閼伽(あか)の焔と焔劫の剣⑩
楓と華恵の傷が癒えていくにつれ、徐々にその勢いを収め、終いには、ふっと・・・蝋燭の炎が風にかき消される様に、音もなく消え去る光流の炎。
と、同時に
「ぅう~ん・・・?」
少し寝惚けた声を漏らしながら楓が目を覚ましたではないか。
「・・・っ!!楓!!!」
それに気付いた光流は、己の出しうる全速力で彼女に駆け寄ると、まるで朝目覚めたばかりであるかの様にぐっと伸びをしていた彼女を強く抱き締めた。
「はっ?!え、ちょ、一体何?!」
覚醒したばかりで未だ自分の身に何が起きたのかーーー昏倒するまでの出来事をよく思い出せていない楓は、行きなり抱き着いてきた光流に激しく動揺し、目を白黒させている。
すると
「oh・・・お二人がまさか、そんな関係だったなんて・・・これぞまさしく、晴天のサンダーボルトですね!」
楓の隣で、同じ様に目を覚ました華恵がよくわからない事をのたまい始めた。
と
「そんな関係とかじゃないから!もう・・・いい加減離れろ馬鹿ーっ!!」
楓の怒声と同時、ばっちこーん!と良い音が辺りに響き渡る・・・主に光流の頬から。
ひっぱたかれたのだ、楓に、全力で。
彼女の顔が熟れたトマトの様に赤く染まっているあたり、恐らく照れ隠しのつもりだったであろうという事は容易に想像がつくが、それにしても、かなり痛そうな音である。
「いってぇ・・・!折角助けてやったのに何なんだよ?!命の恩人を張り倒すか、普通!」
光流は真っ赤な楓の手形がくっきりと残っている左頬を抑ると、楓に負けじと声を張り上げた。
すると、光流の『命の恩人』という言葉を聞いた楓と華恵の表情が瞬時に一変する。
如何やら、二人とも、自分達の身に一体何が起こったのかを思い出したらしい。
童女から負った傷を確かめる様にぺたぺたと自分の体を触り始める楓。
一方華恵は、童女に操られていたとは言え、己がした事を全て思い出してしまったらしく、両手で顔を覆い、か細い声で嗚咽を漏らし始た。
そんな華恵の姿を見つめ、光流はふと思う。
(・・・自分の手で友達を傷付けたんだ。ああなるのも、当然だよな。けど・・・今直ぐには無理でも、何時か、また前みたいに三人で歩けたら・・・)
そうして、彼は、泣きながら震える華恵のその細い肩に触れようと手を伸ばす、が
ばちんっ!と大きな音が響くと同時、廊下の反対側の突き当たりにあった蛍光灯が破裂し、その辺り一体を暗闇が包み込む。
壁に窓は存在しているが、明かりは一切差していない様だった。
「な、何・・・?」
不安そうな瞳で、廊下の突き当たりと光流を交互に見る楓。
華恵も今は泣くのを止め、恐怖に揺れる眼差しで廊下の奥を凝視している。
と、
また、ばちんっ!という激しい音共に、今度は奥から二つ目の蛍光灯が破裂し、深い闇がその場を包む。
廊下の奥から、徐々に支配領域を広げていく漆黒の闇。
その様子に、言葉では言い表せない、何かとてつもなく嫌な予感を感じる光流。
するとーーまた、ばちんっ!という音がして、蛍光灯が弾け飛ぶ。
じわりじわりと、まるで獲物を追い詰めるかの様に広がってくる闇。
間違いない。
この空間には童女以外の『ナニカ』がいる。
確実に。
深い闇の奥の、更に奥底に。
品定めをする様に、怯える光流達を見つめ、ほくそ笑みながら。
恐らく、あの童女より遥かに凶悪で、強大な力と悪意を秘めた『ナニカ』が。
その何者かが放つ強烈な害意に、思わず立ち竦む光流達。
(このまま、この得体の知れたい害意の持ち主の餌食になってしまうのか・・・・・・?)
光流の額を冷たい汗が一筋流れ落ちる。
だが、光流の両足は未だ恐怖に凍り付いたままだ。
(やばい・・・・・・)
如何にか、この場所から逃げ出さなければーー!
しかし、光流が走り出すよりはやく、先に動いたのは再会を喜び合っていた筈のコーデリアと童女であった。
「何をぼさっとしていますの!!逃げますわよ!!」
気丈に光流達に向かってそう告げると、彼女は光流と楓の手を引き走り出す。
「お姉ちゃん、こっち!」
「は、はいっ!」
続いて、華恵と手を繋いだ童女の二人がその後ろをひた走る。
走りながら、光流はコーデリアに尋ねてみた。
「なぁ・・・?あの、蛍光灯が爆発するやつさ、確かに危ない感じはするけど、また、僕の炎で如何にか出来るんじゃないか?」
淡い期待と、先程童女を救えたという自負や自信から生まれた光流の言葉。
しかしその台詞に、コーデリアはちらりと光流を一瞥すると、直ぐに視線を前に戻し、走りながら言葉を返した。
「・・・・・・今の貴方では、まだ無理ですわ」
そう、相手が悪すぎるーーー。
「貴方が自信を持つ、その浄化の力が効かない者も、中にはいますのよ」
浄化が効かない・・・いえ、それでは語弊がありますわね、自ら浄化を望まない者とでも言うのでしょうか、と言い直すと、コーデリアは不意に光流に視線を合わせ、告げた。
「・・・この世の誰もが、全ての偽神が救いを求めている訳ではないのでしてよ。中には、自分から進んで救いへの道を捨て去り、それと引き換えに更なる力を得た者達もいますの」
「は・・・?救いを、捨てる・・・?なんだ、そりゃ」
コーデリアのその言葉に光流は眉間に深い皺を寄せる。
(自分から、救いや助けを捨て去る奴なんているのか・・・?)
人間も霊も関係なく、誰だって、苦しみや哀しみ、辛い事や大変な事から逃れたい・・・絶対に、救いを求めている筈だ。
だからこそ、全ては己が救われる為に、偽神は誰かの身体を欲しがっている・・・そうではないのか。
童女と同じ、救うべき・・・否、救われるべき哀れな存在では、ないのか。
救いを望まない存在がいるなんて、全く理解出来ないという風に渋面を浮かべる光流。
そんな光流の様子を見、コーデリアは、ふと、呟いた。
「・・・近藤光流。貴方は、理解した方がよくてよ。世界には、貴方の想像もつかない様な・・・悪意の塊の様な存在がいることを。彼らは最初から救いなんて求めない。求めるのは、ただの地獄。如何に強大な力を手にし、その力で生者を苦しめるか。力を手に入れられるなら、浄化や救い等自ら捨て去る。そんな存在も、いますのよ」