十七
「愚かだなぁ、人形。まさかこんな所で死んでしまうとは。……いや、最初から知ってはいたけどな」
目の前に佇む少女は、口を歪めて嘲笑う。
狂人族の圧倒的な回復力を持ってしても、心臓を撃たれれば流石に死ぬ。彼女は別に、不死という訳ではないのだ。
桃花は流石に、自分の事を殺しはしないだろう。勝手にそう思っていた。だから油断していた。
まさか銃で心臓を撃ち抜いてくる程の『決意』があったとは。
「貴女は当然、今から私の事を蘇らせるんですよね?」
「当たり前だ。ここはお前が死ぬべき場所じゃない。
あの方を蘇らせる為に必要な『器』。それ以外に、お前の存在意義は無い。もしここで死んだら、お前は生まれてきた意味すら無いだろう?」
「……いいえ、あります。私の生まれてきた意味は、あります……きっと」
少女は千歌の胸倉を掴み、顔を寄せた。
「黙れ人形。人形如きが、このノルン様の言葉に首を横に振るな。心底腹が立つ」
「ごめんなさいノルン様。……でも貴女は、私を傷付ける事は出来ない筈です。私を傷付ければ、あの方を危害を加えたと同義ですから」
「ッ……‼︎ 調子に乗るなよ人形……‼︎」
千歌を突き飛ばすノルン。乱れた呼吸を整えてから、笑みを浮かべた。
「まあいい、どうせ短い命だ。生きる意味なんて見つけたところで、死ねば無意味になるんだからな」
「……私は抗いますよ。貴女が私に植え付けた、最悪の『運命』に」
「出来るものならな」
そのノルンの言葉を最後に、その世界での千歌は、意識を失った。
**
『二十二の夜騎士』の一人、《魔術師》の八岐零式との戦いに勝利したクーニャは、エレベーターへと乗り込み、本部まで降りて行く。
『さっきの相手、中々に強かったわね。あの子なら、ギリ勝てるかどうかわからないわ』
纏っていた血が消え、元の銀剣に戻ったアイラが言う。
「《魔術師》の八岐零式。奴は自分でも言っていたが、実際に『二十二の夜騎士』の中で五本の指に入る実力を持っている。一番は《隠者》の東雲不隠だ。彼女は、幾ら私でも勝てる気がしない。出来れば遭遇したくないな」
そこでエレベーターが停止。扉が開いた。
降りた場所は円形で、数メートル先にある通路と比べるとかなり広い。エレベーターホールの様だ。
「誰も居ない……まさか侵入者が居るのを知らないのか?」
『もしくは全員、あの子の方に行ったか。……もしそうだとしたら、アンタの作戦は失敗ね』
「……いや、それは無いだろう」
クーニャの顔つきが変わる。アイラがその理由を聞こうとする前に、何処からか可愛らしい少女の声が聞こえた。
「──お久しぶり。ううん、初めましてかな? 吸血鬼ちゃん」
目前の空間が歪んだかと思えば、小さな人の姿を象った。
「お前は……」
姿を現した少女に、クーニャは見覚えがあった。
クリーム色の長髪。肌は健康的な褐色で、澄んだ青色と瞳をしている。純白のワンピースで、華奢な身体を包んでいた。
少女の幼く愛らしい顔が、左右非対称に歪んだ。普段のギャップも相まって、狂気と恐怖を強く感じた。
「ウチはキリハ=ロールシャッハ。『二十二の夜騎士』所属の、《世界》のキリハだよん△」
『《世界》……大アルカナの中で一番強そうなのが来たわね……』
「まったくその通りだよ。よりによって、不隠よりも相手にしたくない奴に出くわす事になるとはな……」
おかしくて、思わず笑みが溢れる。彼女が千歌の方に行かなかったのは喜ばしい事だが、出来れば自分も遭遇したくなかった。山の中で熊に出会ってしまった登山家の気分だ。
キリハ=ロールシャッハの持つ異能力は非常に凶悪だが、零式や不隠。桃花に比べると遥かに劣る。
だが誰よりも、人格が歪んでいた。それ故に、能力の使い方も戦い方も、他と異なる。
「零ちゃんとの戦い、ずっと見てたよ。強いんだね〜、吸血鬼って△‼︎」
「そりゃ強いさ。吸血鬼は、人間よりも優れた種族だからな……まあ、その人間に滅ぼされてしまった訳だが」
「あの戦いを見てたらね、ウチ凄く興奮しちゃって。戦いたくて闘いたくて絶たかいたくて殺したくて、切なくなっちゃったんだよね。……だから、やろうよ?」
キリハは、左眼を隠す様に手を添えた。それが予備動作である事を、クーニャは知っている。
「……ッ‼︎」
急いで目を瞑る。その直後にキリハは手を離し、黒目の部分が六芒星の形に変化した左眼を晒した。
「チッ……どうやらウチの権能を知っているみたいだね〜? 吸血鬼ちゃん△」
目を閉じたまま、その質問に答える。
「ここに来る前。私はこの組織の事を調べていた事があったからな。『二十二の夜騎士』の異能力の内容は、大体頭に入ってるんだよ」
「中々やるね吸血鬼ちゃん。……だけど目を瞑ったまま戦うのは、難しいんじゃないかなぁ?」
「そうでもないさ。第六項目──『察血』」
『起動』
アイラが答える事で、発動する。目を瞑った状態で、周囲が『視える』ようになった。
「お前と顔を合わせない事。それがお前との戦いにおける対策だ」
「なーるほど。確かに完璧な対策だね。でも、そんなありきたりな対策に、ウチが何も対策していないとでも?」
再び歪む、キリハの顔。六芒星が刻まれた左眼が、輝きを放った。
「××見えない糸に引っ張られろ××」
「ッ……⁉︎」
『ちょ、なっ……‼︎』
その時。魔剣アイラがクーニャの手元から離れ、天井に突き刺さった。
「あ、驚いてる〜。どうやらキミも、今のは対策してなかったみたいだね〜△」
「…………何をやったんだ?」
未だ目を閉じたまま、キリハに尋ねる。折角発動させた『察血』も、アイラが手元から離れた事で効果が切れてしまった。
「何をしたかと聞かれて、答える馬鹿は居ないよ〜。教えてあげられる事はただ一つ、キミはウチには勝てないって事だよ△」
両腰に手を当てて、無い胸を張るキリハ。彼女はこの時点でもう、勝利を確信していた。
クーニャが、ほんの僅かに頬を緩めた。
「…………人も吸血鬼も、突然起きた事には驚いてしまうものさ」
「何を言ってるの? 負け惜しみかな〜△」
「いいや違う」
指を鳴らす。突き刺さったアイラが一人でに動き、
「──これは、勝利宣言さ」
弾丸の如き速さでキリハの腹部に突き刺さった。
「な……ん、で……△」
突然起きた事に、キリハの脳が追いつかない。自分は今、一体何をされたんだろうか。
アイラは自力で身体から抜け、回転しながらクーニャの手元に戻る。
「アイラは剣じゃない。私の愛する母親だ」
零式とは違って、キリハは吸血鬼の文化を知らなかった。それが彼女の敗因と言えるかもしれない。
「何それ……意味が……わから、な……」
完全に言い終えるその前に。キリハはうつ伏せに倒れた。
ようやく目を開く。案外楽に戦闘を終えられた事に、安堵の息を吐いた。アイラを振って、血を飛ばす。
『よく当てられたわね』
「彼女の位置は、目を閉じる前に把握していたからな。完全に見えなくても、当てるのは容易い……」
引き続き、『深域』に向かう為に足を一歩踏み出す。
その刹那。彼女の首元に、弧を描いた巨大な刃が置かれた。それまで感じなかった気配を、背後に感じた。
「お疲れ様。申し訳ないけど、手を挙げてくれないかい?」
篭った声が聞こえる。恐らく女性の声。
「……誰だ」
「名乗るには、面と向かってするべきだと俺は思う。だから今はしない。もし次の攻撃を避ける事が出来たなら、名乗ってあげよう」
そして彼女は、クーニャの首に狙いを定めた刃を動かした。
「……‼︎」
クーニャの首元を覆うように、氷の壁が瞬時に出来上がる。それが、刃を音と共に阻んだ。
その間に、クーニャは身を屈めて刃の下を潜り、背後に居る存在とある程度距離を取ってから振り返った。
そこに立っていたのは、黒いローブにドクロの仮面という、ハロウィンの日に町中を歩いていたそうな格好をしている、何とも奇怪な女だった。クーニャの首元に置かれていた刃は、彼女の持つ大鎌のものだったらしい。
その姿は、まさしく『死神』だ。
「これは驚いたね……まさか、異能力者でもあるなんて……」
「備えあれば憂いなし。そんな言葉が、この国にはあるからな」
クーニャの持つ異能力は、『いずれ世界は凍てつき終わる』。「ありとあらゆるモノを、本人に触れているモノなら必ず凍らせる事が出来る」という能力だ。
異能力は、クーニャの持つ『秘密兵器』。正直この場面で見せたくはなかった。
「約束通り、自己紹介でもするとしようかな……俺は『二十二の夜騎士』所属、《死神》のデクレッシェンド。皆は俺の事を、親しみの込めて『クー』と呼んでくれるよ。君と同じ、人ならざる者さ」
「そうだろうな。纏う空気が、人間のそれじゃない。……というかクー、か。私の名前と少し被るな」
「それは仕方が無い、諦めておくれ。……さて、俺の能力の事は知っているだろう? 『二十二の夜騎士』の能力は全て把握していて、それへの対抗策も考えてあるんだろう?」
「『影に潜み、命を刈り取る者』。「必ず相手に気付かれずに相手に近付ける」……能力そのものに殺傷能力は無いが、お前や私の様に元の能力の高い人外なら、あまりに十分過ぎる能力だな」
「正解。俺は戦闘というより、暗殺専門なんだ。だからこうして面と向かって戦うのは好きじゃないんだよ……。因みにこの能力に対する策も、ちゃんとあるんだよね?」
「無論だ。当然、それを話す筈は無いがな」
「それでいい」
クーは腰を落とし、大鎌を構えた。
「顕現せよ、──『鎌の天使』」
鎌の刃が、千歌の左腕と同じ紫色の輝きを纏った。
それは、神の領域に足を踏み入れた者にしか許されない輝き。
「なるほど。『死神』もまた、神の一種という事か」
「さあ吸血鬼。その魂を、笑顔で俺に差し出せ」