二十一
時間は少し前に遡る。
霧島清廉は妹のアヤカ眠ってからしばらくの間添い寝をし、寝顔をたっぷりと堪能してから、リビングに戻ってパソコンを起動させた。
三つあるモニターにそれぞれ表示されたのは、マテリアル本部内に設置されている監視カメラの映像。
第三者の位置に居る事を好む彼女は、決して表舞台には立とうとせず、こうして千歌やクーニャといった『主役』の行動を観察していた。
「──っ‼︎」
深域に設置されたカメラが映していた存在に、清廉は驚きを隠せなかった。
玉藻前。人の姿をしているにも関わらず、清廉はすぐにそうだと気付いた。
「そう……遂にこの時が来た……って事かしら」
すぐにモニターを消す。眠りについた天使を起こさないように足音を殺しながら廊下を歩き、家を出た。
アパートから本部までの最短ルートは、蕾霰学園にある開かずの扉。
清廉の力をフルに使えば、二分で深域に着ける。
「さぁ働きなさい、私の僕達」
左手の指を鳴らすと、背中に黒い翼が生えた。
羽ばたく度に彼女の身体は一気に上昇し、電柱の上に乗る。そこから音と同じ速さで、学園の運動場まで飛び去った。
彼女の異能力は『黒棘』。
言葉では説明する事の出来ない黒い物質を、自由自在に操れる能力だ。
**
こちらも今から数分前。
急いで深域に向かっていた千歌とクーニャは、全速力で走る足を止める事なく、スマホの向こうに居るアルベードの言葉に耳を傾けていた。
『玉藻前は、幾万の罪人と幾千の病魔の魂が集合して出来た化物だ。六百年経った今は、伝説として語り継がれていた』
「伝説……つまり玉藻前は、人々が語り継いだ事で『神格』を得た。だから不隠さんの能力は通用しなかったんですね」
神であるという不可視の証明証の様な物を、『神格』と呼ぶ。これが無くても神力を行使する事は可能なのだが、『神格』を持つ者には通用しない。
『神格』を持つのは、この宇宙そのものを創った『創世神』によって産み出された神々と、言葉に魔力を持つとされる人によって語り継がれて来た存在。
玉藻前は後者に当たる。
「その通りだ。だから神力解放をしたところで、こっちの攻撃は向こうに届かねー」
「なら、どうすれば良いんですか……‼︎」
『方法はある、一つだけな。……だがこれを成功させるには、不隠ちゃんや雨宮姉妹。そして千歌ちゃんの力が必要になってくる』
階段を下っていく。息が切れそうになる前に、狂人族の血によって回復。無限の走力を実現させていた。
「でも不隠さんは今倒れてて、雲雀さんも瑠璃さんも気を失ってるんですよね……⁉︎」
『そうだ。だからまず──』
それからアルベードは、千歌への指示を的確に口にしていく。千歌もそれを忘れない様に、必死に脳裏へと焼き付けた。
「これなら……確かに行けますね……成功率は低いかも、ですが」
『失敗すればどうせ死ぬ。なら、それに賭けるしかねーだろ』
「ですね。少しでも多くの人間が助かるなら、喜んで命を賭けてやります……‼︎」
『……幸運を祈るよ』
その言葉を最後に、通話は終了した。
前を走るクーニャに、作戦の事を伝える。
彼女は最初嫌そうな顔をしたが、すぐに了承した。
**
「マジかよ……」
霧島清廉の乱入。それは、アルベードも流石に予想出来なかった。
なんてこちらに都合の良い展開。今日の幸運の女神は、どうやら自分達に味方してくれているらしい。
深域の隅に身を潜めながら、アルベードはスマホを操作し始めた。
**
霧島清廉の意外な登場に驚きつつも、千歌は作戦通りに動き始めた。
玉藻前の注意がこちらに向かないよう気を付けながら、足早に雲雀の下へと向かう。
「雲雀さん……雲雀さん……!」
身を屈め、雲雀の身体を揺らす。不隠がやったのは単なる気絶なので、目が覚めないなんて事はない筈だが、中々目を開かない。
時間が無い。千歌は左腕で雲雀の後頭部に触れ、唱えた。
「雨宮雲雀に告げる。起きろ」
「ッ‼︎⁉︎」
突然意識が覚醒して、飛び上がる様に身体を起こした。
「あ、あれ……私……」
「おはようございます、雲雀さん」
「ち、千歌さん……良かった……無事だったのね……‼︎」
今にも泣きそうな声で言いながら、雲雀は千歌の手を取った。
「ええ、何とか……。それより雲雀さん。いきなりで悪いのですが、貴女の異能力を貸して欲しいんです」
「私の異能力を……? 別に良いけど、どうして?」
「……見て下さい」
千歌が、ある方向に視線を向ける。雲雀は首を傾げつつ、同じ方を見た。
「何よ……これ…………」
雨宮雲雀は愕然とする。
視界の中で繰り広げられていたのは、彼女がこれまでに見た事の無い、漫画の一コマ。アニメのワンシーンにありそうな戦闘だったからだ。
**
玉藻前は『神格』を持っている。それ故に異能力による攻撃は通用しないし、能力の対象にだってならない。
だが彼女は『神格』を持っているだけで、攻撃に『神性』は無く、異能力を貫通する事は出来ない。
つまり霧島清廉がすべき事はただ一つ。
注意を自分に向けさせ続け、迫る攻撃全てを防ぐ事だ。
玉藻前が左手を振り払う。彼女の背後の空間が歪み、黒剣が飛び出した。
「盾となりなさい、我が僕達!」
清廉の目前に高さ四メートルはありそうな黒い壁が生まれ、剣を弾いた。
指を鳴らすと壁は一気に伸び、放物線を描きながら玉藻前に狙いを定めて落下を始める。
これを受けても、彼女はダメージ一つ負わない。
それなのに彼女は、大量の棘で網目状の壁を築き上げ、それを防いだ。
「……なるほど。彼女の目論見は成功したって事ね」
そう言う清廉の背中から、合計十二本の黒腕が生えた。これもまた、彼女の能力によるものだ。
「そなたが何を言っているのかはわからないが、いい加減腹が立って来たぞ……」
「なら本気を出せばいいじゃない。貴女さっき、吸血鬼に対して言ってたじゃない。全力を出したい……って」
「…………」
「出せないわよねぇ? 貴女が全力を出してしまえば、愛している人の身体が壊れてしまうからッ‼︎」
「ッ……‼︎」
清廉の周囲が歪む。鋭利な棘が生え、突き刺そうとして来た。それを、背中から伸びる腕が拒む。
「……あらあら。人の子如きに煽られてお怒りなのかしら? 玉藻前様とあろうお方が? これは傑作だわ……くすくすくす‼︎」
彼女は嘲笑い、そして見下していた。誰もが畏怖する化物を。多くの人の命を奪った化物を。
「……粋がるなよ小娘がッ……‼︎ 人の子の分際でぇッ‼︎」
地面を蹴り、清廉との距離を一気に縮めた。右手に瘴気を纏う黒剣を顕現させ、振りかざす。
「キャンサー」
清廉から見て左にある上から二番目の腕が、黒剣を掴んだ。玉藻前はすぐにそれを手放し、左手を翳す。
「仕事よ、我が僕達」
手の平から衝撃波が発生する直前。十二本の腕の形が崩れ、そのまま主人を護る壁となった。
攻撃が止まった隙に壁は腕へと戻り、玉藻前にラッシュを叩き込む。
それを軽々とかわしながら、玉藻前は左手に剣を生成。僅かな隙の間に、顔へ突き刺そうとする。
しかし直撃する前に、二本の腕が小さな障壁を作り、防いだ。そしてその壁が輝きだしたかと思えば爆発し、玉藻前を、靴を引きずらせながら吹き飛ばした。
「あまり怒らない方がいいわよ。怒りに任せて全力を出すとどうなるか、わからない訳じゃ無いでしょう?」
**
玉藻前が弱体化している。その可能性は、アルベードも最初から考えてはいた。
彼女は本来、九つの尾を生やした巨大な狐の姿をしていた。
その姿だったからこそ制御でき、自由に使う事の出来た数々の凶悪な能力を、か弱い人間の肉体が果たして制御出来るものだろうか。
いや、出来ないだろう。
それに玉藻前のあの態度に、清廉の言葉。五年前に起きた事件が偶然では無く故意であった可能性が、彼の中では格段に上がっていた。
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玉藻前の注意は、完全に清廉に向けられている。今動いても、こちらに気付く事は無いだろう。
雲雀は足早に倒れている不隠の近くまで行き、背中に手を当てた。
「な……にを……」
弱々しい声で不隠が訊くが、雲雀はそれに答えずに能力を発動させる。
異能力──『開始地点へと戻れ』。「触れた相手の時間を戻す」というもので、これを使って不隠の時間を玉藻前の攻撃を受ける前にまで戻す。
朦朧としていた意識が鮮明になっていき、熱も引いていくのを感じた。身体も軽い。
「ありがとう、ございますっす……」
「千歌さんの居る場所まで戻りましょう……。作戦があるらしいので」
「作戦っすか……わかりました」
不隠が頷いてから、二人は慎重に移動を始めた。
**
「人の身体というのは、これ程までに動き辛いのだな……」
玉藻前の表情に、疲労と焦りが見え始めていた。額から汗が滲み出ている。
「なら、そこから出れば良いじゃない。それよりもずっと良い器が、他にも沢山あるでしょうに……」
「それはならん‼︎」
清廉の言葉を一蹴する。
「妾は絶対に、ここから出ない……そう決めている」
「……あ、そう」
冷めた顔の清廉が指を鳴らすと、腕が黒い球体へと変わり、彼女を飲み込んで消えた。
その直後。玉藻前の前方に黒い穴が現れ、そこから清廉が出てきた。
突然の出現に驚きつつも、玉藻前は剣を生成。斬りかかる。清廉はそれをかわし、背中から伸びる一本の触手で反撃した。その反撃を、玉藻前は両手に生成した剣を胸元で交差させて防ぎ、払う。
そこから二人の、剣と二本の触手による打ち合いが始まった。玉藻前は的確に隙へ剣を置いて行くが、清廉は顔色一つ変えずにそれを弾き、これまた的確なカウンターを加えていく。
自分で動いている玉藻前と、二本の触手を操り自分では動かない清廉。スタミナ切れを先に起こすのがどちらなのかは、目に見えていた。
「ぐっ……‼︎」
徐々に動きが弱くなる玉藻前。その表情は今、苦悶に満ちていた。
「…………そろそろかしらね」
攻撃を止める。触手を翼に変形させ、後ろに飛んだ。
「はあ……はあ……」
玉藻前は胸元に手を置き、早くなった鼓動を聴きながら、乱れた呼吸を整える。
このまま戦いを続ければ、いずれ体力切れで倒れる。そうとわかっていながら、この身体から出る訳にもいかない。
彼女の持つ決意が、彼女自身を追い込んでいた。
**
「準備、完了しました」
アルベードに繋がっているスマホに向けて、千歌は告げる。
彼女の身体には今、雲雀と瑠璃。そして不隠が触れている。これで三人全員が、千歌の能力の対象になる。
アルベードの考えた作戦は、非常に単純なものだった。
東雲不隠、雨宮雲雀、雨宮瑠璃、裁川千歌。彼女達には、神の血が流れている。当然、実際の神と比べるとその血の量は少ない。
だが全員の血の量を合計すれば、神一体分にギリギリ相当する。
なら千歌の力を使って『共有』すれば、『神格』を得ずとも『神力』を授かる事が出来る。
『オーケー、始めてくれ』
その合図に頷いてから、口を開いた。
「我が戦友達に命ずる! その身に流す神なる血潮を、我に共有させ給え‼︎」
千歌を含む全員を、紫色の光が包む。
これで全員が持つ神の血の合計量が、千歌の身体を流れる神の血の量として扱われる様になった。
**
千歌と繋がっていた通話を終了させ、他の人物に電話を掛ける。
「準備完了しました。お願いします」
『……まったく、今回だけですよ?』
通話相手は、女の声で呆れ気味に言った。
『えー、コホン……。我、イーティア。──地上名《フェンリル》の名の下に。我が親愛なる母と同じ血を流す裁川千歌に、我が力を使用する事をここに許可する……‼︎』
**
「……ッ‼︎」
千歌の全身が、祝福する様な暖かな金色の輝きに包まれる。
神力を解放させた時と似て非なるその光は、神に祝福された事の証明。
おかしな話だが、千歌という存在は今、神に忌まれる存在でありながら、神に祝福されていた。
「なんだ……あの輝きは……」
ようやく千歌達の方を向いた玉藻前が、驚きの表情を見せる。
「魂が浄化されそうな、美しい光ね……私は苦手だわ……」
その一方で、霧島清廉は苦笑を浮かべた。彼女からすれば、こうなる事はここに来た時点で予想していた事。驚くに値しなかった。
女神イーティアが持ち、千歌に使用する事を許された神力。
それは同じ神を殺す事の出来る──『神格強制剥奪』の力。これを使えば、彼女にこちらの異能力が通用する様になる。
千歌は左手で、玉藻前を指し示した。
「──玉藻前。貴女から、『神格』を剥奪します」
差した手の平の上に禍々しい黒の球体が現れ、玉藻前へと高速で飛んで行く。それを避けようと身体を動かすが、球は意志があるかの様に自由に軌道を変え、呆気なく命中した。
「あああああああああああッッ‼︎‼︎‼︎⁉︎」
一気に肥大化した球体に飲み込まれた玉藻前は、両手で頭を抱え、天井を仰ぎながら悲痛の叫びを上げる。
別に痛み感じている訳では無い。『神格』を無理矢理剥がそうとすると、こういった拒絶反応を必ず起こすのだ。
しばらくして、球体は消えた。玉藻前は膝を崩し、両手を地面につける。
そんな彼女の前に立ったのは、東雲不隠。
「卑怯かと思うかもしれないっすが、諦めて下さい。戦いというのは、そういうものっすから」
おもむろに手を、彼女の頭に乗せた。触るなと手を叩き落されるかと一瞬思ったが、今の彼女にはそんな気力も無かった。
「とりあえずこれで、自分達の勝利っす」
そして不隠は能力を発動。玉藻前の持つ凶悪な能力を、「使える」から「使えない」に反転させた。
これでもう彼女は、不隠の許可無しでは、その力を死ぬまで一切振るえない。
玉藻前という化物は、こうして「死んだ」のだ。




