涙と力の関係性⑤
床より這い出した白く小さなその手は、徐々に長く伸び・・・やがて、二の腕程まで姿を表すと、まるで狙いを定める様に指先を揃え、鋭い爪の先を楓の頭に向けてきた。
未だ、少しでも気を抜けば闇に落ちてしまいそうな朦朧とした意識の中、薄く開いた瞳から見えた己を狙う鋭い爪に、楓の瞳に一気に恐怖の色が滲む。
楓は如何にかその爪から逃げようと必死に全身に力を込めるが、大量の出血により最早指の一本すら動かす力の残されていない彼女の身体はぴくりともしない。
全く動かない身体、眼前に迫り来る爪ーーー楓の中に焦りだけが募っていく。
いっそ、血を吐いても構わないから光流に助けを求めるか・・・。
例え、失血で後に死んだとしても、今、あの爪に刺し貫かれて殺害されるよりはかなりマシな筈だ。
何より、今この窮地を凌げば、出血多量で意識を失ったとしても、生還出来るかもしれない。
楓はそう考えると、光流に助けを求めようと大きく口を開く。
だが、次の瞬間
「・・・っ!」
楓の頭の反対側より這い出したもう一本の手が楓の口を塞いだ。
突然のことに思わず窒息しそうになる楓。
すると、楓の耳元で少女の声が囁いた。
『イッタデショウ? ワルイコニハ バツヲ アタエナイト』
楓の背筋を伝い落ちる冷たい汗。
ゆっくり、ゆっくり、声のした方に向けて、唯一動かせるその瞳を向ける楓。
「ーーーっ?!」
・・・もし、今楓に声が出せたなら、彼女はそれはもう盛大な、身も世もあらぬ悲鳴をあげていたことだろう。
何故ならば、彼女の視線の先にあったのはーーー床より、胸から上だけを生やし、血走った瞳で楓を見つめるあの少女の姿だったのだ。
少女は、楓の耳元に息が吹きかかりそうな位唇を近付けると、再びそっとささめいた。
『アナタハ バツヲ ウケルノヨ』
そうして、鋭い爪の生えた五本の指を振りかぶると、楓の頭に向けてそれらを繰り出してくる。
ナイフの様に研ぎ澄まされた鋭い爪が眼前に迫り、身動きすらとれない楓は己の死を予見し、固く目を閉じた。
その一瞬の後、辺りにぶすりという鈍い音が響き、目を閉じたままの楓の顔に、何か生暖かい液体の様なものが飛び散ってくる。
(ああ・・・私、刺されたんだ・・・。・・・きっと、このまま・・・彼氏すら、作れないまま死んじゃうんだ・・・。まだまだ、やりたい事が沢山あったのに・・・)
何処か他人事の様に、諦観を滲ませながらそんなことを考える楓。
しかし、不思議なことに・・・確かに少女の爪が何かを刺し貫いた音がしたというのに、一向に、楓の頭やその身の何処にも、痛みが襲ってくることはなかった。
(え・・・どう、して・・・?)