十四
『《審判》、リタイアしました』
スマホ越しに報告を聞いた沙知は、安堵とも呆れとも取れる息を吐く。
「……二人に伝えておいて。よく頑張ったね……って」
『了解です、母上』
接続が切れる。スマホを持っている手を下ろし、口元を緩めた。
「……あの子達のお陰で、彼女を難なく起動出来るわ」
ディザイアレスは既に発動を終え、もう起動準備に入っていた。
**
昇降口へ入り、周囲を見渡す。誰かが潜んでいる気配も感じない。ここに敵は居ないようだ。
夜の学校には入るのは初めてだ。いつも見ている光景も、この時間に見ると不気味に感じてしまう。
中央階段の横にある、開かずの扉の前まで来た。おもむろに左手を翳し、レーザーを撃つ。これまでのものとは違って威力が高く、命中面積も広い。扉に大の大人一人が潜り抜けられるくらいに大きな穴が空いた。
「お邪魔します……」
呟いてから、潜る。
先に続いていた道は、壁に等間隔で設置された電灯によってそこそこ明るい状態を保っていた。
少し先に、両開き式の扉が見える。そのすぐ横にボタンらしきものがあるので、恐らくはエレベーターだろう。
あれで地下に。つまり本部に行く事が出来る様だ。
一歩前へと進む。その時エレベーターの扉が開き、中から一人の少女が出てきた。
髪は黒のショート。蕾霰学園の制服を身に纏っていて、スカートの丈は校則に反しないギリギリのラインまで短くしている。首から顔の下半分を覆い隠し、腰辺りまで左右に伸びたロングマフラーが、彼女のトレードマークと言えた。
千歌は彼女の事を、恐らく知っている。その容姿を見るのも、会うのも初めてだというのに。
少女は頭を下げてから、胸元に手を当てた。
「初めましてっす、裁川千歌さん。自分は『二十二の夜騎士』に所属している、《隠者》の東雲不隠と申しますっす。……とは言っても、もう自分の事はご存知だと思いますけど」
「知っていますよ。貴女がこの組織に潜り込んでいるスパイの一人であり、ヴァルハラのメンバーである事も」
「なら、話は早いっす。……千歌さん。良かったら自分達と、協力関係を結ばないっすか?」
裁川千歌は雨宮雲雀とその妹である瑠璃を救い、ディザイアレスの起動を阻止。組織を壊滅に追いやりたい。
その一方で、不隠……と言うよりはヴァルハラもディザイアレス起動の阻止と組織の壊滅を望んでいる。
それにヴァルハラは、千歌がどういう存在なのかを既に認知していて、今のところ始末するつもりは無いらしい。
なら、手を取り合わない理由は特に無い。
「わかりました、協力しましょう。……でも、本当に良いんですか? 私は一応、貴女達の敵となる存在なんですよ?」
「そうっすね。でもだからと言って、裁川千歌という人間を否定する理由にはならないっすよ」
「……ありがとう」
嬉しかった。自分の事を知っていて尚、自分を人間として扱ってくれた事が。
「さ、急ぐっすよ。ディザイアレスはもう、起動準備に入ってるんすから」
不隠は踵を返し、エレベーターに乗り込む。千歌もそれに続いた。
**
霧島清廉とその妹アヤカは、二番街にある『キザクラ荘』という二階建てアパートに、二人で住んでいる。
清廉は両親と仲が悪く、高校に上がると同時に一人暮らしを始めた。アヤカはそんな彼女を心配して、その一年後に越してきたという形になる。
清廉が帰宅してから向かったのは、リビングでは無く洗面所。
風呂には今、アヤカが入っていた。玄関に入った時にシャワーの音が聞こえてきたのでまさかとは思ったが、当たっていた。
「アヤちゃん、ただいまー」
扉に向けて言う。磨りガラス越しに見えるアヤカのシルエットが、確かにこちらを向いた。
「おかえり、お姉ちゃん。少し遅かったね」
「色々とあってねー。……ねえねえアヤちゃん。お姉ちゃんも一緒に入っていいかしら?」
「それは駄目」
「えぇ……そんな事言わずに──」
「駄目。だってお姉ちゃん、アヤカの身体を執拗に触ってくるんだもん」
「そりゃそうよ。目の前に生まれたままの姿のアヤちゃんが居るのに、触らないという選択肢は無いわ!」
「そんな堂々と言わなくても……とにかく、駄目ったら駄目」
「…………そう」
心底残念そうに表情に影をさす。まるで娘に一緒に風呂に入る事を拒否された父親のようだ。
洗濯機に目を向ける。中に入っていたアヤカの下着を手に取った。
「なら代わりに、アヤちゃんの下着で満足するわね」
「満足って何を⁉︎」
驚愕する声が聞こえてきた。扉が開き、全裸のアヤカが出てくる。
「今よ‼︎」
清廉が、アヤカの胸を両手で揉んだ。
「────ッ‼︎」
湯上がりで火照っていたアヤカの顔が、更に赤みを増す。
「やっぱりアヤちゃんの胸は丁度良い大きさと柔らかさねぇ……あれでも、前に比べて少し大きくなったんじゃないかしら?」
「この、変態がああああ‼︎」
一切手加減をしていないアヤカのビンタが、清廉を頬に衝撃を与えた。
「ありがとうございますッ‼︎」
あと少しで日付が変わるという時間帯に、少女の歓喜の声が上がった。
**
光源は戦闘中に破壊された事で、ロビーは真っ暗になっていた。
構成員は全員、白い大理石で出来た床の上に倒れ伏している。
二本足で佇むのは、ただ一人。朱を浴びて尚銀色の輝きを放つ、『魔剣アイラ』を持つ絶世の美少女──クーニャだけだ。
『まるで相手にならなかったわね』
「そう言ってやるな、母さん。私が彼等よりも強過ぎたんだ」
剣から聞こえてきた声に、クーニャは返す。それから剣を振り、付着していた血を飛ばした。
『それにしたって、どうしてこの件に首を突っ込んでるのよ』
「答えは至って単純だよ。千歌は、私の友達だからだ。友達を手伝うのに、理由なんて要るか?」
『……まさか、貴女の口から『友達』なんて言葉が出て来るなんてね。こんな姿になってまで、生きていた甲斐があったわ』
拍手が聞こえた。クーニャを顔を引き締め、エレベーターホールから姿を現した人影を見た。
髪は赤色で長身。整った顔の右半分だけをマスケラで隠し、その身に纏うのはタキシード。白い手袋を左手に。黒の手袋を右手に嵌めている。
その不気味な格好をした男は、執事の様に深々と頭を下げた。
「こんばんは、素敵なお嬢さん。俺様は『二十二の夜騎士』に所属する、《魔術師》の八岐零式だ」
「私はクーニャ。こう見えて、吸血鬼の唯一の生き残りだ」
「……ほぉ、それは素晴らしいな」
目を見開き、零式は歓喜する。
「実を言うと、一度だけでいいから吸血鬼と戦ってみたかったんだ。大昔に絶滅したと幼い頃に聞かされてとっくの昔に諦めていたが、まさかこんな形てま叶うとはね。……人生、何が起こるかわからないものだ」
右手の指を鳴らす。彼の近くに炎の球が出来上がり、クーニャに向けて飛ばした。
クーニャは表情一つ変えずに、向かってくる火球を斬り伏せる。
「侵入者は最悪殺してしまっても構わない。母上はそう言っていた……。だから俺様は全力を出す。君も本気を出さないと、きっと俺様に殺されるぞ?」
「余程自分の実力に自信があるんだな、お前」
動かない構成員の身体を飛び越えながら、零式との距離を詰める。
「あるさ。何せ俺様は『二十二の夜騎士』で五本の指に入る実力者なのだからな‼︎」
彼の全身を、赤い炎が包み込んだ。そして手元に、炎で出来た巨大な剣が現れる。
「『炎の剣』。俺様はこれをそう呼んでいる。因みに君のその剣は、なんと呼んでいるんだ?」
「これはただの剣じゃない。私の敬愛する、母さんだ」
「……吸血鬼の長は大人になると、最も愛する者の魂を剣の中に封じ込めるという摩訶不思議な儀式があると聞いた事があるが……まさか本当だったとはな」
零式を纏う炎が八つもの竜の首を象り、伸びた。
「さあ始めようか、吸血鬼。格の違いというものを、今ここで見せてやろう」
一つの首が、クーニャに食らいつく。それを身を回転させながらかわし、その遠心力を利用して斬り裂いた。
「遅いぞ火遊び仮面。その程度じゃ、火傷を負わせる事すら不可能だ」
「変な渾名を付けるな!」
今度は、二つの首が同時に動く。クーニャはそれも、避けると同時に斬撃を浴びせ、無力させた。
「今度は私の出番だ」
剣を天井に向けて突き上げる。
「第一項目──『環血害』」
『起動‼︎』
アイラが叫ぶと、周囲に転がっている構成員達の身体の一部に何か鋭利な物で切り裂かれたかの様な傷ができ、そこから流れ出る血が全て、魔剣の剣先へと集まっていった。
「他者の血液を使った技か……面白い」
口元を歪ませる零式。今の内に、倒れた三つの首を再生させ、『炎の剣』を強化させる。
集まった血は、やがて一つの巨大な球体となった。
掲げていた剣を零式に向ける。剣先にある血球もまた、彼に向けられた。
「宣言しよう。この攻撃で、お前の身体に大きな傷が出来る」
「戯言だな。俺様の身体はそこまでヤワじゃないぞ?」
零式は、余裕な態度を崩さない。だがその一方で火力は上がり続け、周囲の壁や床が溶け始めた。温度は、あと少しでもすれば1000℃に到達しそうだ。
あの炎の障壁に突っ込むのは、幾ら人外である吸血鬼でも自殺行為。近付いただけで折角集めた血球は蒸発し、熱さをあまり好まない吸血鬼の身体も、溶けてしまう。実際竜の首を避けただけで、白衣の裾は焼け焦げ、額に大量の汗が噴き出していた。
確かにこの男は強い。もしも千歌の前に彼が立ちはだかっていたなら、彼女は間違い無く負けていた。そのもしもが起きなかったのは、彼女を護る絶対的な『運命』のお陰だろう。
クーニャは懐から一本のナイフを出すと、自分の腕を傷付けた。そこから出てきた血液が、魔剣の鍔に嵌め込まれたルビーの中へと吸い込まれる。
「第四項目──『血寒法』」
『起動‼︎』
赤い宝石が光り輝く。それに呼応して、クーニャの瞳を輝きを放った。
クーニャの体温が一気に低下し、熱に対する耐性を強化させた。
「行くぞ……‼︎」
床を蹴る。剣先に浮いていた血球が弾け、銀色のアイラを染め、『赤い剣』へと早変わりさせた。
八つの首が一斉に襲い掛かる。剣を薙ぎ払い、それらを一瞬で消滅させた。
「馬鹿なッ……‼︎ 俺様の今の炎は980℃なんだぞ……⁉︎‼︎」
「生憎と、吸血鬼は炎が大嫌いなんだよ。だからそれに対応出来るように、銀剣は絶対に溶けない素材で出来ているんだよ。……少し賢くなれて良かったな?」
「ぐっ……焼き尽くせ! 『炎の剣』ッ‼︎」
巨大な炎剣を振るう。クーニャはそれを、赤銀剣で受け止めた。
「どうした。この程度か?」
「舐めるなよ、吸血鬼‼︎」
剣を両手に持ち替え、威力を最大限まで引き上げる。
柱も床も壁も溶けていく。だがそれでも、クーニャの笑みは絶えない。彼女も剣を両手で持ち、柄を握る手に力を込めた。
「なッ──」
割れる炎剣。勝る魔剣。唯一の刃を失った零式の心が、灯る炎の様に揺らぐ。
「終わりだ」
短く、淡々と告げるクーニャ。魔剣は零式の身体を斜めに斬り裂いた。
「がッ……そ……んな……‼︎」
痛みを感じない。彼はまだ、自分が斬られたという事実を受け入れられないでいた。
「言っただろう? この攻撃で、お前の身体に大きな傷が出来る……とな」
纏っていた炎は掻き消え、零式は倒れた。