十五
「自分の異能力については、もうご存知っすよね?」
エレベーターに乗っている間、不隠が尋ねてきた。
「勿論。……ハッキリ言って、敵対していなくて良かったと思っていますよ。相対したら絶対に勝てませんから」
「……自分達の様な、神の血を少しだけ引いている人間が発現させる異能力は、他のものに比べて遥かに強力なものになるんすよ」
「……なるほど。雲雀さんの持っている二つの異能力の凶悪さにも納得ですね」
エレベーターが停止し、ゆっくりと扉が開く。
「っ……‼︎」
千歌は思わず息を呑んだ。
大量の構成員が、扉の前で待ち構えていた。
「ここは、自分に任せて下さいっす」
不隠が、千歌を庇う様に前に出る。
構成員の一人である女が、口を開いた。
「侵入者を庇うのですか? 不隠様」
「君達には言ってなかったけど、実は自分スパイなんすよね。雨宮雲雀を逃したのも、自分だったりするんすよ」
「っ⁉︎ ……この、裏切り者ッ‼︎」
女は持っていた拳銃を不隠に向け、撃つ。
放たれた銃弾は不隠の眼前でピタリと静止し、女の方へと跳ね返った。右肩を撃ち抜かれる。
「自分の能力がどんなものか、皆さんも理解してるっすよね? だったらわかる筈っす。自分には勝てないって事が」
「…………‼︎」
残りの全員が、一斉に各々の異能力を発動させる。けれどどれも不隠には一切届かず、自分の力が自分に命中。倒れた。
「『裏の裏は表である』。ありとあらゆる物事を『反転』させる、ですか……末恐ろしい能力ですね。貴女に勝てる存在なんて、この世界で数えるくらいしか居ませんよね?」
「そうっすね。ごく一部と神様以外には、勝てると思うっすよー」
軽々とそんな事を口にする不隠。
実際彼女は、世界中の兵力が一丸となっても倒せないだろうし、生半可な異能力でも傷一つ付けられないだろう。
千歌とは、また違った意味での化物だ。
冷や汗が額から流れ出る。本当に彼女がスパイで良かったと、心から感謝した。
「先を急ぐっすよ、千歌さん」
構成員達を飛び越え、ポケットに両手を入れたまま走り始める不隠。
「は、はい!」
遅れながら、千歌もそれに続いた。
通路は天井が低い。それに並んで二人歩けるかどうかくらいに狭く、戦闘に向いている地形では無い。なるべく敵との遭遇は避けたいところだ。
「『深域』には、あとどれくらいで着きそうですか?」
「このまま順調に行けば、あと十分もかからないっすよ!」
「そうですか。なら──」
良かったです。そう言い終える前に、先を行く不隠の足が止まった。背中にぶつかりそうになりながら、急ブレーキをかける。
「ど、どうしたんですか? いきなり止まって……」
「……どうやら、順調には進ませてくれないみたいっす」
不隠の表情に、笑みが溢れる。
二人の前には、二つの人影があった。
「ここから先は、」
「通さないのデス」
メイド服を纏う《女帝》の矢弾桃花と、巨大な斧を持った《戦車》のエナ。この二人が、千歌と不隠の行く手を阻んでいた。
「やはり貴女が裏切り者だったんですね、不隠さん」
「最初からわかっていた、とでも言いたそうな口ぶりっすね桃花ちゃん。……一体いつ、気が付いたんすか?」
「恥ずかしながら、ついさっきですよ。……同じ『二十二の夜騎士』に所属する家族を疑いたくはありませんでしたが、確固たる証拠があります。信じざるを得ません」
桃花は視線を、不隠から千歌に向けた。
「千歌さん。貴女には、数時間前に私の娘を痛めつけてくれたお礼をしたかったんです。治せるから良かったものの、可愛い娘の顔半分を破壊し、言語機能まで壊したその罪は、私の中では万死に値します」
「そうですか。ですがエナさんを一人にした貴女にも、責任はありますよね?」
「無論です。ですがそれはそれ。これはこれ、なんですよ」
透明の箱を隣に置くジェスチャーをしてから、桃花は話を続ける。
「……さて。ここは狭いですから、場所を変えるとしましょうか」
左手を掲げ、指を鳴らす。
「なっ……‼︎」
四人全員の足元に大きな穴が空き、重力に任せて落下。数十メートル下にある床に着地した。
「ここは……」
周囲を見渡す。天井が高く、体育館の様な空間が広がっている。先程まで居た狭い通路とはまるで違った。
「私がエナの訓練用に作った広場です。ここでなら、十分な戦いが出来ます」
確かにここでなら、自由に動く事が出来る。ただ相手は、大抵の物を生み出せる桃花と、驚異的な身体能力を持つエナ。簡単に勝てるとは思えない。
エナの髪色が桃色に変化。瞳の色も変わる。戦闘形態へ移行した。
「千歌さん。貴女は、桃花ちゃんの相手をお願いするっす」
「……本音を言うと、私はエナさんが良いのですが。桃花さんに勝てるビジョンが思い浮かびません……」
「自分、ハッキリ言って桃花ちゃんは苦手なんすよ。屁理屈合戦になるっすからね……。では!」
床を軽く蹴る。不隠の身体は一気に加速し、エナとの距離を詰めた。
「あ、ちょっと! ……仕方無いですね。気は進みませんけど、やりますか……‼︎」
「さあ勝負です。裁川千歌!」
桃花は計十本のナイフを両手に生成し、投げ放つ。必中必殺の特性を持った『運命を歪める絶対命中の牙』だ。
それを防ぐ術は、普通の人間には勿論、大半の異能力者にすら無い。
だが、人間でありながら人間の域を踏み越えた彼女になら可能だ。
「神力解放」
**
「ふふ……遂にやったわ! ディザイアレスが起動したわ‼︎」
梅木沙知は両手を広げ、歓喜の悲鳴を上げる。
あとは鍵を使って『解錠』するだけ。たったそれだけで、全人類の願いが瞬く間に叶えられる事になる。
「リフターを起動させなさい」
その掛け声と共に、セフィロトの樹の眼前にある、雲雀を乗せた高所作業用のリフターが、ゆっくりと上昇を始めた。
「なんでッ……なんで身体が言う事を聞かないのよッ‼︎‼︎」
縄で縛られている訳でも無いのに、彼女は何故か、自分の身体を自由に動かす事が出来なかった。
その手には、一本の短剣が強く握り締められている。これもまた、彼女の意思では無い。
雨宮瑠璃の居る位置で、リフターが停止した。
姉である雲雀と同じく、紫がかった髪を肩口で切り揃え、か細い身体は無数のコードに繋がれている。
彼女は今現在、雲雀の妹では無い。人々の願いを異能力という形で叶える、ディザイアという名の人工女神だ。
「さあ。《その剣で、その子の胸を突き刺しなさい》」
「なッ……ぐっ……あ……‼︎」
剣を握る手が動く。雲雀はそれに必死に抗おうとするが、言う事を聞いてくれない。
「嫌……嫌……‼︎」
「《刺しなさい》」
沙知の声が響く。剣が瑠璃の胸に突き刺さり、華奢な身体を貫いた。
「そんな……い、や……嫌あああああああ‼︎」
幾ら自分の意思では無いとは言え、自分の手で実の妹を刺したのは事実。その罪悪感に苛まれながら、雲雀は絶叫した。
『解錠を確認。これよりディザイアレスは起動します』
瑠璃……の姿をした人工女神は目を開き、感情がカケラも篭ってない声音で告げる。
繋がっていたコードが全て外れ、身体が宙に浮かんだ。背中から天使を思わせる白い翼を生やし、瞳が金色に輝く。
雲雀はそれを見て、不覚にも「綺麗だ」と思ってしまった。
『さぁ、願いなさい。望みなさい。あなた達の欲望を』
「まずは、この願いを受け取りなさい」
一歩前に出た沙知が、ディザイアレスに向けて言う。
『承りました。──迷える子羊達に、祝福あれ』
「ッ‼︎」
直後、沙知は一瞬だけ目眩を覚え、その場でふらついた。
「今ので、発現したみたいね……」
右手を突き出す。すると眼前の空間が歪み、人が通れるくらいの大きさをした異空間への入り口が現れた。
「あれだけ難しかった二重能力者が、こんな簡単に作れてしまうなんて、驚きだな……」
後ろに居る茶道が呟く。これまで、精神に異常をきたさずに二つの異能力を発現させた二重能力者は、雲雀を含めて片手で数える程度しか居ない。なのでこうして簡単に量産出来るのが、異能力の研究に携わった事のある人には驚きだった。
「この先に、重音は居るわ」
沙知は振り返り、輝夜と茶道の方を見た。
「わかった……さ、行こうか。輝夜」
「……ええ」
お互いの顔を見合い、頷いてから、二人は穴の前まで来る。
「ある程度したら、誰かを迎えに行かせるわ。出来ればそれまでに、連れ戻してきて」
「了解。必ず、アイツを連れて帰って来るよ」
「楽しみに待ってるわね」
微笑む沙知に見送られながら二人は穴を潜り、その姿を消した。
人工的に生み出された女神を見上げる。彼女の効果の範囲はまだ狭い。恐らくこの『深域』だけだ。完成はしたが、まだ完全では無いらしい。
「……ディザイアレス、私の新しい願いを叶えなさい」
あともう一つ。大事な者達を護れる力が欲しい!
『承りま──』
「瑠璃ッ‼︎‼︎」
女神の声を遮るように、雲雀の叫びが轟いた。
『瑠、璃……?』
女神はピタリと動きを止め、雲雀の居るリフターの方を見た。
「目を覚ましなさいよ瑠璃‼︎ 貴女はそんな兵器じゃなくて、ただの私の可愛い妹でしょうが‼︎‼︎」
『お……姉…………ちゃん……?』
感情無き声が今、確かに震えていた。まだ『核』の自我が残っていた?
「そうよお姉ちゃんよ‼︎ 雨宮雲雀‼︎ 貴女の名前は雨宮瑠璃‼︎ ディザイアレスなんて馬鹿みたいな名前じゃない‼︎‼︎」
雲雀の周囲に、金色に輝く鱗粉のようなものが舞い始めた。
そしてそれは、やがて彼女の身を包み込む。
「だ、《黙りなさい》‼︎」
「【嫌よ】‼︎」
沙知の持つ、「相手に、絶対に逆らえない命令をする」異能力──『私こそが女王様』が無効化された。理由はわからない。ただ、彼女が纏う神々しい光が関係している事だけはわかった。
「な、なんなのよ……それ……」
沙知はまだ知らない。雲雀と瑠璃に流れる人間以外の血が一体何の血で、『核』と『鍵』に必要な要素が何の血だったのかを。
「それは……、私にもよくわからないわ。でも理解るの……。この力の扱い方がね‼︎」
リフターから飛び降りる雲雀。肉体が普通の人間のものなら、両脚の骨が余裕で粉々になる高さだ。
けれど彼女は、まるで体操選手のように軽々と、そして優雅に着地してみせた。それが沙知には、信じられなかった。
これが裁川千歌なら分かる。何せ彼女は、人間が『神』と呼ぶ絶対上位の存在の力と、驚異的な回復力を誇る狂人族の力を持っているのだから。
だが今こちらに向かって来ている少女は、そうじゃない。少なくとも、沙知の頭の中では。
「《止まりなさい》!」
一歩後ずさる。
「【嫌だ】」
「《止まって》!」
「【嫌だ】」
言い方が違う?
「《止まれ》‼︎」
「【嫌だ】」
感情が籠っていない?
「《止まって下さい》‼︎‼︎」
「【嫌だ】」
能力の効果を受けない理由を相手の所為にしたくない。
何か原因がある筈だ。でなければおかしい。
わからないわからないわからない。
知らないという無尽蔵の恐怖が、沙知の心を蝕み侵す。
「《止まれよ》おおおおおお‼︎‼︎」
「だから──【嫌だ】って、さっきから言ってるでしょうがッッ‼︎‼︎」
雲雀が吠える。少女相手に完全に怖気づいた沙知は尻餅をつき、涙を溜めた目で人工女神を見た。
「で、ディザイアレス‼︎ 早く私の願いを叶えなさい‼︎」
『承りました。──迷える子……ひ』
動きが止まる。彼女に、雨宮雲雀が抱き着いていた。
「いつの間に⁉︎ ……って、え?」
沙知は頭上に疑問符を浮かべる。
今ディザイアレスを後ろから抱き締めているのは、確かに雲雀だ。
だがこちらに向かって来ていた雲雀も、まだそこに居た。
つまりこの空間には今、二人の雲雀が同時に存在している事になる。
「な、なんなのよ……一体何が起こってるのよ‼︎?」
「貴女も知ってるでしょう? 私の持っている異能力。それを使っただけよ。『納得いくまで繰り返す過ち』って、貴女が名付けたんでしょう?」
「お、おかしいわ……‼︎ だってその能力は、あくまで「最大十分まで時間を戻せる」だけの能力だった筈よ! 分身出来る力なんて無い筈だわ‼︎」
「簡単な話じゃない。私は『成長』したのよ」
「『成長』? そんな事例、見た事も聞いた事も無いわ……‼︎」
異能力は一度発現させれば、能力がそれ以上強くなる事は無いとされている。……加齢と共に弱体化する事はあるそうだが。
「……ごめんね、瑠璃」
ディザイアレスを抱き締めていた方の雲雀が、彼女の頭を殴る。
『強い損傷を受けました。ディザイアレスを緊急停止させます。停止後、再度手動で起動を行なって下さい』
白い翼は消滅し、床に引っ張られて落下を始める。雲雀は雨宮瑠璃に戻った身体を、迫り来る地面から護るように抱きかかえた。
足元が揺れる。雲雀は背中を打ち付け即死。彼女の姿は一瞬で灰と化し、消滅した。
護られていた瑠璃は無傷。自分がどうなっていたのかも知らずに、寝息を立てていた。
「ディザイアレスが……私達の、救いの光が……‼︎」
停止したディザイアレスを目の当たりにした沙知は、泣いて、叫ぶ事すら馬鹿馬鹿しいと思えるくらいの絶望に、心を囚われた。
そして彼氏に別れを告げる女の様に。雨宮雲雀は告げるのだ。
「もう、終わりにしましょう」