五
ズィールは床に下ろしてもらってから、そそくさとクァールの後ろへと回り込んだ。
「一応確認だけど、君が実験体を逃がしたのかい?」
「実験体じゃ無いわ。彼女には、雨宮雲雀という素敵な名前があるの。そんな不快な呼び名で彼女を差さないで」
クァールの問いに、御船は不機嫌気味に返した。もし今この場に千歌が居たなら、既に相手に殴りかかっていただろう。
「それは失礼した、以後気を付けるよ。……それで、彼女を逃がしたのは君なのかい?」
「確かに私が、あの子を逃がしたわ。でもその事実は、貴方達にはあまり関係の無い事でしょう?」
「いいや、そうでもないさ。君は彼女を逃がした。それは僕達を敵に回したのと同義だ。つまり僕達は、君に危害を加え、人質に取る事が出来るのさ」
「一般人には極力干渉しない。それが組織の掲げた掟だ……。でも、敵対者はその限りじゃねーんだよ……」
「なるほどね……。でも、それじゃあおかしく無いかしら? 雲雀ちゃんも貴方達の言う一般人だった筈よ? どうしてこんな事に巻き込んだりしたのかしら」
クァールは肩を竦ませ、首を横に振った。
「事情はともかく。売られてしまった時点で、彼女達は一般人じゃなくて、商品として扱われるんだよ。だから組織の掟には抵触しない……。これが幹部様の認識なんだよ」
「……とりあえず、貴方達が人間の屑である事はわかったわ」
「お前の中の私達の評価なんてどうでもいい。私達はただ、為すべき事を成すだけだからな……」
「そういう事。という訳で、少しだけ大人しくなってもらうよ。……ズィール」
「了解……」
ズィールの全身が、彼女の髪と同じ色のオーラに包まれた。見ているだけで穏やかな気分になれる、そんな温かい光だ。
その少し後に、クァールの全身を同色のオーラが包み込む。
「シンクロ率、百パーセント……」
自分を纏っていたオーラが消滅すると、クァールは構えを取り、御船との距離を一気に詰めた。
その動きに反応出来なかった御船は、彼の放った蹴りを左脇腹に食らい、身体を壁に叩きつけられた。
床に倒れ伏す。遠くで打ち上がった花火の音が数秒後に聞こえてくるみたいに遅れてやってきた激痛に、その綺麗な顔を歪めた。
「僕、淑女を痛めつけるのは趣味じゃないんだけどね。それに彼女、中々に可愛いし。エロいし」
後ろ髪をかきながら、倒れている御船を見下ろす。
「あんまり他の女の事言ってると、怒るからな……」
「わかってますよお姫様。……さて、さっさと連れていきますか──がッ⁉︎」
突然クァールが頭を両手で抱え、頭が割れる様な頭痛に苦しみ始めた。
「痛い、痛い痛いッ……‼︎‼︎?」
その感覚を『共有』していたズィールもまた、クァールと同じ痛みに苛まれ、その場で膝を屈した。その瞳からは、涙が溢れ出ている。
「これがあって、良かったわ……備えあれば憂いなしね……」
御船はスタンガンをクァールに向け、スイッチを長押ししていた。しかしそこから電量は流れておらず、側から見れば、彼等が何故苦しみだしたのかわからないだろう。
だが、苦しみを受けた彼等は知っている。自分達が持つ力の弱点を。
「これは……『妨害電波』……だな……‼︎」
「正解、よ……スタンガンに見えるこれ
は、押すと半径五メートル圏内に微弱な妨害電波を流すように改造した物、なの……」
異能力は、人間の頭の中にあるとされている『異端』と呼ばれる細胞が、一定数以上に達すると発現すると言われている。
現在はこれを人為的に増やす方法があるので後天的に異能力を目覚めさせる事が可能なのだが、その反対。つまり細胞を人為的に減らす事も可能なのだ。
御船の使ったスタンガン型の装置から発せられた『妨害電波』と呼ばれる電波は、その異端細胞を殺す作用を持っている。微弱なので異能力が使えなくなるくらいの数を殺せる訳では無いが、それでも細胞が少しでも死ぬと酷い痛みに襲われるので、足止めには十分と言えた。
「こ、の……‼︎」
視界が歪むくらいの痛みに耐えながら、クァールは御船の持つ機械を叩き落とした。異能力者のみを蝕む電波は止み、二人は地獄に似た状態から解放される。
「……ふぅ、危なかったよ。まさかそんな物を持っているとはね。流石に予想していなかったよ。……と言うか君、ただの一般人じゃ無いだろう?」
「さあ? どうかしらね……」
不敵に笑う御船。少し手を伸ばせば届く距離にある装置に、手を伸ばした。
「おっと危ない」
あと数秒あれば触れられたというところでクァールの足が装置を蹴り飛ばし、かなり遠い位置で止まった。これでもう、あれを使う事は出来ないだろう。
「流石に僕達も馬鹿じゃない。もう同じ手は食わないよ」
「クァール、早くしろ……」
「はいはい。……ホント、せっかちなんだから」
飛んできた罵倒にクァールは適当に返し、身を屈ませる。そして微笑んだ。
「君には聞きたい事が色々あるけど、それはまた後にしよう。今はここから君を連れ去る事を優先しないといけないからね」
ズィールが「顔が近い……」と不満を漏らしているが、少しも気にしない。
「…………果たしてそれは、成功するのでしょうか?」
御船は口元に弧を描く。まるで、勝利を確信したかの様に。
一瞬。風を切る音が、微かにだが聞こえた。そしてその音の正体に気付くその前に、クァールの身体は壁に打ち付けられていた。
一体何が起きたんだ。素早く身を起こし、今まで自分の居た場所を見た。
そこには、見慣れない一人の少女が佇んでいた。黒髪のショートボブ。頭頂部には、疑問符を思わせるアホ毛が跳ねている。
左目には黒の眼帯を嵌め、左腕は何故か美しい蠱惑的な紫の色をしていた。
裁川千歌。それがその少女の名前。
「ごめんなさい。少し待たせてしまって……」
千歌が差し伸べた手を取り、覚束ない足つきで御船は立ち上がった。
「大丈夫よ。寧ろ早いくらいだわ」
「君は、一体何者なんだ?」
クァールが、ほんの僅かに震えた声で尋ねる。
彼はまだ気付いていない。目の前に居るその少女に対して、自分が僅かながらに恐怖心を抱いている事に。
「私ですか? 私はただの、劣等生ですよ」
**
『今から二人の持つ異能力について説明するから、よく聞きなさい』
装着したイヤホンから、清廉の声が聞こえてくる。
『さっき聞いてたからもうわかっているでしょうけど、二人は『共有能力者』。お互いの距離が一定以上離れてしまうとその力が使えなくなってしまう、という大きすぎる弱点があるわ』
「クァール、大丈夫か……⁉︎」
「大丈夫だよ。これっぽっちも痛くない」
悲鳴に似た声を上げるズィール。それに対しクァールは、余裕そうに軽く手を振ってから、千歌の事を睨みつけた。
「劣等生? それは学校の成績が悪いから? それとも人より運動能力が低いから、そう自称しているのかい?」
「どれも違いますよ。確かに成績は悪いですが、それは単に自分が良くなろうと努力をしていないからであって、人より劣っている訳ではありません。まだ本気出してないだけです」
「出来ない人は、大抵そう言うよね」
「私が人より劣っているのは、生きる事を許された時間です。だから『劣等生』」
「……よくわからないけど、とりあえず君が少し中二病で、実際に普通では無い事だけは理解したよ」
『二人の持つ異能力──『男心と乙女心』は、至って単純。そして、それ故に強力よ』
「因みに君は、この家の人かい?」
「はい。私が雲雀さんを匿いました」
『背の高い青年クァール・アクラブは、身体能力の大幅向上に、物理攻撃の完全無効化。
幼い少女ズィール・アンタレスは、移動速度の大幅向上に、物理以外の攻撃の完全無効化。
物理的ダメージを受けないクァールが、ズィールを守りながら攻撃を仕掛けるというのが、彼等の戦闘スタイルよ』
クァールが御船を一瞥する。
「なるほど。つまり君の所為で、そこに居る彼女が傷付いたって訳だ」
「……そうですね。確かに私が雲雀さんを助け、護り、約束したから、姉さんはこうして貴方達に襲われました。ですが――」
『二人は能力を完全に発動している間、感覚をも『共有』している。つまりクァールにダメージを負わせるには、ズィールを攻撃してしまえばいい』
「私も姉さんも、それくらいで自分の行いを後悔する程、弱くはありません」
『二人も当然、その弱点を把握している。だからクァールも必死に護ろうとするし、ズィールも強化された移動速度で攻撃を必死にかわす。故にこの攻略方法は、とても難易度の高いものと言えるわ』
「ははっ、中々かっこいい事を言うじゃないか。それじゃあ僕達が、君達を後悔させてあげるよ」
『でも貴女なら、いとも容易くそれを成せる筈よ』
「そうですね……私にとっては、とても簡単です」
千歌が頬を緩める。
「何がおかしい?」
クァールが眉を寄せる。自分の言葉に対して、彼女が笑ったと思ったのだ。
「何が? 全てが、ですよ。貴方達じゃ、私達を後悔させられません」
「……随分と強気じゃないか。その何処から来ているのかわからない自信は、果たして一体いつまで保つだろうね‼︎」
床を蹴る。目にも留まらぬ速さで千歌の横を通り過ぎ、彼女達からズィールを護るように立った。
「いや、今の行動は流石に無いでしょう? それでは相手に、自らの弱点を親切丁寧に教えている様なものですよ」
わざわざ敵の横を通ってまで、ズィールを攻撃から護れる位置に移動する。少なくとも彼の弱点が彼女である事は、誰が見ても明白だ。
しかしクァールはほくそ笑む。
「僕達の弱点に気付いたところで、それが出来なければ意味は無い。だから相手に弱点が露呈しても、何も問題は無いのさ」
「そうですね。貴方の言う通りです。ゲームにおいても同じです。敵の弱点が氷属性だったとしても、氷属性の攻撃が出来なければ意味がありません」
「だろう?」
「ですが私は氷属性の攻撃が出来ます。その意味がわかりますね?」
「まさか、そんな訳──」
「そのまさか、ですよ」
千歌がそう呟いた直後。クァールとズィールに、予測出来ない事が起きた。
「ガッ……‼︎‼︎⁉︎」
ズィールが突然血反吐をぶち撒け、『共有』していたクァールもまた、口から赤色の液体を吐き出した。
「い、一体……何が……‼︎」
意味が分からない。目の前に居る千歌は、何もしていない。手も何も動かしていない。
しかし現に、こうして正体不明のダメージを受けた。
彼等の頭に芽生えた疑問を解消させてくれたのは、皮肉にも彼等にそれを芽生えさせた千歌だった。
「貴方達は、私にだけ注視し過ぎていた。それが敗因ですよ」
「な、何を……言ってるんだ……」
「では聞きます。姉さんは今、何処に居るでしょうか?」
「っ⁉︎」
頭を鈍器で殴られたかのような衝撃が走る。こんな簡単な事に気付けなかった恥ずかしさと悔しさが、二人の心を満たした。
『「対象の姿と存在感を完全に消し去る能力」――『死とは誰にも認知されない事』』
イヤホンから、そんな清廉の声が聞こえてきた。
ズィールの背後。誰も居ないその空間がぐにゃりと歪み、人の形を成した。それは、いつの間にか居なくなっていたチアガールだった。
彼女の手に持っている果物包丁。その銀色の輝く刃は、血によって彩られている。そしてズィールの腹部が、じんわりと赤く染まり始めていた。
振り返り、それらの光景を目に焼きつけたクァールは、完全に理解した。理解したと同時に、激しい怒りの炎に包まれた。
「安心して。心臓は外してあるから♪」
包丁を両手で握り、朗らかな笑顔を見せる御船。それはとても狂気的で、猟奇的で、非現実的な光景だった。
「こいつ……‼︎」
怒りに身を任せ、御船に殴りかかろうとするクァール。しかしその途中でズィールが気を失って倒れた為、能力が切れてしまった。
「ズィール‼︎」
気絶している幼い少女を優しく抱き留める。
「今は、引いてくれませんか」
千歌が謂う。
「引いてくれるなら、私達もこれ以上攻撃をしません」
「……わかった。今は引こう」
ズィールを抱きかかえ、御船の横をすり抜ける。扉の意味を成さなくなった長方形の物体の上に乗り、家の外に出た。
その途中で足を止め、振り返る。
「でも、これで終わりじゃない。僕達が失敗した事で、組織はこれから他の『二十二の夜騎士』に同じ命令を下す。他のみんなは僕達みたいに簡単には倒せないから、覚悟しててよね」
「上等です。二十二人だろうが百人だろうが、必ず返り討ちにしてやりますから」
鼻を鳴らしてから、クァールは再び歩き出す。そして今度は、一度も立ち止まる事は無かった。
「お疲れ様、千歌ちゃん」
千歌の下まで駆け寄り、労いの言葉を投げかける。包丁を適当な場所に投げ捨て、そして抱き締めた。彼女の豊かな胸の柔らかさが、千歌の疲労回復に貢献した。
「姉さんもお疲れ様です。ダメージがまだ残っていたのに」
あの時千歌は、「近くに居る人にテレパシーで話しかける」異能力──『糸無き糸電話』を使い、御船に姿と存在感を消し、台所から包丁を持ってきてズィールを刺して欲しいと伝えたのだ。
敵とは言えど、幼い少女。危害を加えるのは流石に心が痛んだ。御船は、なんとも思っていないだろうが。
「私は、たとえどんな状況にあろうとも、千歌ちゃんの期待に応えるわ。あの日からずっと、そう心に決めているもの」
「……そうですか」
密着させてた身体を離す。温もりを感じられなくなった事に一抹の寂しさを覚えながら、マイクに声を掛ける。
「清廉先輩も、ありがとうございます」
『どういたしまして。これは別に捨ててしまって構わないわ。それじゃあ、また明日。約束のもの、忘れないで頂戴よ』
千歌がイヤホンと小型マイクを外すと、御船が両肩を強く掴んできた。
「せ、清廉って『黒姫』ちゃんよね⁉︎ 一体全体どういう事なの⁉︎」
「敵の能力とその弱点について教えてくれたんですよ。因みに、ここに敵が来る事も教えてくれました」
怪訝そうな顔をして、腕を組む。その上に双丘が載った。
「あの子にしては随分と親切ね。……少し不気味だわ。何か企んでるんじゃない?」
「私も最初は疑いましたが、本人が違うと言っていたので、信用する事にしました。……ところで姉さん。雲雀さんは今どちらに?」
「雲雀ちゃんは『かさぶらんか』に向かわせたわ。あそこなら、茶道ちゃんが居るから」
「逃げ込む場所としては最適解ですね。では、私達も向かうとしましょうか」
「ううん、私はここに残るわ」
「どうしてですか?」
「扉が壊れたまま、家を開ける訳にはいかないでしょう?」
言われてから、千歌は玄関の方を見た。確かにこの状態で留守にしたら、空き巣に「自由に入っていいですよ」と言っているようなものだ。
「……確かに。じゃあ、私だけ行ってきますよ」
「でも千歌ちゃん。学校は?」
駆け出した千歌に、御船が問いかける。
「…………あっ」
足が地面に縫い付けられたかの様に、彼女の動きがピタリと止まった。
「すっかり忘れてました」
**
「……私も、随分と甘くなったものだわ」
青空を見上げながら、霧島清廉は微笑んだ。
昼休みの終了を告げる鐘の音が、響き渡る。
「昼休みはもう終わったけど、昼食にするとしましょうか」