日常の果てに生まれる非日常③
「またっ・・・?!」
脳内に直接響くその幼さの残る高い声に、光流は反射的に右手で頭を押さえ、つい辺りを見回す。
すると
「ど、如何したんですか?光流くん」
急に様子の変わった光流を心配し、華恵が慌てて声を掛けて来た。
「・・・いや、何でもない」
光流は心配そうに顔を覗き込んで来る華恵に、努めて冷静にそう答えると、再度自席に腰を降ろす。
「はぁ・・・・・」
机に両肘を乗せ、両手を組む光流。
その上に額をつける様にして頭を預けながら、光流は大きく溜め息をついた。
認めたくはない。認めたくはない、がーー。
どうやら、如何いう原理かはさっぱり分からないが、先程から脳裏に響くこの声は光流の頭にだけダイレクトに伝わって来ているらしい。
その証拠にどれだけ辺りを見回そうと、声を発した様な人物の姿は一切見当たらなかった。
いや、そもそも、脳内に直接響いて来ている時点でその声を発している人物が本当に『人』であるのかすら怪しいが。
ちなみに、光流は自身の精神衛生上、『幻聴』という選択肢は真っ先に排除した。
一応、幻聴を聞くほどの精神的な強いストレスに心当たりはあるかと聞かれれば、ある。
今朝の出来事然り、昨夜の悪夢然り、どれも光流にとっては充分強いストレス源になりえる出来事だ。
しかし極めつけはやはり、つい昨日初めて長く続けられたアルバイトを突然クビになったことであろう。
しかも、かなり理不尽な理由で。
話すと長くなってしまうので、今は割愛するが、その不条理で馬鹿馬鹿しいとしか思えない理由で半年近く続けていたアルバイトを、光流は突然クビになったのである。
両親共に既に故人であり、当然親戚からの援助や仕送り等一切ない光流にとっては、アルバイトで稼いだ給与こそが、唯一の収入源だったというのに。
それを、納得出来ない理由で行きなり断たれてしまったのだ。
ならば、光流はこれから如何にして生活費や家賃を賄っていけば良いのか。
実は、光流は、己を引き取ってくれた中飾里家に対し、強い恩義を感じているが故に、毎月きちんと青楓館に対して家賃を払っている。
けれども、それは光流がアルバイトで稼いだ給与から捻出したものなのだ。
光流は、未だ殆ど両親の遺産には手をつけてはいない。
そう、確かに光流には両親が遺してくれた遺産がある。
流石に一生遊んで暮らせる程とまではいかないが、それを使えば少なくともかなり長い間ーー光流が学生である間は確実に学費や生活費には困らないだろう。
だが、光流としては、それは折角両親が光流の為に貯めておいてくれたお金でありーー何より、住んでいた家や思い出の品も殆ど親戚に奪われてしまい、手元に遺されなかった光流にとっては、遺産とは言え数少ない両親との絆を感じられる唯一のものなのだ。
また、幾ばくかは親戚に奪われてしまったが、それでも、今や養ってくれる二親が同時に居なくなってしまった自身にとって、それが成人して働ける様になるまでの生活費に等しいのである。
だからこそ、光流はアルバイトで働いて得た給与を生活費や学費、体調を崩した時の医療費に遺産と併せて宛がいながら、極力遺産を切り崩さない様に生きて来た。
しかしーーー
それでも、まさか、朝から何度も女の子の声が幻聴で聞こえてしまう程、クビになったストレスで自分の神経が麻痺している、或いは其処まで頭も神経も疲弊しているなんて、考えたくも無かったのである。
けれど、そこでふと別の考えが光流の頭を過る。
(まさか、これってさっき玲さんが言ってた『偽神』ってやつか・・・?)
と、光流がそう思った瞬間、
『ちっがぁぁ~~~う!!!』
先刻の幼女の、かなり怒りに満ちた叫びが光流の脳内に響き渡った。
「っ・・・?!」
その余りの声の大きさに、光流は一瞬強い目眩を感じ、思わず目を閉じ、その感覚に耐える。
もし、今光流が立っていたなら目眩でよろめき床にでも座り込んでいただろう。
それ位、幼女の声には、最早破壊力と呼べる威力があった。
しかし、こうして光流が目を閉じて目眩を必死にやり過ごそうとしている間にも幼女の声は光流の頭に響いてくる。
『偽神なんかと一緒にするなんてしっけーな!謝ってよ!』
(はぁ・・・・・?)
『ちゃんとごめんなさいしなきゃ許してあげないんだから!』
(・・・・・。)
その、正体すら知れない脳内の声の余りに一方的で理不尽な物言いに、徐々に苛立ちを覚える光流。
(・・・なんで僕が謝らないといけないんだよ)
『命の恩人のわたしを、偽神なんかと一緒にするほうがわるいんだもん!』
(・・・・・はぁ?姿も見せない卑怯者のくせに。俺からしたらお前も偽神も同じだよ)
『おなじぃ~?!ひっどぉ~い!!』
再度、光流の頭の中全体に幼女の声が反響する。
「・・・っ!!」
相も変わらずけたたましいその声は、頭が割れるのではないかと錯覚してしまう程だ。
(・・・・・うるせぇ)
光流はつい悪態をつく。
すると
『ひどいひどいひど~い!!第一、わたし卑怯者じゃないもん!』
(はぁ?卑怯者だろ?だったら堂々と姿を見せてみろよ)
『ふぇっ?見せてるよ?』
(・・・は?)
『だからぁ!姿、ちゃんと見せてるよ?』
その言葉に光流は再度周囲を見回す。
と
『あ!こっちこっち!やーっと気付いたね!』
「なっ・・・・・?!」
光流の見つめるその先ーー其処には、華恵の持つ『星』と箔押しされたタロットカードの中、縹色の小袖の袖をひらりひらりと揺らし、光流に向かって手を振る吉乃の姿があった。