六
天鈴商店街は千歌達の住む転雨の二番街で、最も多くの人で賑わう中心地だ。蕾霰学園からも近いという事もあり、生徒達が放課後に訪れる事も多い。
また転雨のオタク街とも呼ばれており、カードショップにアニメショップ。コスプレの衣装を販売する店やメイド喫茶が、数多く建ち並んでいる。
裁川御船が雲雀に行くよう指示したのは、『かさぶらんか』という名前のメイド喫茶。アーケード内にあるオフィスビルの二階にあるのだが、そこまで有名な店では無い。因みに一階にはカードショップ。三階には小さな漫画喫茶がある。
無事辿り着く事の出来た雲雀は、呼吸を整え、額から流れ出る汗を拭ってから店の中に入った。
今は秋なので、店内は暖房がかかっていた。ただでさえ暑いのに、これは堪える。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
メイドの一人が、太陽の様な笑顔で雲雀を出迎えた。
「す、すみません……御船さん。裁川御船さんに言われてここまで逃げてきたんですけど……」
「み、御船様ですか⁉︎ わ、わかりました。少々お待ち下さい!」
御船の名前を出した途端。メイドは表情を曇らせ、焦燥しながら厨房へと消えた。
つい首を傾げてしまう。裁川御船という人間は、一体何者なんだろうか。
しばらくしてから、先程とは違うメイド服を着た少女が厨房から出てきて、雲雀の前まで来た。
サラサラの黒髪。前髪は切り揃えられていて、日本人形の髪型に似ている。背は雲雀よりも頭二つ分くらい低い。顔立ちも幼く、ランドセルが似合いそうだと思った。
「私は芥川茶道。この店──いや、楽園の店長だ」
「て、店長……⁉︎」
素っ頓狂な声を上げる。どう見ても小学生なのに落ち着いた口調で話し、そして店長だという事に、驚きを隠せなかった。
「そんなに驚かなくたって良いだろう? ……いや、私を見て驚かなかった人なんて一人として居なかったが」
小さく独り言を呟いてから、茶道は軽く咳き込んだ。
「……それで君は、一体何ちゃんなんだい?」
「私は、雨宮雲雀と言います」
「あー。君が御船の言ってた、マテリアルから逃げ出してきた子か……ふむ、なるほどね……」
雲雀の足先から頭まで、茶道は舐め回すようにじっくりと観察する。
「彼女の言っていた通り、確かに可愛いな」
「か、可愛い……」
恐らく滅多に言われない褒め言葉に、雲雀は顔を伏せて頬を赤くした。
「立ち話もなんだから、適当な席に座ろうか」
「いやでも、人前で話せる事じゃ……」
「心配する必要は無いよ。どうせ何かのアニメの話をしているとしか思わないだろうから」
「は、はあ……」
そんな楽観的で良いのだろうかと、雲雀は少しだけ心配になった。
「何か食べたい物はあるかい? 私が奢るよ」
出入口から一番近い場所にある二人席に腰掛けてから、茶道がメニュー表を手渡した。
「え、良いんですか? ……じゃあ、食べ物では無いですけど、少し喉が渇いたのでメロンソーダをお願いします」
「わかったよ。あ、里奈ちゃん。注文頼んでもいいかい?」
丁度席の前を通りがかったメイドを呼び止める。
「勿論ですよ、メイド長」
「メイド長……」
どうやら店長の事を、この店のメイドはそう呼ぶらしい。
「メロンソーダと、コーヒーを一つ頼むよ」
「かしこまりました。少々お待ちくださいね‼︎」
それからメイドは、注文されたドリンクを淹れる為に厨房へと向かった。
「店長さんは働かなくて良いんですか?」
「私は別に良いんだよ。普段から何もしてないし。……あと、私の事は茶道で良いよ」
「わ、わかりました」
「さて、本題に入ろうか。さっき君は逃げて来たと言っていたらしいが、それは組織からか?」
小さく頷く。
「はい。さっき御船さんの家に来たんです。組織の人だという確信はありませんでしたが、御船さんが間違いないと……」
「彼女が言うなら、それは組織の人間で間違いないな。裏社会の住人というのは、普通の人とは違う雰囲気を纏っているんだよ。彼女はそれを見抜く力があるんだ。本人に自覚は無いらしいがな」
「茶道さんは、御船さんと昔馴染みだったんですね。……因みに御船さんとはいつお知り合いに?」
「うーん、かれこれ十五年前だったかな。細かい日数は忘れてしまったよ」
「……あの、失礼ですが年齢は……?」
「いくつに見える?」
「え?」
「だから、君から見て私はいくつに見える?」
雨宮雲雀は困惑した。まさか本当にこんな質問をしてくる人が居るとは。
それにこの質問、正直に答えたら間違いなく怒られる。何せ彼女の容姿は、十五年前から生きているにも関わらず、一桁台にしか見えないのだから。
「え、と……十七歳?」
「そうそう私は永遠の十七歳……って違う! 私はそんなに若くは無いぞ!」
「じ、じゃあ二十二?」
「惜しい……二桁目が」
「二桁目が⁉︎」
つまり彼女は三十よりも上という事になる。
「正解は三十三だよ。世間でいう三十路ってヤツさ」
「ご、合法ロリ……?」
「そうとも言うな……って、誰が幼女だ」
「お待たせしました。メロンソーダとコーヒーです!」
先程注文を受けたメイドが、緑色の液体の入ったグラスと黒い液体の入ったカップをお盆に載せて戻ってきた。
「ありがとう」
茶道は礼を言ってから、砂糖もミルクも入れずに一口だけ飲んだ。苦みで顔を顰めるという事は無かった。
コーヒーカップを小さな皿の上に置いてから、茶道は口を開く。
「少しだけ話が脱線してしまったな。とにかく君は御船に言われて、匿ってもらう為にここに逃げてきた。そうだな?」
それに対し雲雀は、メロンソーダをストローで少し飲んでから答えた。
「はい……ほんのちょっとの間だけでいいんです。匿ってくれませんか?」
「断るつもりは無いよ、他でも無い御船の頼みでもあるしね。……ただし一つだけ、条件があるんだ」
「条件、ですか……」
「ああ。君にこの店の制服。つまりメイド服を着てもらいたいんだ」
清々しい程の笑顔で、茶道は告げた。
「……え、えええええ⁉︎⁉︎」
雲雀のその叫びは、店内中に響き渡った。
**
昼休みを終えた後の最初の授業は、最も眠気に襲われる時間と言っていいだろう。ご飯を食べ、食欲を満たせば眠たくなる。その衝動に駆られるのは、人間として当然の事と言えた。
「何処行ったんだろ……千歌ちゃん」
霧島アヤカは頬杖をつき、窓の外を眺めながらため息を零した。
昼休みに用事があると言って何処かへ行って以降、帰って来ない。授業が始まっているにも関わらず、教室に戻って来ていない。
成績が悪い割に欠席や遅刻を一度もしなかった千歌だからこそ、教室に彼女が居ない事に強い物足りなさを感じた。まるであと一ピースだけ足りない、ジグソーパズルの様な。
扉を開く音が、男性教師の眠りを誘う声を遮った。アヤカを含むたクラスメイト全員が、視線を同じ位置に向ける。
そこには、裁川千歌の姿があった。全力疾走でもしたのか、汗を流し、肩を上下させている。
「裁川。今まで何処に行ってたんだ」
教師が心配そうに注意する。彼も、いつも居る千歌が授業に居ない事が僅かながらに不安だったのだ。
「すみません……少し体調が悪いので、早退します」
「そうか……あまり無理はするなよ?」
「はい……わかってます」
自分の席まで歩き、机の中に入れていた教科書やノートを鞄にしまい始める。
「千歌ちゃん、大丈夫?」
身体を後ろに向け、表情を曇らせるアヤカ。
「大丈夫ですよ。心配してくれて、ありがとうございます」
「さっき用事があるって言ってたけど、もしかしてそこで何かあったの?」
「いえ、そういう訳ではありません。普通に体調が悪くなっただけです」
「…………そっか」
「じゃあアヤカさん。また」
「うん、またね。千歌ちゃん」
軽く手を振ってから、千歌は鞄を持って教室を後にした。
「…………」
アヤカは、不思議でならなかった。
何故彼女から、微かに姉の匂いがしたのだろうか……と。
**
「可愛い‼︎ 凄く可愛い滅茶苦茶可愛い‼︎」
一眼レフカメラを構えながら、ロリババアこと芥川茶道は興奮気味に叫ぶ。
職場の人間しか立ち入る事の出来ない厨房。その更に奥にある六畳間の部屋で、雲雀はメイド服に着替えさせられた。
「し、死にたい……」
スカートの裾を両手で強く握り締め、恥ずかしさで顔を赤くしている雲雀を襲うのは、無数のシャッター音とフラッシュ。両者共に、茶道の持つカメラがもたらしているものだ。
「恥ずかしい顔もたまらないね‼︎ 最っ高だ‼︎」
手を一旦止め、ちゃぶ台の上に置いていたあるものを手に取る。そしてそれを、背伸びして雲雀の頭に付けた。
「今あっさり最高を通り過ぎた‼︎ 最早『女神』だ‼︎」
ただでさえうるさかった茶道の声が、より一層大きくなる。
彼女が今しがた雲雀の頭に付けたのは、猫耳カチューシャ。萌えという文化において、メジャーなアイテムだ。何故犬ではなく猫なのかと言われると答えられないが、恐らくオタクは、猫っぽい女性が好みなのだろう。
「もう駄目! お嫁に行けないわ……‼︎」
羞恥心も限界に到達。雲雀は両手で顔を覆い隠し、その場でしゃがみ込んでしまった。
「大丈夫さ! 君くらい可愛ければ、いつでも結婚出来る! もし仮に誰も居なくても、最悪私が結婚してあげるから‼︎」
「私そんな趣味ありませんから‼︎」
「ははは‼︎ 良いではないかー! 良いではないかー‼︎」
「この人の中身はおっさんなの⁉︎」
茶道の懐にしまっていた携帯が、有名なアイドルの曲を流し始めた。彼女はスマホではなく、絶滅危惧種となってしまったガラケーだった。
「お、御船だ。……もしもし。ああ、うん。彼女なら今目の前に居るよ。代わろうか? ……そっか。ああ、わかった。じゃあまた」
「なんて言ってました?」
「なんとか終わったみたいだよ。家に来たのは、やはり組織の連中だったらしい。しかも下っ端じゃなくて組織直属の戦闘部隊──『二十二の夜騎士』に所属する《審判》、クァール・アクラブとズィール・アンタレスだった」
「『二十二の夜騎士』……捕まっていた時に聞いた事があります。組織が従える戦闘部隊の中で、最も戦闘に長けている部隊ですよね?」
「ああ、正に切り札みたいなものだな。実際これまでに彼等が動いた作戦は、片手の指で数えられる程度に少ない。つまり君は、それだけ組織にとって大事な存在なんだと言える」
「私に、そんな価値が……」
自分は今まで、数多く居る実験体の一人なのだと思っていた。しかし組織は、全力で自分を追って来ている。
つまり自分には、自分自身の知らない存在意義があるのでは無いだろうか。
「……茶道さん、組織について詳しいんですね」
「そりゃまあ、元構成員だからな」
「へえ…………え?」
少し間を空けてから、茶道の言葉に驚嘆した。
「それ、本当なんですか?」
「本当だよ。今は足を洗って、こうして小さなメイド喫茶を経営しているがな」
「驚きました……まさか茶道さんがあんな組織に所属していただなんて……」
「あんな組織……ね」
茶道は腰を下ろし、スカートを履いているにも関わらず胡座をかいた。
「確かにあの組織は悪だ。断言出来る。でもだからと言って、絶対に必要無い組織とは、私はどうしても思えないな」
「……どうしてですか?」
「異能力は、その人が抱く欲望によってその内容が決定すると言われているんだ。
例えば、「人の心を読む事の出来る」異能力を発現させた男が居たとしよう。彼は能力を発現させる前から、「誰かの本心を知りたい」という欲望を抱いていたんだ」
「つまり茶道さんは、異能力は人の願いを叶える為にある……と言いたいんですか?」
雲雀の問いに、茶道は小さく頷く。
「そういう事だ。先天的異能力者の持つ力と抱いている欲望は全く噛み合っていないというのも、最初から叶えられるならそれを抱く必要も無い、という無理矢理な解釈が出来るしな」
手に持っていたカメラを操作して、今撮った写真を見ていく。その途中で数日前のものに切り替わり、どんどん時間を遡っていった。
やがて表示されている写真は、三年前のものになった。写し出されているのは、白衣を纏った金髪ロングストレートの女性と、緑を基調とした和服を纏った女性。そしてその二人の真ん中に、茶道の姿はあった。姿は今とまるで変わっていない。
「……願いが叶う。形はどうであれ、それはとても幸福な事だと思うんだ。だから全人類を異能力者にするという大いなる目的の為なら、多少の犠牲は仕方がない。ほんの少しだけ、その考えに納得してしまう私が居るんだよ」
「そんなの、間違ってるわ‼︎」
雲雀が怒声を上げ、両手をちゃぶ台に叩きつけた。
「何人もの涙と絶望の上で成り立つ幸福なんて……そんなの、間違ってる……‼︎」
「平和はいつだって、誰かの平和を踏み躙る事で保たれてきたんだ。君の言う綺麗事で世界が回る程、神様っていうのは優しくないんだ」
「…………」
拳を強く握り、歯を食い縛る。
そんな事はわかってる。自分の言った事は綺麗事だ。世迷言だ。今時小学生でも、この世界がそんなに甘くない事を知っているだろう。
「勿論、君の気持ちだって痛い程わかるよ。私だってそんな幸福は間違いだと思うし、誰かの幸せの為に犠牲になる人が、少しでも減って欲しいと願ってる」
「……そう、ですか」
雲雀は脱力し、そのまま正座の姿勢になる。
「ごめんなさい……いきなり大声を出してしまって……」
「悪いのは私だよ。こんな気分の悪くなるような話をさせて、すまなかったね。……もう少しすれば、御船の妹が来る。それまでここで、ゆっくりしているといい」
「千歌さんが迎えに来るんですか?」
「ああ。これからについて、話をするんだそうだ」
「なるほど……ところで茶道さん。千歌さんの事を妹って呼びましたけど、どうして名前で呼ばないんですか?」
茶道の顔に憂愁の影が差す。まるで聞かれたく無い事を聞かれてしまった時みたいだ。
「……私は、あの子とはあまり親しくならない様にしてるんだよ」
「どうしてですか?」
雲雀は、茶道が千歌の事を。それとも千歌が茶道を苦手。もしくは嫌っているのかと思っていた。
けれど、それはまだ甘い考えだった。
「彼女と別れる時の悲しみを、少しでも和らげる為さ……」
その声は、何処か悲しげだった。