日常の果てに生まれる非日常⑧
教室内に驚きと同時に嵐をも巻き起こした朝礼から数時間後ーーーー。
未だ四時限目すら始まっていないというのに光流の疲労はピークを向かえ、まるで棺桶に納められたエジプトのミイラの如く机に突っ伏したままぴくりとも動かず休み時間を過ごしていた。
正直、葉麗に、昨夜の夢のことを聞いてみたい気持ちはある。
それ位、あの夢の中で感じた『死』の感覚は、夢とは思えない程とてもリアルなものだったのだ。
しかしーーあの朝礼の直後から、
「結城さんってすっごく面白いね!ねぇ、その制服や眼鏡、何処で買ってきたの?」
休み時間の度に、楓や好奇心の塊の様なクラスメート達に、葉麗は囲まれ、光流は話し掛けることはおろか、言葉をかけることすら出来ずにいた。
「・・・・・・疲れた」
光流は伏せていた頭をのろのろ持ち上げると、机の上に置いておいた、お茶の入ったペットボトルに手を伸ばす。
するとーーぼふっという音と共に、光流の目の前にデニム生地で作られたナップサックが勢いよく置かれた。
本来鮮やかな筈のナップサックの明るいターコイズブルーが、疲れきっている光流にとって、今は逆に目に痛い。
そのナップサックに水分補給を邪魔されてしまった光流は、深く溜め息をつくと、疲れた様に目を細めた。
哀愁と疲労感漂う乾いた眼差しで目を細めるその姿は、心なしか、冷めた瞳で遥か遠方に視線をやるチベットスナギツネに酷似している気がしなくもない。
と、その頭上からナップサックの持ち主である楓の声が降り注ぐ。
「光流くん!!次は体育だよっ!!持久走大会の練習だってさ!」
その言葉に、乾ききった眼差しに更に哀愁と悲哀の色を強くするチベットスナギツネ、もとい、光流。
「・・・こんな日に持久走なんて、神は僕に死ねと仰るのか」
疲れすぎて最早台詞が何処かの宗教家か革命家の様になってきた。
しかし、楓はそんな光流の悲哀等全く気にせず、光流の腕を強く掴むと、ぐいぐい引っ張ってくる。
「ほらほら、訳分かんないこと言ってないで更衣室いっくよ~!たーっくさん練習しないとね~!待っててね!私の優勝旗ちゃん!」
元より体を動かすのが大好きな熱血体育会系娘である楓は、昨年参加した持久走大会の中学生の部で準優勝だったこともあり、今年こそは一位をと息巻いているのだ。
だが、残念ながら光流はそこまで体育会系でもなければ持久走大会にそんなに力を入れている訳でもない。
寧ろ、剣道以外に関しては割りとインドア派かもしれない光流は
「・・・・・・え、僕嫌だ。今日は見学一択で。というか可能なら保健室で休憩でファイナルアンサー」
と、思わず口から本音が零れ出す。
けれど、当の楓は光流の腕を引っ張る力を弱めるどころか、更に強くすると
「なーに言ってんの!折角良いお天気なんだから、体を動かさなきゃ勿体ないよ!あ、ほら、昨日の悪い夢とかも走ってたら直ぐに忘れちゃうって!」
溌剌とした笑顔でそう言ってのける。
加えて、楓の隣にいる華恵も
「そうですよ。良い汗を流せば、嫌なこともきっと綺麗さっぱり忘れちゃいます」
と、柔らかく微笑みながら楓に同意をする。
そして、楓が掴んでいるのとは反対側の光流の腕をぎゅっと掴むと「さぁ、行きましょう?」と優しく引っ張った。
流石に光流も、女子とは言え二人がかりで引っ張られては諦めざるをえない。
「仕方ないな・・・・・・」
小さくそう呟くと、胸の中で保健室の暖かなベッドに別れを告げ、二人に腕を引かれるまま更衣室の前まで引き摺られる様に歩いて更衣室に向かう。
クラスの男子の呪い殺さんばかりの恨みのこもった視線を、その背中に受けながら。
この学園では、男子更衣室と女子更衣室は隣り合っており、三人の教室とは同じフロア内にある。
そこまで二人に腕を引かれて歩いていく光流。
楓としては、光流が保健室に逃げ込まない様、逃走防止の意味もあるのであろう。
だが、楓と華恵に両脇から腕を掴まれて歩く光流のその姿はまるで、人間のーー某国の捜査官に捕獲されたグレイ型宇宙人の様だ。
そのままずるずると引き摺られる様に歩くこと約数メートル。
三人は各々の更衣室の前に到着する、とーー
「きゃっ・・・?!」
「わっ?!ごめんなさい!」
横を見て話しながら歩いていた華恵が、入り口の直ぐ近くで中から出てきた女生徒とぶつかってしまう。
その拍子に、華恵が肩にかけていたピンクの水玉模様のビニールバッグから体育着と、何か・・・茶色く薄汚れた物体が床に転がり落ちた。