夢幻と桜の都・朧⑨
楓にぶん殴られた勢いそのままに、隣の診療室との間を仕切る障子に頭から突っ込む光流。
「きゃぁっ?!」
「ひ、光流くん?!」
「は、はわー!驚いたんだよー!」
突如障子をぶち破って現れた光流の顔面に、診療室にいた華恵と童女、それに付き添っていた美稲から驚きの悲鳴が上がる。
だが、そんな状況の中、コーデリアの反応だけは他の三人とは違っていた。
「近藤光流・・・まさか貴方もあの少年と同じ様に?」
そう呟く彼女の視線のその先ーーー其処には診療室を覗きに来たらしく、簀巻きにされた達郎が転がっていた。
彼はまな板の上の鯉がびちびちと跳ねる様に体を動かしながら、光流の方へと向きを整えると、輝かんばかりの非常に良い笑顔で
「よく来たな、同志よ!」
と言い放った。
同時に女性陣から向けられる吹雪の如き非常に冷たい視線。
光流は「違うわ!」と全力で否定をすると、障子から頭を抜こうとする。
が、その瞬間
「ーーーっ?!」
障子の向こう側にある光流の背中に、何か適度に柔らかく重みがあるものが乗る。
重さは・・・そう、丁度人一人分の様な。
そこまで考え、光流は、男子としては最高だが今の状況としては非常に最悪な答えにたどり着く。
(この重み、それに、この適度な弾力はまさか・・・)
自身の頭に浮かぶその答えが果たして正しいものであるのかを試す様に小さく体を揺らす光流。
すると
「ちょっと今はバイブ機能とか望んでないので。大人しくしてて貰って良いですか?近藤椅子くん」
という葉麗の言葉が障子の向こう側から飛んでくる。
(やっぱり・・・!)
先程、事故とは言え文車の胸に触ってしまうという前科のある光流はこの最高で最悪な状況にどんどん顔色を青く染めていく。
「ちょ、お前降りろって!」
光流は何とか葉麗に降りて貰おうと体を揺らすが
「椅子の分際で五月蝿いですよ」
そう告げると同時、葉麗に背中を強めにつねられ、思わず「いってぇ!」と叫ぶ光流。
一方葉麗は、そんな光流の様子を面白そうに見つめながら、椅子・・・もとい光流に腰掛けたまま優雅に足を組むと、先程の話の続きを語り始める。
「さて、何処まで話しましたっけ・・・。ああ、そうでした、妖怪と人間が触れ合う事が出来なくなってしまう、という所でしたね」
葉麗は組んだ足の膝の上に肘をつき、丁度目の前にいる楓や、それに障子越しに話を聞いている光流達に、まるで童話を読み聞かせている様にゆっくりと、尚且つ、一言ずつ言葉の持つ意味をしっかり伝えるかの様に彼らの顔を見回しながら、話し出した。
「妖怪には、人間を驚かせるだけではなく、座敷童子の様に人間に福を運ぶ者や、すねこすりの様にただ触れ合う事だけが目的の者等、様々な形で『人間と関わる』事自体が存在意義である者が沢山居ます」
先程光流に渡した物と同じ古書をもう一冊待合室の本棚から取り出すと、各妖怪達のページを開いて見せながら説明する葉麗。
「しかし、人間に対し悪意を持つ者達の暴虐により、人間が妖怪を必要以上に恐れ、妖怪や妖怪の住まう『夜の闇』そのものを減らそうと・・・或いは、夜の闇や暗闇そのものが無ければ良いのだと考えてしまった場合・・・」
そこまで言うと、光流からは見えないが、葉麗はふと悲しげな眼差しを楓達に向ける。
しかし、直ぐに平時通りの無表情に戻ると、続きの言葉を紡ぎ始めた。
「闇がなければ、基本的には殆どの妖怪は人間達に関わることはおろか、人間界に渡ることすら出来ません。つまり、その時点で人間との関わりをエネルギーにしている妖怪にとっては、近い未来に於いてゆるやかな死のみが待っているということになります」
そう語る葉麗の表情は、やはり何時もと変わらないが、声は何処か悲しげだった。
しかし、それに対して誰かが何かを言う前に、葉麗が口を開き、説明を続けていく。
「そうならない為にも・・・妖怪と人間双方の未来を護り、共存を続けていく為組織されたのが私達、逢魔宵なんですよ」
語りつつ、葉麗はセーラー服の胸ポケットから、サスペンスドラマでよく見る様な警察手帳の様な物を取り出すと、それを広げ楓達に見せていく。
楓は物珍しいのか顔をぐっと近付け、食い入る様に手帳を見つめながら、そこに書かれた文字を読み上げた。
「えーと、なになにー?朧妖怪警邏隊『逢魔宵』隊長、滝夜叉姫・・・わー!すごーい、ここに貼ってある写真葉麗ちゃんだよね?ってことは、葉麗ちゃん隊長なの?あれ??でも、隊長の名前は滝夜叉姫って・・・あれー?」
手帳の文字や写真と葉麗の顔を見比べながら、楓がうんうん唸って考え込み始める。
そんな楓の思考を遮る様に声を上げたのは、障子の向こう側にいた華恵だった。
日本文化や歴史、それにサブカルチャー等日本については全般的に詳しい華恵は、『滝夜叉姫』という名前に聞き覚えがあったのだろう。
華恵は、勢いよく光流の頭がぶち抜いているのとは反対側の障子をすぱーんと開けると、転がる様に中に入りきらきらと興味に輝いた瞳で葉麗を見上げながら、やはり、かなり興奮気味に上擦った声で話し掛ける。
「滝夜叉姫?!プリンセスタキヤシャ?!貴女がですか?!excellent!なんてmiracle!」
そんな華恵の勢いに若干気圧されつつ、楓は華恵に声をかけた。
「えっと、滝夜叉姫?ってそんなに凄いの??」
頭に大きなハテナを浮かべる楓に、華恵は勢いそのままに、滝夜叉姫について頬を上気させながら説明し始める。
ちなみに誰も気付いていないが、先程勢いよく華恵が障子を開け放った際、開け放たれた障子が側面から首に真っ直ぐヒットした為痛みにぐったりと項垂れている光流。
下手をしたら大怪我の大惨事になりかねないところを、痛みに悶絶する位で済んでいるのはひとえに障子の枠が大きかったからに他ならないだろう。
しかし、蒼白になりながら頭を垂れて痛みを耐えるその様は、まるでこれからギロチンにかけられる囚人の様だ。
だが、誰もそんな彼の様子に等気付くことなくーーー否、コーデリア等何名かは気付いているが、敢えてスルーするという状況で、葉麗の話は続いていく。