星天大戦41
そんな未だズキズキと若干の痛みが残る首を擦りながらも、落下し続ける自身とは正反対に、まるで背中に羽でもあるかの様にふわりふわりと浮いたままの葉麗に目を遣ると、「で」と前置きをしてから話し掛ける光流。
「これから、一体僕は如何したら良いんだ?」
彼の言葉に葉麗は悠然と腕を組んだまま、小さく首を傾げると
「如何、とは?」
と、逆に光流に聞き返す。
相変わらずと言うか何と言うか。
こんな状況下に在っても尚、そのマイペースさを一切崩さない葉麗に、光流はある種の尊敬の念を抱きつつも話を続ける。
事は一刻を争うのだ。
「だからさ、この闇の空間だよ。このままじゃ何時底に着くのかも分からないし、もしかしたら、最悪・・・底なんてなくて、ひたすら落ち続けるだけのただの罠かもしれない」
そこまで話すと、自身が話した絶望的な話の内容に、改めて小さくぶるりと背筋を震わせる光流。
(そうだ・・・もし、これが、悪神を追い掛けてきた奴に対して発動するトラップなのだとしたら・・・僕は、もう、皆には・・・・・・。ザト、徳永、先生達・・・それに、楓・・・)
まるで走馬灯か回り灯籠の様に、大切な仲間達の笑顔が光流の頭の中をくるくると駆け巡る。
その眩しい位の笑顔に、光流はぐっと強く唇を噛んだ。
(・・・もう、逢えないなんて、嫌だ・・・!)
気を抜くと絶望感にバラバラに砕けてしまいそうな心をなんとか抑えながら、光流は必死に考え始める。
悪神を見つけ出し、倒して、もう一度外に・・・皆が待つ場所に戻る方法を。
すると、未だ優雅に腕を組み、しかもーーー如何やっているのかは分からないが、何も無い筈の空間でふわりと浮かんだまま椅子にでも腰掛ける様に足まで組んだ葉麗が、そんな光流に声をかけてくる。
「そんなに思い詰めなくても大丈夫ですよ。此処に飛び込んだ貴方の選択は正しい。確かに悪神はこの空間にいます」
はっきりと言い切った葉麗のその言葉に、光流は少なからず胸を撫で下ろすと、彼女に視線を向けたまま、問い掛けた。
「・・・なら、如何やって悪神が居る一番下まで行けば良いんだ?このまま、こんな所を落ち続けてたら、悪神の所に辿り着く前に、やたら聞こえてくる悲鳴や恨み節で頭がおかしくりそうだよ」
先刻だって結城がいなけりゃ如何なってたかーーー。
そう呟く光流の頭の中に、突如として雲外鏡の声が響き渡る。
『・・・前からおかしなガキだと思っちゃいたが・・・本当におかしな事ばかり言いやがる』
その声は、まるで氷の様にひやりと冷たくーーー冷淡。
自身の頭の中に木霊するその声に、つい、声に出して反論する光流。
「はぁっ?おかしなって如何いう事だよ?医師。誰だって、あんな恐ろしい怨みの声や憎しみの気持ちが自分の中に入ってこようとしたら嫌がるに決まってるだろ」
すると、そんな光流の台詞を聞いた雲外鏡が、今度は何処か馬鹿にした様なーーーそれでいて、まるで一切漣すら立たない湖面の様に静かな声で、光流に問い掛けた。
『なぁ、坊主?聞いてりゃ手前は先刻から、怨みや憎しみを、さぞ恐ろしくて悪いモンの様に言うが・・・じゃぁ、お前さんは、これまでの人生で一切誰も憎まず、恨んだこともないんだな?』
雲外鏡が告げたその台詞に、まるで心臓を冷たい氷柱で貫かれたかの様にはっとし、思わず自身の胸に触れる光流。
「・・・なくは、ない。けど、誰かを憎んだり恨んだりするのは悪いことだろ?」
胸に手を当てたままそう話す彼の頭の中に、今度は叶の声が響く。
『あのさ?人間じゃないあたしが言うのもおかしいけど・・・恨みつらみ在ってこその人間だろ?よく、誰も憎んだり恨んだりしない奴のことを聖人君子なんて呼ぶけど、あたしに言わせりゃあんなの間違ってるよ』
そこまで告げると、まるで自身を落ち着かせる様にすぅっと大きく息を吸い込む叶。
そうして、彼女は深く息を吐き出すと、再び光流に語り掛けた。
『人は生きている以上、絶対に道を間違えるし、何度も目的を誤ったりすると思う。そして、その過程で誤解が生まれて誰かと喧嘩になったり、自分より先に欲しかった目的や大切なものを別の誰かに盗られて、そいつを憎んだりする気持ちが産まれると思うんだ。でも・・・それはさ、そういう気持ちを持つことは、絶対に間違いじゃないんだよ』
「・・・誰かを憎んだり、恨んだりするのは、間違ってる・・・悪いことなんじゃ、ないのか・・・?」
叶達が語る、その・・・自身にとっては全く新しい価値観に、落下したまま暫し呆然とする光流。
すると、葉麗がやおら組んでいた腕と足を解くや、そっと、光流の方に向けてその手を伸ばしてきた。
そうしてーーーまるで姉が弟にそうする様に、優しく光流の頭を撫でながら、彼に語りかける。
「人間はね、恨んだり憎んだり怒ったりする・・・そんな存在だからこそ、愛おしい・・・それが『人間』なんですよ。もしもこの世に、何をされても嘆いたり怒ったりしない人間がいるとしたら、その人はもう人間ではないと思うのです。感情を失ってしまった、哀れな機械ですよ」
優しく、しかし強く自身にそう話す葉麗の、その仲秋の名月の様に美しい金色の瞳を、ただじっと見つめる光流。
葉麗も、自身を真剣に見つめる光流を穏やかに見つめ返しながら、更に言葉を紡いでいく。
「そうですね・・・この話が難しいのならば、もっとシンプルに考えてみれば良いのです。例えば・・・貴方が中飾里さんにちょっかいを出したとします。ですが、もしも、どんなに貴方が悪戯をしても、彼女が怒りも泣きもせず・・・ただ微笑んでいたら?貴方は、如何思いますか・・・?」
(あの楓が、怒ったり、泣いたりしない・・・?)
葉麗の言葉に思わずその場面を想像する光流。
自身の想像した世界の中、能面の様にただただ薄い微笑みを口許に張り付けた楓は、確かに怒ったり、憎しみもしない。
だがーーー。
「・・・嫌だ・・・違う。こんなの楓じゃない・・・」
そう言って、嫌な想像を振り払う様に激しく頭を振る光流を見つめながら、くすくすと小さな微笑みを浮かべると、葉麗は告げた。
「ね?怒りも悲しみも憎しみも、人間にとっては必要な感情なんですよ。人間に要らない感情等、絶対に無いのです。寧ろ、問題なのは・・・人間の、その『人間らしさ』を悪用して、人間を怪物や、ただの食糧に変えてしまう存在がいることでしょうか」
「・・・悪神、だよな」
「ええ。奴は必ずこの空間の何処かに居る筈なのです」
「何処か?」
葉麗の言葉に、光流は思わずそう聞き返す。
すると、そんな光流に小さく頷きながら、葉麗が自身の考えを話し始める。
「はい。先程・・・私達がこの空間に飛び込む直前、私達は、完全に空間と溶け込んだ悪神を見ましたよね?」
「ああ」
葉麗の言葉に、未だ逆さまなまま頷く光流。
葉麗も、そんな光流に再度頷くと、持論の続きを語り出す。
「ですが、私達が見たのは空間に溶け込んだ悪神であって・・・底に落ちた悪神は見てもいませんし、質量があるのかは謎ですが今の所、着地した様な音も聞いていない。ーーーつまり、穴に飛び込んだからといって、一概に飛び込んだ者が落ちていくとは限らないのではないでしょうか?」
彼女のその言葉に、光流ははっと大きく瞳を見開いた。
(そうだ・・・確かに奴は此処に飛び込んだけど・・・少し力があるなら、結城みたいに浮くことだって出来る・・・。つまり、必ずしも奴が下に居るとは限らないんだ・・・!)
すると、そう閃いた光流の頭の中で今度はコーデリアが彼に話し掛けてくる。
『成る程・・・。確かにそれは一理ありますわね。下に居るとばかり思い込んで、ひたすら落下していた私達を影で見つめながら嘲笑っているのかもしれませんわ』
「ああ、僕もそう思う」
口に出してコーデリアに答えながら、しかし光流は直ぐに「うーん」と考え込み始めた。
『如何しましたの?』
光流の内に居るコーデリアの心配そうな声。
その声に、頭を抱え、悩む様な仕草を見せながら答える光流。
「・・・いや、下に居るんじゃないって分かってもさ、こう真っ暗じゃ、見つけることすら出来ないよなぁ、って」
何か良い方法はないかなぁーーー。
そう漏らす光流に、力強く語りかけるコーデリア。
『そんなこと・・・そもそも、この闇の支配する空間で視覚に頼っている方がまちがっているとは思いませんの?逆に、視覚を捨て・・・目を閉じて、耳を澄ませてご覧なさいな。囚われた魂達の憎しみや、嘆きの叫びが聞こえる筈ですわ。ですが、その中に、必ずある筈ですのよ。悪神の・・・憎しみや悲しみを更に増長させようと企む、悪魔の囁きが。本当の悲しみを、苦しみを知り、乗り越えた貴方ならば聞き分けられる筈ですわ』
「コーデリア・・・」
コーデリアの言葉に背中を押される様に、黙って瞳を閉じ、耳を澄ませてみる光流。
その耳に届くのはーーーまさに、今すぐ耳を覆いたくなる様な数多の魂達の嘆き、叫び、激しい慟哭。
しかしーーーそんな沢山の激しい叫び声に晒されても、もう光流は耳を塞ごうとも・・・逃げようともしなかった。
「この感情が、人間が人間である証なんだ・・・。なら、皆、僕の中に入って来ると良い・・・!あんた達の嘆きも、苦しみも、全て僕が一緒に背負ってやる・・・!だから、あんた達をこんな目に遭わせた・・・此処に閉じ込めた奴の居場所を教えてくれ・・・!」
光流が、自身の心のーーー魂の奥から沸き上がる叫び、衝動にそう叫ぶと同時、つい先程まで煩い位に口々に憎しみや悲しみの呪詛の言葉を吐き出していた魂達が一瞬、しんと黙り込む。
その瞬間
『ォォォォー・・・如何した、もっと我に憎しみを・・・悲しみを・・・!お前達の命を奪っておきながら、光を浴びている者を・・・!お前達の全てを壊しているというのに裁かれぬ者達を・・・!憎め!憎め!果てない憎悪に染まり、より、甘美な我が餌となるのだ・・・!』
光流の耳に確かに届く悪神の声。
「其処かっ!!!」
その声に、右手に握る銃剣を投擲する光流。
彼の銃剣が貫いたその場所はーーーなんと、彼の足下、通常であればかなり頭上にあたる場所であった。
『な、ぜ・・・わかった・・・?!』
一振りの銃剣に、空間ごと縫い止める様に腹を貫かれ、血の代わりに黒い闇をその口から吐き出す悪神。
そんな悪神を見上げ、光流は、左腕だけではなく、全身に炎を纏う。
その色はーーー仲間達の願い、思い、希望、絆、その全てが織り成す、鮮やかな黄金。
黄金の炎をその全身に纏うと、もう一振りの銃剣を構え、皆の願いと祈りが結実して背中に生えた金色の炎の翼の助けを借りると、体勢と向きを整え、即座に悪神に向けて飛翔する光流。
彼が羽ばたき通り過ぎたその軌跡に金の炎が燃え移り、一面漆黒の闇しかなかった空間を明るく、鮮やかに照らし出す。
「皆、行くぞ!!医師、あんたの力を貸してくれ!!」
『仕方ねェな。貸しだぜ』
雲外鏡が相も変わらず気だるげにそう呟くや、銀色に輝く光流の瞳に、雲外鏡の持つ、目の前にいる怪異の胎内等を見透かす力ーーー『照魔鏡』の力が宿る。
同時に、彼の瞳に映ったのはーーー。
「あれだ!!!!」
そうーーー雲外鏡の力でしか視認不可能な悪神の核。
光流の銀の眼差しは、遂に、まるで心臓の様に悪神の胸部にあるそれを捉えたのだ。
悪神の唯一の弱点たる核に向け、高く跳躍すると、一気に斬りかかる光流。
彼は全身に宿る黄金の炎を、その手に握る銃剣にも漲らせるとーーー外に居る仲間達にも響かんばかりに叫んだ。
「・・・僕は英雄なんかじゃない。正義の味方でもない。ただ、おかしな力を持っちまった残念な人間だ。けど・・・人間だからこそ、てめぇのやった事は許せねぇ!!!人間は、てめぇらの餌じゃねぇんだよ!!てめぇがただの餌だと思ってナメてた人間の恐ろしさ、それに希望と思いの力を、その体でたっぷり味わって貰おうじゃねぇか!!・・・あの世でお仲間に報告するんだな、人間は怒らせると怖いって!!!!」
『聖魔神獄焔!!!!!!』




