十九
死神クーによる大鎌の一振りが、千歌とクーニャの足場を切り裂いた。二人は横に飛び、その攻撃を上手くかわす。
「ッ‼︎」
千歌が左手を突き出し、紫色の光を放出する。対するクーは大鎌を身体の前で器用に回転させ、光を弾いた。
「……君が何者なのかはわからないけど、まさか同じ力を持っているとはね。いやはや驚いたよ。──『鎌の天使』‼︎」
クーが輝きを纏う大鎌に引っ張られる様に高速で移動し、千歌との距離を一気に詰める。
「君がどれくらい強いのか、俺に見せてくれ……‼︎」
振るわれた大鎌。それが自身の肉を抉り切り離す前に、剣を生成し、受け止めた。
「我が得物に命ずる! その身を伸ばし、我が敵を穿て‼︎」
「ッ‼︎⁉︎」
剣の刀身が勢い良く伸び、くねくねと曲がりながら、クーの肩に深々と突き刺さる。童顔が苦痛で歪んだ。
「はああああ‼︎」
クーの背後に現れたクーニャが、魔剣アイラを振りかざす。
「……チッ」
クーニャは思わず舌打ちする。命中する直前。クーの姿は忽然と消え、剣による薙ぎ払いは風を切るだけとなったのだ。
「またこれか──がッ‼︎」
突然、クーニャの背中に強い衝撃。かまいたちにでも切り裂かれたかの様に、大きく傷口が開いた。
「クーニャさん‼︎」
千歌は叫び、前のめりになったクーニャを支えようとする。だが、その必要は無かった。
クーニャは体制を持ち直し、自分の背後目掛けて剣を薙ぎ払った。すると何も無いところで剣が止まり、金属音が響き渡った。
「……何度も同じ手が通用すると思うなよ、死神」
誰も居なかった場所がぼやけたかと思うと、死神の姿が現れた。姿が「消えた」のでは無く、姿を「消していた」ようだ。
彼女は『死神』。姿を消す事なんて、異能力に頼らずとも息をする様に出来る。
「中々やるじゃないか、吸血鬼。でも一撃貰った後に反撃してたら、君の方が先に参っちゃうよ?」
能力で氷を生成して防御する手もあるにはあるが、神力を纏った鎌を防ぎきれるとは到底思えない。
「それはどうかな……?」
クーニャが腰を落とす。それを合図に、後ろの千歌がレーザーを撃った。
「うぐッ‼︎」
光は見事、クーの胸を撃ち抜いた。口から血を吐き出し、鎌を持つ手の力が緩む。
クーニャの剣に押され、二、三歩程後退した。
「……どうやら、本気で行かないと駄目みたいだね……‼︎」
腕で口元の血を拭い去ってから、死神の力を使用。姿をくらました。
『ッ……⁉︎』
その直後。千歌とクーニャの全身に、無数の切り傷が生まれる。これでは敵が今何処に居るのかわからず、反撃する事も出来ない。
「アハハハハハハハ‼︎」
クーの勝ち誇った様な高笑いが聞こえてきた。千歌は狂人族の回復力によってほぼ数秒で完治したが、すぐにまた切り裂かれ、その繰り返しが暫く続いた。
「も、物言わぬ空気に命ずる! 逃亡者の位置を、我に示せ‼︎」
千歌はこの空間内の空気を支配し、クーの現在地を特定しようとする。
「その方法じゃ駄目だ」
千歌の肩に、クーニャが手を乗せた。
「いや、でも──」
「私に良い方法がある。悪いがお前の力を借りるぞ」
「わかりました……‼︎」
差し伸べられたクーニャの手を取る。
『糸無き糸電話』を使ってクーニャから作戦を聞いてから、頷き、そして叫んだ。
「物言わぬ空気に命ずる! 我が戦友に、力を貸し給え‼︎」
千歌の力を使い、クーニャがこの空間内全ての空気を支配する。
通常、クーニャの異能力が一度に凍らせる事の出来る範囲は限られている。最大でも十メートル程度だ。
しかしこうして空気を支配下におくことで、それは全て彼女の能力の攻撃範囲となる。
一人では、絶対に使う事の出来ない『合体技』。名付けて──。
「『全域凍氷刃』ッッッ‼︎‼︎‼︎」
魔剣を、地面に突き刺す。
千歌とクーニャ。桃花とエナの居る場所を除く全ての空間が、一瞬で凍り付いた。出来た氷塊の中には、姿を消していたクーの姿もあった。
「千歌。少し、血を借りるぞ」
「了解です」
突き刺した剣を抜き、構えた。
「第七項目──『血怪』」
『起動‼︎』
クーに切り裂かれた事によって出来た傷口から流れて出ている血を、アイラの鍔に嵌め込まれたルビーが吸い込んだ。そして光り輝く。刀身が赤色のオーラを纏い、双眸の赤もその輝きを増した。
第七項目『血怪』。他人の血をアイラが飲む事で発動する事が出来る、剣の持ち主の身体能力を倍加させる技だ。
「行くぞ、母さん」
『合点承知よッ!』
眼前にある半透明の氷塊に向け、剣を振るう。それは意図も容易く砕け、ダイヤモンドダストの様な物を生み出した。
目にも留まらぬ速度で次々と氷を砕いていき、あっという間に氷塊はクーの動きを封じている物だけとなった。
降り注ぐ細氷。その中でクーニャは、天を仰いだ。
「……さ、後はお前がやれ。千歌。宙を舞う宝石達は、お前を祝福しているぞ」
「少しイタイですよ、クーニャさん……‼︎」
地面蹴り、拳で氷を砕く。
「ッ‼︎‼︎」
氷の拘束から解放されたクーが、鎌を振るおうとした。
しかし彼女は気付く。体温が下がり過ぎたあまりに、身体が思うように動かない事に。
「────ッ‼︎」
口さえ満足に動かせない。叫べない。それでも千歌の拳は、確実に迫る。
「やああああああ‼︎‼︎」
「ガ……ッ‼︎⁉︎」
クーの右頬に拳がめり込んだ。背後の氷を砕く。錐揉み回転しながら風を切り、後方の壁に激突した。彼女はそのまま気を失い、鎌を包んでいた紫色の輝きが消えた。
二人は戦いを終え、これまで研ぎ澄ませていた集中力を切らした。
「……《死神》のデクレッシェンド。中々の強敵だったな。一対一なら、恐らく勝てなかった」
「しかし、先輩から貰った資料で事前に知ってはいましたが、まさか本当に『死神』だったとは。……やはりこの転雨には、イレギュラーが数多く集まってきていますね」
何処からか、耳を済ませば辛うじて聞こえるくらいに小さな着信音が聞こえてきた。
「……聞こえますか? クーニャさん」
「ああ……何処からだ?」
この音量だ。千歌のものでも、クーニャのものでも無いだろう。
「……もしかして、桃花のじゃないか?」
クーニャが、桃花の居る方向を向く。千歌も少し遅れてそちらを向いた。
「そうかもしれませんね。どうしますか?」
「組織の人間からかもしれない。……出てみたらどうだ?」
「わかりました、行ってみます。盗み聞きみたいで、あまり気乗りはしませんけど……」
桃花とエナの下まで歩み寄り、身を屈ませる。小声で「ごめんなさい」と言ってから、メイド服のポケットの中に手を伸ばした。
スマホを手に取る。送信主には「清利さん」と表示されていた。千歌の記憶が正しければ、確か『二十二の夜騎士』の《吊るされた男》がそんな名前だった気がする。
画面をスライドし、耳元に当てる。
『ああ、ようやく繋がりました……。桃花さん、業務連絡です。エデン計画は失敗。我々『二十二の夜騎士』は、これより撤退します』
「……」
『あれ、聞いてます? ……おかしいな、電波環境が悪いんでしょうか?』
そこで通話が終了し、ツーツーという電子音が流れ始めた。切ったのは千歌では無く、向こうだった。
「なんて言っていた?」
クーニャが問う。千歌はスマホをポケットの中に押し戻しながら、それに答えた。
「エデン計画は失敗。『二十二の夜騎士』はここから撤退するらしいです。……どうやら私の協力者が、先に終わらせてしまったみたいですね」
「協力者? 私の他にも誰か居たのか」
「はい、東雲不隠さんです」
「なんだと……⁉︎」
千歌の答えに、クーニャが目を見張らせる。
「彼女は、ヴァルハラに所属しているスパイなんですよ」
「ヴァルハラの……それは流石に知らなかったな。でも良いのか? ヴァルハラに見つからない為に正体を隠してたのに」
「ああ、それはもういいみたいです。というか、かなり前から私が『器』である事を知っていたみたいです」
「そうだったのか……。それについてはもう少し聞きたい事があるが、それは後にするとして……これからどうするつもりだ?」
クーニャの問いに、千歌は苦笑しながら自分の頬をかいた。
「雲雀さんも瑠璃さんも、不隠さんが保護してくれていると思いますし、今から『深域』に行っても意味無いですよね……では私達は、桃花さん達を医療施設に連れて行くとしましょうか」
「……そうだな」
二人がこれからする事を決め、いざ行動に移そうと一歩踏み出した時に、丁度スマホが鳴った。今度は千歌のだった。
送信主は非通知。不思議に思いながら、それに出た。
「もしもし……」
『俺は『二十二の夜騎士』所属していた、《教皇》のアルベード=ラングドシャだ』
「ああ、確か不隠さんと同じヴァルハラのスパイですよね? あれ、この声今日何処かで聞いた事あるような……」
『『深域』に来てくれ。今すぐにだ』
千歌の言葉を無視するように、アルベードは焦燥を感じられる声で言った。
「えっ……でもエデン計画は失敗して、全て片付いたんじゃ──」
『いいや、まだ終わっちゃいねーよ。これに関しちゃ、俺も不隠ちゃんも予想してなかった……』
息を呑む。自分に深域へ行けと指示したという事は、つまり、『二十二の夜騎士』で最強と言っても過言では無い不隠だけでは処理出来ない事が起きている、という意味を暗に示していた。
「『深域』で、一体何が起きてるんですか……?」
『それは移動しながらする。いいから早く来てくれ! でないと──」
『不隠ちゃんが死んじまう……‼︎』
**
安中重音。今から五年前まで、確かに存在していた女性の名前だ。
彼女は幼い頃から異能力に憧れを抱き、異能力研究の第一人者であるローズヴェント・ウィズリバースに心酔していた。
能力に関する研究に携わる為に、彼女は必死に勉強した。中学と高校は常に学年一位。転雨で最も偏差値の高い名門大学も、主席で合格した。
彼女を知る誰もが、彼女の事を『天才』だと言った。ただ重音自身は、そう言われるのを嫌っていた。
自分は必死に努力したのだ。この結果は、努力という過程によって成り立っているもの。それなのに『天才』という一言で片付けられるのが、どうしても許せなかったのだ。
大学卒業後。彼女は、『神童』と呼ばれている少女──リリアルディ・カルツィオーネからの誘いを受け、マテリアルの一員となった。元々人柄の良かった彼女は、周囲の人間に好かれ、あっという間に組織に馴染んだ。
そんな中で、彼女が特に仲良くなった人が二人程居た。
一人は芥川茶道。年齢は茶道と同じくらいだが、背は少しだけ低かった。メイド服を着るのが趣味らしく、よく重音と輝夜に着せようとしていた。
そんな彼女がマテリアルに入った理由は、「異能力がこれまでに触れた事のないジャンルだったから」だ。
彼女は重音程では無いものの成績優秀で、何処に就職してもやっていけるスキルの持ち主だった。しかしなんでも出来てしまうというのはある意味退屈であり、彼女は生きる意味を見失い始めていた。
そんな時、リリアルディに誘われた。最初は異能力に興味は無かったものの、これまで一度として触れる事の無かった事に興味を示し、承諾したのだ。
ただその時は既に、この組織の行う非人道的な実験に不満を抱いていた。
もう一人は、月華輝夜。転雨の市長を百五十年近く務めている『永久幼女』の月華月夜見の娘の一人だ。いつも緑を基調とした和服を身に纏った大和撫子で、重音が始めて恋をした人物だった。
彼女がマテリアルに入ったのは自分の意思では無く、母親である月夜見に半ば強制的に入れられたから。今は研究に熱心になっているが、最初はまるで興味が無かったらしい。
彼女は所謂『天才』で、幼い頃から色々な事が出来た。齢十七で医師免許を獲得するという異例の快挙を成し遂げた事で、一時期メディアを騒がせていた。
三人は仕事を終えた後、必ず一緒に天鈴商店街にあるバーに飲みに行く。そして泥酔した茶道を家に送る。これの繰り返し。そんな繰り返しの毎日が楽しくて楽しくて、死ぬまで続いて欲しいと願っていた。
けれど今から五年前。十七回目のディザイアレス起動実験中に、それは起きた。
当時完全とは言えなかった『セフィロトの樹』が暴走。偶然にも別世界とこの世界とを隔てる壁が破れ、巨大なワープホールが誕生した。そしてそこから発せられた黄緑色の粒子に触れてしまった茶道達は『老い』という概念を奪われ、それに伴い肉体も中学生程度のものに変化していった。
数分後に亀裂が自動的に修復し、ホールは閉じた。だが彼女達は直後に気付く。
安中重音の姿が、消えているという事に。
結局彼女は、本部中何処を探しても見つからず、ワープホールの先に行ってしまったいう最悪の結論に至らずを得なかった。
この事件をきっかけに、重音と仲の良かった茶道と輝夜は組織から離反。その日たまたま非番で居なかった梅木沙知とその養子達は、この事件を数日後に知った。
しかし、一つだけ疑問が残る。
この十七回目のディザイアレス起動実験。指揮をとっていたのは重音だった。
努力家で頭の冴える彼女が、あれ程の大規模な事故を想定出来なかったものだろうか。
……もしかすると。安中重音は、玉藻前という名の化物を、愛してしまったのかもしれない。