涙と力の関係性
少女は息巻く二人を見詰めたまま、華恵の首にかけた小さな両手に力を込める。
『ソンナコト イッテイイノ?』
華恵がひゅっと小さく息を呑んだ音がする。
肉体や意識を少女に乗っ取られているであろう状態であっても、苦痛は体の持ち主に反映されているのだろうか。
苦しそうに眉を潜め、首に回された少女の手を掴む華恵。
しかし、思う様に手に力が入らないらしく、指先は虚しく少女の白い指先を撫でるだけに留まる。
『ホラホラ ハヤクエラバナイト サキニ オトモダチノ クビガ オレチャウヨ?』
「ふざけるなっ!!」
思わず反射的に友人の命を弄ばんとする少女に飛び掛かる光流。
しかし
『キャハハハ! オニイチャン コワァイ』
そう口に出すと同時、華恵の首をその手に掴んだまま空中にふわりと舞い上がる。
同時に
「かはっ・・・!」
華恵が苦悶の声を漏らす。
だが、それも当然だろう。
今の華恵は、少女に首のみを掴まれた状態で足場すらない中空に浮かんでいるのだ。
それはつまり、首を縄などで吊るされているのとほぼ同じ訳で。
その苦痛たるや、察するに余りある。
「華恵ちゃんっ?!」
悲鳴に近い叫びをあげる楓。
「徳永を離せ!」
光流も堪らず声を上げる。
しかし、少女はその手を緩めることはなく、却って強くぎりぎりと華恵の首を締め上げ始めた。
見た目は幼い少女であるのに、華恵の首を締めるその力たるや、凄まじいものがあるらしい。
少女の指が・・・その紅く染まった爪が、ぎりぎりと華恵の首を締め上げながら、その白い柔肌に食い込んでいく。
まるで猛禽類のそれの様にーー鋭く尖った爪により、裂けた華恵の肌から、溢れ出す真っ赤な雫。
それが余計、少女の指先を紅く染め上げ、光流と楓に焦りを募らせる。
そんな二人の目の前で、酸素を求める魚の様に大きく口をあけ、首筋を弱々しい力でかきむしる華恵。
その、本来はどの様な宝石よりも美しい筈の紫の瞳は大きく見開かれ、口許からは伸ばされた赤い舌がちらちらと覗いている。
また、限界まで見開かれた瞳からは次々に涙が溢れ、落ちた雫が、廊下に小さな染みを形成していく。
首を締められて殺害されるか、或いは、首を切り裂かれて殺害されるか。
どちらにせよ、華恵は今すぐ殺されてもおかしくはない状態だ。
そんな友人の姿を見詰め、強く唇を噛む楓。
余りに強く噛んだ為か唇が切れ、その口の端から一筋の血が彼女の細い顎を伝う。
意を決したのか、少女の真下へ歩み寄ろうとする楓。
友人思いの彼女のことだ。
恐らく、自分が華恵の代わりになるとでも言うつもりだろう。
しかし、光流はそんな楓を手で制する。
「如何してっ?!」
怒りと焦りを露に抗議の声を上げる楓。
しかし、光流は己も焦っていることを楓には悟らせない様、千々に乱れた感情を押し殺しながら、至って冷静に・・・幼子にそうする様に、楓に言い聞かせる。
「落ち着くんだ、楓。」
「はぁっ?!親友が殺されかけてるんだよ?!落ち着ける訳ないでしょ!」
確かに、楓の言うことは最もだ。
だが、光流とてここで引き下がる訳にはいかない。
何故ならば、光流の頭には、少女の言葉を反芻していく内、ある仮説が生まれ始めていたのだ。
光流は、それを楓にも聞かせる為、取り乱す彼女の両手を握ると真っ直ぐにその瞳を見詰め、努めて穏やかに声をかける。
「だからこそ、だ。楓。良いか?あいつは、確かに『友達を見殺しにするか、自分が死ぬか、選べ』って言ったよな?」
光流のその口調と、真っ直ぐな眼差しに気をそがれたのか、瞳にやや冷静な光を取り戻し、小さく頷く楓。
それを見届けると、光流は尚も穏やかに・・・己の内に生じたその仮説を確かめる様に、一つ一つ言葉を選ぶ様にしながら楓に語りかける。
「じゃぁ、あいつは、一言でも、選ばなかった方を助けるって言ったか?」
光流のその言葉に、はっと涙の滲んだ瞳を大きく見開く楓。
そんな楓に、今度は光流が小さく頷いてみせる。
「・・・そうだ。僕達が誰を選ぼうと、誰が犠牲になろうと、きっとあいつにハナから僕達を生きて帰す気なんてないんだ」
当たって欲しくない、しかし、高い確率で起こりうるその仮説を聞いた瞬間、楓は両手を口許にあて、恐怖と絶望からか小さく体を震わせながら呟いた。
「嘘・・・じゃぁ、私達、一体如何したら・・・」
強すぎる絶望感と無力感に襲われ、思わずぺたんと膝から座り込みそうになる楓。
だが、光流はそんな楓を咄嗟に支えると、そのともすれば恐怖に塗り潰されてしまいそうな瞳を再度見詰め、強く言い放った。
「だからこそ、僕達はそんな馬鹿げた選択に乗ってやる必要はない!!相手がハナから選択肢や真実を隠してるなら・・・こっちだって、別の選択をするまでだ!!さっき、お前も言ってただろ?三人で帰ろう!誰も死なず、誰も犠牲にしないで!」
力強い、まるで背中を押す様な力のある光流の言葉に楓は、今一度光を取り戻した瞳で、何度も頷く。
「うん、うんっ!必ず三人で帰ろう!」
「ああ!」
そんな楓に、光流も微笑み、再度頷いてみせる。
しかし、次の瞬間、
「ぅぁっ・・・?!」
「ぐっ・・・?!」
まるで、大型の乗用車をその体の上に乗せられたかの様な強い衝撃と圧力が光流と楓を襲う。
余りの衝撃に耐えきれず、なすすべもなくうつ伏せにコンクリートの廊下へと叩き付けられる二人。
直ぐに立ち上がろうとするが、まるで地球の全ての重力が集まったかの様な圧力が二人の体にのし掛かり、体を起こすことはおろか、指を動かすことすら出来ない。
(いきなり、何が、如何なって・・・?)
その時、光流は同じ衝撃に襲われた友人のことを思い出す。
咄嗟にその安否を確かめる為、動かない頭を必死に動かそうとする光流。
けれど、強力な重力と圧力により、地面に縫い付けられた頭や体は決して動くことはなく
(くそっ・・・楓・・・楓は無事なのか・・・?)
光流にひたすら激しい焦燥感だけを募らせていく。