表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Re:Desireres_Response to Desire_  作者: 立花六花
一章 欲望への返答(ディザイアレス)
1/26

 彼女は、ある化物に恋をした。


 そして彼女は、その化物を助けたいと思った。


 だから──。



**



 日常とは、積み重ねられたジェンガの様に、ほんの些細な事で容易く崩れ去ってしまうものだ。


 それはいつもと何ら変わりない。名前も知らない誰かが生まれ、知らない誰かが死んだ、ごく平凡で退屈な平日。


 絶望的なまでに成績不振で、ほぼ毎日担任から特別補習を受けている裁川(さいかわ)千歌(ちか)は、その日も十八時まで担任と一対一の補習を終え、学校から徒歩十分の場所にある自宅まで歩いていた。


 季節は秋。日が沈むのも大分早くなった。あと数週間もすれば、彼女の下校時間には太陽が地平線の彼方へと消え、完全な夜が訪れている事だろう。


 明日も補習だ。そう考えるだけで、憂鬱な気分が心を満たす。星の見えない夜空が、マイナスな彼女の気分に追い打ちをかけていた。


 道端に転がっていた石ころを蹴る。当然それに意味なんてものは無いが、何かに鬱憤を晴らさずにはいられなかった。


 こうして補習を連日受ける羽目になったのは、こうなるとわかっておきながら、勉強をまるでしてこなかった自分の怠惰が原因だ。これに関しては、他の誰の所為にする事も出来ない。


 しかし彼女がここまで怠惰になってしまったのは、彼女に振りまいた『運命』が原因と言えた。


 左目を覆い隠す黒い眼帯に、包帯を隙間無く巻いた左手で触れる。そして、ため息を吐いた。


 自販機の前で足を止めると、鞄から長財布を取り出す。温かい物を飲めば、身体は暖まるし、沈みきった心が晴れると思ったからだ。


 この時期から徐々に自販機で見られ始めるコーンスープを購入し、それを両手で包み込むように持った。缶なので最初は熱いと感じたが、次第に慣れていった。


 湯気を出す黄色い液体を口の中に流し込む。甘い香りが、鼻孔をくすぐった。


 身体中が熱くなり、暗い気持ちも少し晴れた。


 この温もりが冷めてしまう前に、家に帰ろう。スープを一気に飲み干して、ゴミ箱に投げ捨てる。この場に姉が居たら注意されるだろうが、今は居ないので気にしない。


 石ころを蹴りながら、また歩を進める。薄暗い視界が、ほんの少しだけ明るくなった気がした。


「おや……?」


 不意に、足を止める。


 道路の隅。冷たい地面に尻をつき、電柱に背中を預けている一人の少女が視界に入った。目は閉じている。


 近くまで来て、身を屈ませる。少女はまだ、千歌の存在に気付いていない様子だった。


 紫がかった黒のセミロング。整った顔立ちをしていて、膝上まである薄汚れた白い服を纏っていた。


 様子を見る限り、酒を飲んで酔っ払っているという訳では無いし、体調不良で倒れている訳でも無さそうだ。


「あの、もしもし?」


「…………」


 声を掛けてみるが、反応は無い。顔の前で手を振ってみるが、結果は先程と変わらない。試しに脈を測ってみたが、少し早いものの正常に動いていた。


 しかしまだ秋とは言え、夜間は結構冷える。こんなところで眠っていたら間違いなく風邪を引く。それにここ──転雨は昼こそ平和だが、夜になるとその限りでは無い。同性の千歌から見ても可憐な美少女なのだ。このまま放っておけば、悪意ある者によって忽ち何処かへ連れ去られてしまう事だろう。


 裁川千歌は善人では無い。少なくとも、本人はそう思っている。

 そしてここで見て見ぬ振りをする程の悪人でも無い。少なくとも、本人はそう思っている。


 包帯を巻いた手で頭を抱え、息を吐いた。疲労の溜まった身体に鞭打って、名も知らない少女を背中に抱えた。


 思わず「重い」と口にしてしまいそうになり、慌てて口を噤む。意識が無いとは言え、こういう事を女性に対して言うのは気が引けた。千歌だって、そんな事を言われたら嫌な気分になる。



**



 千歌が住んでいるのは、新築の一軒家だ。姉が株で稼いでいて、この家はその金で建てたものだ。


 転雨は東京程では無いものの、土地の値段がそれなりに高い。そこに建てられたものの見事な一軒家だ。値段は聞いていないが、かなり高いという事は千歌も分かっていた。


 少女をおぶっているので玄関を開ける事が出来ない。なので、軽く扉を蹴った。


 すると向こうから足音が聞こえ、少しずつ大きくなっていった。


 解錠の音が二回してから、扉が開く。姿を見せたのは、一風変わった格好をした女性だった。


 ウェーブのかかった長い髪を明るい金色に染めていて、その身に纏うのは黄色いラインの入った青色のチアガール衣装。布面積が非常に少なく、へそ出しでスカートの丈がやたらと短い。下にスパッツを履いているので、本人はあまり気にしていない様子。


 それにこの服装だと、小さな動作をする度に揺れる豊満な胸が強調されて、同性であっても視線がそこへと無意識に向いてしまう。


 彼女は裁川(さいかわ)御船(みふね)。千歌とは少し歳の離れた、実の姉だ。因みに背は、女子高生の平均である千歌よりも少し低い。


「おかえりなさい千歌ちゃん……って、ええええ⁉︎」


 満面の笑みで妹を出迎えた御船は、千歌の背負っている見知らぬ少女を見た直後に驚愕し、口元を両手で覆い隠しながら叫んだ。


「千歌ちゃん……遂に誘拐犯に……⁉︎」


「違いますよ! ……事情は後で話すので、とりあえず運ぶのを手伝って下さい」


「わ、わかったわ……」


 小さく頷き、千歌から少女を受け取る。


 駆け足で廊下を進み、リビングのソファーに寝かせた。


「それで、この子は一体何者なの?」


「それは私にもわかりません……。ただ電柱に凭れかかって眠っていて危険だったので、こうして連れて来た……という訳です」


「なるほど。……千歌ちゃんの判断は正しいわ。こんな可愛い子、襲われない筈がありませんもの。断言できます! それでどうするの? この子」


「目を覚ましたら、事情を話して家まで送りますよ。……私はとりあえず着替えて来ますね。それまで、彼女を見ててくれませんか?」


「わかったわ」


 リビングを後にする。階段を上り、二番目に前を通る扉のドアノブを回した。


 部屋は整理整頓がきちんとされていて、住み易い環境になっていた。因みに隣の御船の部屋は、これとは真逆の環境だったりする。


 鞄をベッドの上に置く。速やかに着替えを済ませ、立ち鏡の前に佇んだ。


 そこに写る彼女は、やや派手な柄のシャツに白の短パンと、実に年頃の女性らしい格好していた。眼帯と包帯が、それを台無しにしてしまっている感は否めないが。


「────ッ‼︎」


 階下から、聞き慣れない女性の悲鳴が聞こえてきた。


 慌てて部屋を飛び出し、リビングへと向かう。


 さっきまで眠っていた少女がリビングの隅で、身体を小さくして震えていた。目が覚めたら知らない場所に居たのでパニックに陥っている、といったところだろう。予想していた最悪の事態に比べれば大した事では無かったので、とりあえず胸を撫で下ろした。


「安心して。私達は誘拐犯じゃない。確かに貴女はとても可愛いけど、少なくとも私は千歌ちゃんにしか興味無いから」


 御船が、少女に向けてそんな事を言う。千歌も御船の事が好きなので、ああ言ってくれるのは嬉しいのだが、その反面、恥ずかしくて顔がつい赤くなってしまう。


 おもむろに顔を上げた少女が、信じられないと言わんばかりの顔をしながら、口を動かした。


「えっ……貴女達、組織の人間じゃないんですか……?」


「組織? ……ううん、全然違うけど」


「……本当……ですか?」


「本当よ。私、嘘は滅多に吐かないから」


「そう、なんですか……あの、ごめんなさい。突然叫んだりして……」


 落ち着きを取り戻した少女が、頭を下げる。


「謝る必要は無いのよ? 目が覚めて知らない場所に居たら、誰だって驚いちゃうもの」


 千歌は少女の前まで来て、しゃがみ込んだ。


「初めまして。私は裁川千歌と言います。向こうは姉の裁川御船です。貴女は?」


「雲雀……雨宮雲雀です」


「雨宮さん。貴女はどうして、あんな所で眠っていたんですか?」


「疲れていたんです……もう一歩も歩けないくらいにね……」


「なら、電話して親に連絡して迎えに来てもらえば良かったのでは?」


「居ないですよ、親なんて」


「えっ……」


 予想していなかった答えに、戸惑いの声を漏らす千歌。


「いや、正確には何処に居るかわからない……と言うべきですね」


「あの。それは一体、どういう意味なんですか?」


「そのままの意味です。私は五年程前に母親に売られて、組織の実験体になっていたんです。だから今、親が何処に居るかなんて知らないんですよ」


「そうだったんですか……。あの、因みにさっきから出ている組織ってなんですか?」


 千歌の質問に対し、雲雀は表情を曇らせながら、答えた。


「貴女は、『異能力』って知っていますか?」


「異能力……」


 息を呑む千歌。組織という単語からなんとなく察してはいたが、実際に口にされると驚いてしまう。


 異能力。漫画やアニメなどでも頻繁に見かける、人智を超えた特殊能力の事だ。人々はこれを存在しないフィクションの産物だと思うだろうが、実在している。この転雨という都市からすれば、珍しくも無いが。


「私が捕まっていた組織『マテリアル』は、その異能力に関する研究を行なっている組織なんです。私はそこから逃げて来ました。それで途中で力尽きて、あそこで眠ってしまったんです」


「姉さん、知ってますか?」


 振り返り、背後に居る御船に視線を向ける。御船は首を縦に振った。


「ええ、知ってるわ。転雨を拠点に活動する、異能研究組織マテリアル。数え切れない程のイレギュラーが住むこの都市で、多分最も巨大な組織よ」


「……あ、貴女。どうして組織の事を知っているんですか? やっぱり仲間なんじゃ……」


「違いますよ。姉さんは単に、転雨の裏事情に詳しいだけです」


「流石に『黒姫』ちゃんには負けちゃうけどね」


「は、はあ……」


「……とりあえず、何か温かい物でも飲みますか? 身体はまだ冷えているでしょうし」


 雲雀をとりあえずソファーに座らせ、ホットココアを出した。インスタントのものだが、味は中々だ。


 息を吹きかけ、少しだけ冷ましてから一口飲んだ。そして一言。


「美味しい……」


「それは良かったです……。これまでの話を纏めますが、雨宮さんはマテリアルという組織に捕まっていましたが、最近なんとか逃げる事に成功。けれどその途中で力尽きてしまった……という事ですね?」


「はい、大体そんな感じです。……追っ手に見つかる前に貴女に見つけてもらったのは幸運でした。少し遅れたけど、お礼を言わせてください。ありがとうございます……」


 ココアの入ったカップをテーブルに置いてから、深々と頭を下げた。


「……そんな恩人に言うのもなんですが、実な無理を承知で一つ頼みたい事があるんです。聞いてもらえますか?」


「いいですよ」


「その、私の妹を……まだ組織に捕らわれている妹を、助けてくれませんか?」


 組織から妹を救う。それはつまり、その組織と対立するという事を意味していた。


「あの……警察、じゃ駄目なんですよね? 私達に頼むって事は」


 その質問に、雲雀は小さく頷く。


「警察は多分、組織の息がかかってると思います」


 千歌が御船の方へと向く。

 二人に両親は居ない。なのでこの家での決定権は、姉の御船にある。


「私は別に構わないわよ? でも、千歌ちゃんは良いの? 残りの時間はなるべく平和に過ごしたいって言ってたのに……」


「確かにそう言いましたけど……それでも、困っている人を自分の都合で見捨てるなんて事、出来ませんよ……」


 自分は善人でも無ければ、悪人でも無い。彼女自身はそう思っているが、実際は違う。


 彼女はどうしようもないくらいに、お人良しなのだ。


「……わかりました。貴女のその頼み、引き受けましょう」


「本当ですか⁉︎」


 まさか引き受けてくれるとは思えなかった雲雀は、素っ頓狂な声を上げる。


「はい、本当です」


「あ、ありがとうございます……‼︎ でも、本当に大丈夫……なんですか? 相手はかなり巨大な組織なんですよ?」


「心配する必要はありませんよ。姉さんはともかく、私は普通の人間ではありませんから」


「普通の人間じゃない? 貴女は一体……」


「その事については、ごめんなさい。何も教えられないんです。……でもこれだけは言えます。私達は今から、貴女の味方です」


「……裁川さん」


「私の事は、千歌で良いですよ。私も貴女の事を雲雀と呼びますから……あと、敬語も要らないです」


「わかり──ううん、わかったわ」


 敬語を使いそうになったところで首を横に振り、本来の口調に戻した。


「じゃあ、千歌さん……改めて言わせて。ありがとう」


 雲雀から告げられた感謝の言葉に、千歌は思わず頬を緩めた。


「どういたしまして」

一章完結までは、投稿が早いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ