十六
「神力解放」
小さく呟く。
彼女の全身が、金色の輝きに包まれた。
剣を生成。飛んでくる十本のナイフを、目にも留まらぬ速さで弾いた。絶対に弾かれない筈のナイフを。
「そんな……なんで……ッ‼︎」
驚愕の色で顔を染め上げる桃花。ナイフに特性を付け忘れたなんてミスはあり得ない。だがナイフは、弾かれてしまった。
「…………な、なるほど」
そこに来て彼女は理解する。
エナは言っていた。裁川千歌は『神力』を持っていると。ならば神の気をその身に纏う事も、何ら不思議な事では無い。
思わず笑みが零れる。楽しいからでは無く、恐れているからだ。
「厄介ですね……その気に触れられてしまったら、必中必殺の特性が無効化されてしまうじゃありませんか……」
二本の剣を生成し、構えた。
「……いいでしょう。ならば真っ向勝負と行きましょうか‼︎」
**
「ガッ……‼︎」
矢弾エナは腹部に衝撃を受け、後方に吹き飛んだ。相手の不隠は殴っても蹴ってもいないし、両手は依然ポケットの中だ。
彼女は自分の攻撃の標的を「反転」され、自分に命中。吹き飛んだ。
得物である斧も、既に彼女の手には無い。とっくに破壊されている。
「諦めたらどうっすか? エナちゃんじゃ、自分に傷一つ付けられないと思うんすけど」
「煩い……デス‼︎ 絶対に勝てないからと言って、戦う事を諦める理由にはなりまセンッ‼︎」
エナは立ち上がり、右手に出現させたハルバードを両手で構えた。
「頑固っすね。諦めない事も勿論大事だけど、諦める事も大事っすよ?」
「黙レッ‼︎」
地面を蹴るエナ。不隠の首を切り落とす為に、ハルバードを振りかざした。
しかしそれは明後日の方向に吹き飛ぶ。風を切って回転しながら、遠くの壁に突き刺さった。
隙の出来たエナの腹に、不隠が足をめり込ませる。あまり威力の無かったそれは、『弱い』から『強い』に反転され、『吹き飛ばない』を『吹き飛ぶ』に反転された結果、強烈な威力と化した。
「ほら、もう諦めたらどうっすか?」
「ま、だ……デス‼︎」
立ち上がり、二本の短剣を出現させる。これが最後の武器だ。失えば、丸腰となる。
「食らえ──デス‼︎‼︎」
エナは斬りかかる……ふりをして、直前で剣を消滅させ、殴りに転じた。千歌が苦しめられた手法だ。
「そういう小細工は、自分には一切通用しないっすよ?」
しかしやはり、東雲不隠という人物の前には、何の意味も成さない。
「飛んでいくっす」
エナの身体が吹き飛び、もう一度壁に身体を打ち付ける。今度は立ち上がる事も無く、ほんの少しも動かなくなった。
タイミング良く、懐にしまっているスマホが鳴った。
「おやアル。どうかしたんすか?」
『……少し、大変な事になったぜ』
「大変な事?」
『雨宮雲雀が神力に覚醒して、ディザイアレスを止めやがった』
その言葉を聞いた直後に、不隠は桃花と交戦している千歌の方を見た。
「……原因が、なんとなくわかったっす」
**
桃花が指を鳴らすと、千歌の足下が隆起し、宙に投げ飛ばした。
千歌は空中を舞いながら、左手を桃花の居る方向に翳し、紫色の光線を撃ち放つ。
桃花は目前に巨大な円形の盾を生成し、それを防ぐ。次に自身の足元の地面を隆起させ、それを利用して高く跳躍。そこから宙に足場を生成し、蹴った。
「死ねええ‼︎」
落下途中で避ける事の出来ない千歌に、桃花が斬り掛かる。
千歌が半透明の障壁を展開。刃からその身を守る。受け身を取りながら地面に着地し、すぐにその場から離れた。その直後、落下してきた桃花が千歌の居た場所に巨大なハンマーを振り下ろす。大きな振動と共に、巨大なクレーターが出来上がった。
ハンマーを消滅。周囲に数え切れない程のナイフを生成し、千歌を狙って射出する。
障壁を展開して防御。刃の雨が止むのと同時に、レーザーを撃つ。それを桃花は、生成した盾で身を守った。
「埒が明かないですよ、桃花さん」
「それはこっちの台詞ですよ……千歌さんッ‼︎」
千歌の頭上に、既にピンの外された大量の手榴弾が現れ、降り注ぐ。
「……ッ‼︎」
爆発するその前に、千歌は駆け出す。背後から爆音が轟き、衝撃が背中に伝わった。
足を踏み込む位置に、唐突に地雷が現れる。頭上からは手榴弾の雨。ここで止まる訳にはいかない。
ならば答えは一つ。地雷の上に乗ったこの足を、前に踏み出すしか無い。
足を離す。地雷が耳障りな電子音を鳴らし、爆発。生じた爆風に片足が曲げてはならない方向に曲がるが、瞬時に修復した。
桃花の両手に、「無限に弾の尽きない」機関銃が二丁現れる。その銃口から吐き出された雨は全て、「千歌に必ず命中する」という特性が付与されていた。
手榴弾の雨に無数の地雷。そして銃弾による横殴りの雨。その中に居ても尚、千歌は足を止める事は無い。障壁を張り、剣で弾き、受けた傷や折れた骨は狂人族の回復量で半ば無理矢理に治していく。
作戦も何も無い、馬鹿としか思えない動き。だからこそ千歌は、桃花に近付く事が出来た。
「ぐっ──」
歯を食い縛る桃花。機関銃を消滅させ、目前に盾を生成させる。
それを予想していた千歌。一旦桃花を通り過ぎ、急ブレーキ。振り返り、がら空きの背中に向け、左手による一撃を叩き込んだ。桃花が口から、血を吐き出す。
「これで、終わりです」
背中に触れている拳を開き、ゼロ距離でレーザーを撃つ。その光は桃花の身体を貫き、彼女の前方を守っていた盾を貫通させた。
桃花は膝をつき、前のめりに倒れる。
設置されたものの作動しなかった地雷。足元に転がる空薬莢にナイフ。そして盾と、彼女が自身の能力によって生成された物全てが、同時にその姿を消した。
千歌を包んでいた金色の輝きは消え、いきなり来た酷い脱力感に、全身が地面に引っ張られた様な錯覚を覚えた。
「まさか殺したりはしてないっすよね?」
近くまで来た不隠が、訝しげに聞いてくる。
「殺してませんよ。……重傷ではあると思いますけど」
「なら良いんすけど……。自分はスパイっすけど、彼女達の事は普通に好きなんすよね。だから彼女達を殺していたら、きっと貴女を許さなかったと思うっす」
「……私は、誰かを殺したりなんてしませんよ。私が裁川千歌である限りは、ですけど」
紫色の左腕を見据えながら、寂しそうに呟いた。
「そういえば、神力解放したんすね。桃花ちゃんが相手だったから、仕方が無いと思うっすけど」
「……使ったら、何か不味い事でも?」
「いいえ。ただ貴女が神力解放した事で、雲雀さんの身体に流れている神の血が呼応し、覚醒したんすよ。お陰で、ディザイアレスを自分達が止めずに済みました。
……例えるなら、攫われた姫が力に覚醒してラスボスを倒しちゃったって感じっすねー」
「…………まさか、これ以上私達が急ぐ必要は無かったりしますか?」
「そのまさかっすよ。ま、だからと言ってゆっくり行っていい訳じゃないっすけどね。雲雀さんの覚醒は一時的なもの。それが切れれば、ディザイアレスを再起動させるでしょうし。……では先に」
不隠は軽く跳躍する。天井に空いたままの穴を抜け、廊下に戻った。
「あんな軽々と……」
この高さを身体能力だけで飛ぶ事は、千歌には出来ない。この場所から出るには、桃花かエナの力を借りる必要がある。
「……大丈夫ですか? 桃花さん」
「…………」
「息はしている……単に気絶してるだけですか」
ただ、このまま放置しておく訳にはいかない。どうしたものか。
その時。桃花の足がほんの少しだけ動いた。
あ、動いた。そんな感想を抱いている間にも桃花は起き上がり、即座に生成した拳銃を千歌の左胸に当てた。そして勝ち誇ったかの様に、笑うのだ。
「置き土産、です……」
「なッ──」
気付いた時にはもう遅い。
一発の銃弾が、千歌の心臓を貫いていた。
**
少しだけ、自分語りをしましょうか。
私こと矢弾桃花は、不運にも最悪の家庭に生まれました。
両親が高校生の頃に生まれた子供で、当然の様に育児放棄されました。まともな食事も与えられず、ほぼ毎日暴力を振るわれました。
痛かったです。苦しかったです。泣きました。喚きました。また殴られました。涙は枯れ、喚き声はもう出なくなりました。
幼稚園にさえ行く事が出来ず、半ば監禁された状態で、私は九年もの年を過ごしました。
まだ思春期すら訪れていないのに、私は世界そのものに絶望し、運命という概念を恨み、そして何より、死にたいと。生まれたくなかったと思ってしまいました。
ある日。私は、自分に特別な力がある事に気が付きました。
きっかけは家に居た時。洗うのが面倒だからと食事に箸を使わせてくれなかった私は、その日も手で食べようとしました。
私は驚きました。いつの間にか、箸を持っていたからです。母親は驚き、父親からは何処から持ち出したんだと殴られました。
そんなの、私にだってわかりません。ただ「箸があったらな」と思っただけです。それだけで、何処からともなく箸が出てきたのです。
私は、両親の目を盗んでもう一度念じてみる事にしました。
人形さんが欲しい、と。
すると私の手に、突然可愛い女の子の人形が現れました。驚いて声を出しそうになったけど、気付かれてしまうのでなんとか堪えました。
確信しました。私には、欲しいと思ったものを必ず手に入れられる力があるのだと。
心の底から自信と、生きる希望が湧いてきました。これがあれば、この地獄から抜け出す事が出来るかもしれない。
私は願いました。
あのクソッタレな両親を、誰にもバレない様に殺せる力が欲しい‼︎ ……と。
そうして手元に現れたのは、とても小さなスイッチでした。
最初は玩具かと思いました。ですが、変な確信がありました。
これを押せば、確実あの二人を両親を殺せるという確信が。
迷う事なく押しました。その直後、リビングに居た両親の首が、綺麗に切断されたのです。
まだ幼かった私には非常にショッキングな光景でしたが、それよりも何よりも、解放された喜びの方が強かった事を今でも覚えています。
結局、両親を殺したのが私であると最後まで気付かれる事無く、私は孤児院に入れられました。
この時初めて知ったのですが、どうやら私は『天涯孤独』になったらしいです。寂しさは感じましたが、それでも殺した事に何の後悔もありませんでした。
孤児院での暮らしは、かなり幸せでした。誰も私に暴力を振るいませんし、美味しい料理を毎日食べられる。友達だって出来ました。今まで出来なかった勉強をする事が出来ました。
私の人生はここから始まった。そう思えました。
だけど、楽しかった日々はすぐに終わりを告げる事になります。
私が地元の中学に転校した頃。孤児院に、二人の男が訪ねてきました。
男達は、私の持っている力──異能力の研究を行っているという組織の一員で、私を連れて出そうとしていました。
勿論最初は拒絶しました。ようやく手に入れた幸せな日々を、壊される訳にはいかなかったからです。
でも男達は、私がついて来てくれさえすれば、孤児院に多額の資金を提供すると言うのです。
私の居る孤児院は金が無く、あと数年もすれば潰れてしまう可能性がある。それくらいの危機に瀕している事を、彼等は知っていたのでしょう。
行きたくない。でも孤児院を。初めて「私の居場所」と言えた場所も護りたい。
悩みに悩んだ結果、私は彼等について行く事を決めました。
そこからは、また地獄でした。
来る日も来る日も死にたくなるような人体実験を受け続け、与えられる食事は味気の無い物ばかり。行動を常に監視され、反逆しない様にと能力制限用の首輪を嵌められました。
組織に来ておよそ二年経ってから、私は今更になって後悔しました。孤児院の為に、自分を売るべきではありませんでした。
その時はただ、ここに来る原因となった私の身に宿る異能力が、酷く恨めしかったです。
二年前の自分は、まさか地獄から解放してくれた力が地獄へと引き戻させるとは、思ってもいないでしょう。
『貴女が、矢弾桃花ね』
全てを諦めかけていた時。私に光を灯してくれたのは、一人の女性でした。この組織の研究員で、名前は梅木沙知というそうです。
『貴女の力を、私に貸してくれないかしら?』
梅木さんは私に言いました。もう何もかもを諦め無気力状態だった私は、特に葛藤する事も無く、了承しました。
次の日。彼女は私の手を取り、実験続きの日々から。二度目の地獄から救い出してくれました。
そして笑顔で言います。
『今日から私が、貴女の母親よ』
**
「エ、ナ……」
朦朧とする意識の中。桃花は倒れた千歌の横を通り過ぎ、動かなくなったエナの下へと歩いて行く。
矢弾エナは、ある一箇所を除けば全て機械出来ているので、どれだけ壊れても修理する事は可能だ。……記憶機能が破壊された場合による、記憶の完全修復は流石に不可能ではあるが。
彼女にはただ一つ。唯一機械ではない箇所がある。
それは、『魂』だ。どんな物でも作る事の出来る桃花の異能力──『万物を描く神の右腕』でも、相応のリスクを支払わなければ、生成する事は出来ない。
もし魂が消滅していたなら、もう二度と、エナを動かす事は出来ないだろう。また新しい魂を作れば、能力者である桃花の身体が、分解されてしまう危険があった。
膝を折る。エナの両頬に両手で触れ、互いの額を合わせた。
幸いな事に魂は消えておらず、記憶機能も無事だった。
「エナ……よく……よく、頑張りました」
壊れた箇所を瞬時に修復させてから、桃花はエナに抱き締め、眠りについた。