閼伽(あか)の焔と焔劫の剣③
「ああ・・・行こう!」
光流が少女の手をとった瞬間、二人の周りの真夏の風景が、まるで古びたペンキが壁から剥がれ落ちる様に、さらさらと崩れ落ち始めた。
「今度こそ、必ず助けるんだ」
その風景を見つめながら、己の強い決意を口にする光流。
やがて、真夏の畦道の風景が全て消え去ると、其処は
「楓!徳永!!」
元の、あの夥しい血に染まった陰惨な学園の廊下に戻っていた。
それを認めた瞬間、光流は直ぐに動いた。
彼は先ず一番近くにいた楓の元に駆け寄ると、その倒れたままの身体をそっと抱き起こし、安否を確かめる。
(良かった・・・生きてる・・・)
脈は浅く、依然危険な状態に変わりはないが、しかし、確かに楓の心臓は動いているし、息もしている。
彼女の無事に、一先ずは安堵の溜め息を漏らす光流。
そうして、彼は楓を抱えると、少女から離れた壁際に寄り掛かる様にその身を預けさせる。
「直ぐに、助けてやるからな」
ぐったりとした楓の、汗で額に張り付いた前髪を
優しく撫でる様に指先で軽く梳く光流。
やがて、彼は名残惜しそうに楓から指を離すと、徐に振り返り、改めて現状を確認する。
見たところ、良くも悪くも、楓や華恵の様子に余り大きな変化は見られない。
光流からすれば、あの夏の世界に行っていたのはかなり長い時間に感じられていたが、此方の・・・現実の世界ではそうでもないようだ。
恐らく、あの世界と此方の世界では、時間の流れ方そのものが異なっているのだろう。
(浦島太郎みたいだな)
一瞬、光流はそんなことを考える。
だが
『アラ シッポヲ マイテ ニゲタノカト オモッテイワァ』
突如現れた彼に対し、唯一垣間見える口許には笑みを浮かべつつ、敵愾心も露にそう言い放つ少女の姿を認めた瞬間、光流も表情を瞬時に引き締め、厳しいものに変えていく。
「尻尾を巻いて逃げ帰るのはお前の方だ。これ以上、僕の大切な人達を好きにはさせない」
少女に向かって、敢然とそう言い切ると左手を大きく頭上に掲げる光流。
『ッ・・・?!』
そこに宿るのは、大切な友人達を蹂躙された憎しみと、必ずや二人を救い出してみせるという相反するーーーけれど、熱く強い、光流の決意を宿した紅蓮の炎。
その地獄の業火にも似た姿に、少女は小さく息を呑むと、直ぐに身を翻し、一目散に華恵の元を目指し滑る様に猛スピードで飛空していく。
きっと、不利だと理解し、華恵を人質にでも取るつもりなのだろう。
確かに華恵を人質に取られては、どんなに強い力を得ていたとしても、光流は手も足も出ない。
だからこそ、そうなる前に
「させっかよ!!」
光流は頭上に掲げた手を振り下ろしながら、イメージする。
彼が頭に思い描くのはーーーこの力を与えてくれた彼女と、最悪な出逢いを果たした昨夜の出来事。
その時、彼女が彼らの目の前で使ってみせた、『ある炎の操り方』を光流は強く脳内でイメージしながら、少女に向け、真っ直ぐにその腕を向け、振り下ろす。
瞬間
『キャァッ・・・!』
生きた蛇の様に鋭くしなる鞭と化した炎が長く伸び、華恵に肉薄する少女を強く打ちすえる。
「よしっ、成功!」
ぐっと小さく拳を握る光流。
そんな彼らを少し離れた場所で見守りながら、光流に力を分け与えた張本人である少女は、至極面白そうに呟いた。
「一度見ただけで、あの技を自分のものにするなんて・・・本当に面白い少年ですこと。やはり、彼に力を貸して正解でしたわね」