涙と力の関係性⑥
一体、自分が閉ざした瞼の向こうで何が起こっているのか。
一抹の不安と疑念を胸に、固く閉ざしていた瞳を薄く開いてみる楓。
その琥珀色の瞳に映ったのは
「・・・ひ、かる・・・く、ん・・・?」
己の顔の直ぐ目の前に右腕を差し出した光流の姿であった。
一瞬、何が起きているのか分からないという風に暫し楓は呆然としていたが、しかし、光流の腕の惨状に気付くや否や、みるみる内に涙ぐみ、ただでさえ悪い顔色から更に色を失くしていく。
泣きじゃくりながら、声にならない声で、何度もごめんねと必死に伝えようとする楓。
何故ならばーーー光流のその右腕には、少女の鋭い五本の爪が深々と突き刺さっていたのだ。
恐らく、楓の異変に気付いた光流が、彼女を護る為咄嗟に己の腕を盾としたのだろう。
少女の爪はかなり深く光流の腕に突き刺さっており、その内の何本かは腕の反対側に貫通しているものまである有り様だ。
光流の額に玉の様に浮かんだ冷や汗や、固く食い縛られた口許を見るに、相当な激痛が彼の身を襲っているに違いない。
しかし、光流はぽろぽろと涙を零す楓の頭を、無事な左手で優しく撫でると、額に大粒の冷や汗を沢山滲ませたまま
「気にすんな」
と、微笑んでみせた。
その優しい微笑みに、楓は、大切な家族であり友人である存在を自分のせいで怪我をさせてしまったという罪悪感をより深め、余計に、止めどなく涙を溢れさせる。
そんな楓を困った様に見つめながら、まるで幼子をあやす様にその頭を撫で続ける光流。
「・・・困ったな」
泣きじゃくる楓を落ち着かせる為、光流が言葉をかけようとしたその時
「ーーーっ??!!」
光流の口から声にならない悲鳴が漏れる。
『キャハハハハ! イタイ? ネェ、イタイ?
バツハ イタクナイト イケナイノヨ』
先程より更に赤く染まった爪を誇らしげに掲げ、高らかに哄笑上げる少女。
光流の腕に突き刺さっていたその爪を、少女が一気に引き抜いたのだ。
全身を電流の様に一気に走り抜けるとんでもない激痛に、思わず右腕を抱え、膝をつく光流。
少女は、そんな光流の様子が余程気に入ったのか、まるで身を乗り出す様に床から全身を表すと、踊る様に軽やかな足取りで彼に近付き、苦痛に歪めているであろうその顔を覗き込もうとする。
瞬間、少女の顔面にめり込む光流の拳。
『カハッ・・・?!』
己の身に一体何が起きたのか理解出来ぬまま、壁際まで吹き飛ぶ少女。
少女は壁に全身を強打し、そのまま廊下に倒れこむ。
「・・・やっぱりな。僕達に触れるってことは、僕も触れると思ったよ」
右腕に手を添えながら、ゆっくり立ち上がる光流。
「・・・ごめんな。本当は、女の子に手をあげたくないんだけど・・・」
君が僕の大切な人達に危害を加えるなら、僕はどんな手を使っても、大切な人達を護る。
固い壁に叩き付けられた衝撃で未だ動くことは出来ないらしいが、しかし、恨みに満ちた恐ろしい眼差しで自分のことを睨みつける少女に向かって、決然と光流はそう告げる。
その時
ー・・・その決意、気に入りましたわー
光流のごく近く、直ぐ耳元で鈴をふる様な、高く、幾分艶を含んだ『誰か』の声がした。
「誰だっ・・・?!」
思わず振り返り、辺りを見回してみる光流。
次の瞬間
「・・・此所は・・・」
光流は、いつのまにか、夥しい血に濡れた櫻高の廊下ーーーではなく、太陽が激しく照りつける、舗装すらされていない田舎の畦道にぽつんと立っていた。
遠くでは蝉達が今が盛りと大合唱を繰り広げ、道の両脇には太陽に向かって我先にと競い合う様に背を伸ばした沢山の向日葵達が、風に揺れ、さざめく様にその葉を鳴らしている。
遠い夏の、鮮やかな景色。
光流はこの景色を知っていた。