
「何をよ」
「彼女の……雨宮雲雀の体内に流れている血に、人間以外のものが混じっているという事をよ」
校内に、耳障りな鐘の音が反響した。