夢幻と桜の都・朧③
葉麗が大門を押し開けたその瞬間
「きゃっ・・・?!」
「な、んだ、これっ・・・!」
噎せ返る様な桜の薫りと、薄桃色をした無数の桜の花弁に包み込まれ、思わず目を瞑る光達。
全身の全ての感覚が一瞬桜に奪われる。
「大丈夫。これが彼らなりの歓迎の方法なんですよ。害はありませんから」
何処か呑気にそう告げる葉麗の言葉を遠くに聞きながら、目を閉じ、身動き一つせず立ち尽くすこと数分。
漸く収まった、桜吹雪の感覚と強い桜の薫りに、恐る恐る光流達が目を開けてみると、そこにはーーー
「え、えっ?!えぇぇぇ?!」
「マジかよ・・・」
以前、テレビの時代劇で見た夜の『吉原』の光景そのままの景色が一同の目の前に広がっていた。
(如何なってんだよ・・・さっきまでは確かに昼間で・・・しかも、美術館に居た筈なのに・・・)
そう思って光流が振り向いてみると、確かに背後には開け放たれたままの木造の門があり、門の向こう側には一瞬前まで光流達が確かに居た陽光の射す美術館のフロアが見える。
門を境界にして、一つの場所に昼と夜の世界が同時に混在する、その理解を超えた状況に、光流はまるで首ふり人形の様に何度も門の向こうにある展示室と今いる夜の町を見比べた。
「如何なってんだ・・・」
何が起きても驚かないと思っていたが・・・流石にこれは予想外だったらしく、頭を抱え始める光流。
「Oh!これぞまさしくエド!華の都オーエドではないですかー!excellent!fantastic!」
「ふわー!!タイムスリップしたんだよー!凄いんだよー!あ、本物の芸者さんがいるー!」
「What?!ジャパニーズゲイシャ?!何処ですか?!」
この全てが色々と有り得ない状況で無邪気にはしゃいでいるのが二人ーーー華恵と美稲である。
意外と、彼女達はハートが強いのかもしれない。
そんな生き生きとし始めた二人を横目に、光流と楓は一旦門の外にどちらかが出て、つっかえ棒の様なもので門が閉じてしまわない様にした方が良いのではないかと相談をし始める。
元の世界に戻れなくなるのを防ぐ為だ。
兄の意見も聞こうと、楓が
「お兄ちゃんは如何思う?」
と達郎を振り返るがーーーいない。
さっきまで隣に居た筈の達郎がいないのだ。
すわ誘拐かと慌てて光流と楓が辺りを見回すと
「お姉さん、超綺麗だね~!」
いた。
ばっちり遊郭の御姉様方に骨抜きにされている真っ最中の達郎が、そこにいた。
(ザトも徳永達も本当にぶれないよな・・・)
ある意味で彼らのハートの強さに感心する光流。
そんな彼らを見て、少し心に落ち着きを取り戻せたせいか・・・光流は、改めて自分が立つその場所の周囲を見回してみた。
妓楼の紅い格子から誘う様に伸びる白い無数の遊女の手、往来を行き来する白玉売りや風鈴売り、街角に並ぶ甘酒や蕎麦の屋台。
見れば見る程、何もかもがドラマで見た吉原の景色にそっくりだ。
けれど、よく見てみると、幾つか、テレビや学校の社会の授業中に資料集で見た吉原とは異なる部分がある事に光流は気がつく。
例えば、町の奥に見える無数の真っ赤な鳥居。
あんな物は吉原の写真にはなかった筈だ。
あるとすれば、そう、京都の伏見稲荷大社か。
それに、鳥居の奥に聳え立つ大きな城郭。
光流の記憶が確かならば、確か、城があるのは江戸で吉原の真ん中に城等無かった筈である。
そしてーーー何より、本物の吉原と大きく違うのが、この町の至るところ植えられた、千本以上はあろうかという沢山の桜の木だ。
しかも、全て満開ときている。
(まさに、一目千本桜だな・・・)
そう胸中で感嘆の声を漏らす光流。
すると、やはりいつの間に現れたのかーーー再度、光流の隣に姿を現した葉麗が、彼と同じく満開の桜を見上げながら、口を開いた。
「綺麗でしょう?この桜、永遠に枯れないんですよ?」
「へぇ・・・って、えぇ?!枯れない?!永遠に?!」
枯れない木等有り得ないーーー。
そんな驚きに目を見張りつつ、何処か頭の奥で
(ああ、やっぱり、本当に此処は今までいた現実とは全く違う世界なんだなぁ・・・)
と、おかしな実感を噛み締める光流。
すると、そんな光流の様子に、隣の葉麗がふと呟いた。
「ええ。驚いたでしょう?この町の桜はね、どれも永久に枯れないんです。永遠に咲いたまま。春の宵の盛りでこの町は刻が止まっているんです。だから、この朧の町は、別名『千本桜の宵の都』とも呼ばれているんですよ」
そう告げる葉麗の様子は、心なしか何処か誇らしげに見える。
きっと、本当にこの桜を・・・いや、桜だけじゃない、この町を大切に思っているのだろう。
愛おしそうな、それでいて優しく穏やかな眼差しで、桜に包まれた町を見つめる葉麗に倣い、光流も朧の町を見つめてみる。
(確かに・・・桜も綺麗だ。けど、この町の人は大人も子供も凄く生き生きしてる。町に、活気が溢れてるな。現実の、灰色のコンクリートジャングルに生きる死んだ様な目をした大人とは大違いだ)
夜だというのに尚活気が溢れ、賑わう朧の町を見ながら、胸中でそう呟く光流。
此処は花街だ。そして、今の時間帯は夜。
確かに花街は夜が本番だということもあるだろう。
だが、それ以上に、大人や子供、老若男女、道を行く全ての朧に生きる人々の表情が、光流には輝いてみえたのだ。
(きっと、良い町なんだろうな・・・)
そんな事を考えながらぼんやり町を眺めていると、光流はふとある事に気付く。
それはーーー
(え?今の子供・・・何で、目が三つあるんだ?・・・あっちの花魁は・・・嘘だろ、顔がない・・・)
そう。誠にもって有り得ない、いや、考え難い事ではあるが・・・如何見ても明らかに人間ではない、所謂童話や怪談話の類いで見聞きした『妖怪』という存在が、人間達に混じり、堂々と往来を闊歩しているのだ。
(かなり季節外れだけど、仮装大会とか・・・じゃ、なさそうだよな。如何見ても)
己の考えうる常識を軽々飛び越えた、この予想外でいて非常識過ぎる世界に暫しポカンとだらしなく口を大きく開けたまま、ただ過ぎ行く人々や妖怪達を見つめる光流。
そんな、完全に思考停止してしまった彼に、更なる非現実というものを見せつけるかの様に、様々な妖怪達が光流の前を通り過ぎていく。
(あ、今通ったのは、もしかして雪女か・・・?本当に空気まで冷たくなるんだな。ん?あの頭に手拭いを被ってる猫は・・・猫又か?まぁ、二足歩行だし普通の猫じゃないよな)
停止した思考の中で、しかし、幼い頃両親に読んで貰った怪談の絵本の記憶や、友人達と真夏に行った懐かしい肝試しの思い出を頼りに、少しずつ・・・まるで錆びた歯車に油をさす様に思考を巡らせていく光流。
確かに光流だって妖怪は怖い。
だが、今彼の内に宿る感情はそれだけではない。
幼い頃に居なくなってしまった友達にまた出逢えた様な、そんな
懐かしさが、光流の胸に去来した。
と、そんな郷愁に近い感情に浸っていた光流を現実に呼び戻す様に、その肩が叩かれる。
つられる様に、ふと光流がそちらを振り返ると、そこには達郎と華恵の首根っこを掴んだ日之枝が立っていた。